慎思録 / 巻之六
人之性各有分。須隨其性分之所及。而爲分內事。所以無悔也。苟爲分外之事。則力不堪其任。不至悔者寡矣。葢無才而爲分外之事。無德而爲分外之行。無財而爲分外之費。皆是力之所不足。勉强而爲之者。焉得能久乎。所以不堪悔也。
新字:人之性各有分。須随其性分之所及。而為分内事。所以無悔也。苟為分外之事。則力不堪其任。不至悔者寡矣。葢無才而為分外之事。無徳而為分外之行。無財而為分外之費。皆是力之所不足。勉強而為之者。焉得能久乎。所以不堪悔也。
書き下し
人の性は各分有り。須らく其の性分の及ぶ所に随ひて、分内の事を為すべし。悔い無き所以なり。苟も分外の事を為せば、則ち力其の任に堪へず、悔いに至らざる者寡し。蓋し才無くして分外の事を為し、徳無くして分外の行ひを為し、財無くして分外の費えを為すは、皆是れ力の足らざる所、勉強して之を為す者なり。焉んぞ能く久しきことを得んや。悔いに堪へざる所以なり。
現代語訳
人の性質にはそれぞれ分があります。その性分の及ぶところに従って、分の内のことをするべきです。それが悔いのないゆえんです。もし分の外のことをすれば、力がその任に堪えず、悔いに至らない者はまれです。才能がないのに分外のことをし、徳がないのに分外の行いをし、財がないのに分外の出費をするのは、みな力の足りないところを無理にしているのです。どうして長続きするでしょうか。悔いに堪えないのはこのためです。
解説
自分の性分を知り、その範囲で事を行えば悔いがないと説く条です。「分」は身分だけでなく、才能・徳・財力といったその人の持ち前を指します。『中庸』第十四章の「君子は其の位に素して行ふ」に通じる考えです。益軒は『大和俗訓』などで、分を知り分に安んじることを繰り返し説きました。背伸びは一時は通っても長続きしません。挑戦を否定するのではなく、自分の実力と資源を見極めたうえで踏み出すことが、無理のない成長につながります。
この章句が説くこと
分悔い自知無理中庸
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