慎思録 / 巻之一
劉敞弟子記曰。擇術然後學之。擇師然後傳之。擇交然後親之。擇君然後事之。竊謂。此言可謂至論也。葢不擇術而學。則迷左道與俗學。而終身不悟。陷身於非道。不擇師而傳。則投身於非人。而不能聞正道。勞而無功。不擇交而親。則陷身於非義。而不覺。無益而有損。不擇君而事。則喪身於無道。臨危亂。而有悔。嗚呼不擇此四者。終歸于愚。學者之所當審擇也。孔子以不擇里爲不知。夫里俗之於吾身。其所關係。比此四者。爲遠。猶且貴擇之。而况於此四者。可不擇乎。
新字:劉敞弟子記曰。択術然後学之。択師然後伝之。択交然後親之。択君然後事之。窃謂。此言可謂至論也。葢不択術而学。則迷左道与俗学。而終身不悟。陥身於非道。不択師而伝。則投身於非人。而不能聞正道。労而無功。不択交而親。則陥身於非義。而不覚。無益而有損。不択君而事。則喪身於無道。臨危乱。而有悔。嗚呼不択此四者。終帰于愚。学者之所当審択也。孔子以不択里為不知。夫里俗之於吾身。其所関係。比此四者。為遠。猶且貴択之。而況於此四者。可不択乎。
書き下し
劉敞の弟子記に曰く、術を択びて然る後に之を学ぶ。師を択びて然る後に之を伝ふ。交はりを択びて然る後に之に親しむ。君を択びて然る後に之に事ふと。窃かに謂ふ、此の言至論と謂ふべし。蓋し術を択ばずして学べば、則ち左道と俗学とに迷ひて、終身悟らず、身を非道に陥る。師を択ばずして伝ふれば、則ち身を非人に投じて、正道を聞くこと能はず、労して功無し。交はりを択ばずして親しめば、則ち身を非義に陥れて覚らず、益無くして損有り。君を択ばずして事ふれば、則ち身を無道に喪ひ、危乱に臨みて悔い有り。嗚呼此の四者を択ばざれば、終に愚に帰す。学者の当に審らかに択ぶべき所なり。孔子は里を択ばざるを以て不知と為す。夫れ里俗の吾が身に於ける、其の関係する所、此の四者に比すれば、遠しと為す。猶ほ且つ之を択ぶを貴ぶ。而るを況んや此の四者に於てをや。択ばざるべけんや。
現代語訳
劉敞の『弟子記』に「学ぶ道を択んでから学ぶ。師を択んでから教えを受け継ぐ。交わる相手を択んでから親しむ。仕える君を択んでから仕える」とあります。ひそかに思うに、これは至極の論です。学ぶ道を択ばずに学べば、邪道や俗な学問に迷って、一生悟らず、身を道に外れたところに陥れます。師を択ばずに教えを受ければ、ふさわしくない人に身を投じ、正しい道を聞くことができず、苦労して成果がありません。交わる相手を択ばずに親しめば、義に外れたことに身を陥れても気づかず、益がなく損があります。君を択ばずに仕えれば、無道の主のもとで身を滅ぼし、危機や乱に臨んで悔いることになります。ああ、この四つを択ばなければ、ついには愚かさに帰着します。学ぶ者が詳しく択ぶべきところです。孔子は住む里を択ばないことを知がないとしました。里の風俗が自分の身に関わる度合いは、この四つに比べれば遠いものです。それでもなお択ぶことを尊ぶのですから、ましてこの四つを択ばずにいられましょうか。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之一学を為すの工夫、古人知を以て先と為す者は、蓋し知は以て開導すればなり。先づ之を知るに非ざれば、則ち力行すること能はず。先づ知るとは、当に行ふべきの端緒を知るなり。親に事ふる者の、先づ温凊定省、出づるに必ず告げ反れば必ず面するの法を知るが如き、是れなり。窮め知ること畢はりて而る後に方に之を行ふの謂に非ざるなり。既に其の端緒を知れば、則ち之を行ふこと最も急と為す。此れ乃ち知行並び進むの工夫なり。須らく此くの如くなるべし。蓋し知行の二者は、車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。一を闕けば則ち不可なり。故に学は徒らに之を知ることを要せず、必ず力行を要す。二者以て学と為すべくして、行ふを以て重しと為す。若し之を行ふこと能はざれば、則ち徒らに之を知ると雖も、都て用無し。以て学と為すべからず。是を以て学ぶ者は、之を知るを先と為し、之を行ふを重しと為すなり。之を行ふに非ざれば、則ち真に知ること能はず。譬へば道路を行くが如し。其の道路の里程、山川の形勢、記籍有りて詳審なりと雖も、然れども躬親ら経過するに非ざれば、則ち其の真境を諳知すること能はず。故に行ひて後に知る者は、真知なり。
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