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新論 / 國體上

然 神聖之大道未明、民心未有主、而内之奇衺猶尚依然也、其所適從者、非巫覡浮屠、則陋儒俗學也、譬如劇疾新除元氣未復善後之計未設者、其内無主、外易遷於異物、而近時又有一蘭學者、其學本出譯官、不過讀阿蘭字以解其語耳、本無害於世者、而耳食之徒、謬聽西夷誇張之説、盛稱揚之、或至於有著書上梓欲以夷變夏者、及他珍玩奇藥、所以奪目蕩心者、其流弊亦至於使人反欣慕夷俗、異日使狡夷乘之以蠱惑愚民、則其復變於狗羯羶裘之俗、孰得禁之、履霜堅氷、漸不可長、其所以爲廣害深蠧者、可不熟察而豫爲之防哉、

新字:然 神聖之大道未明、民心未有主、而内之奇衺猶尚依然也、其所適従者、非巫覡浮屠、則陋儒俗学也、譬如劇疾新除元気未復善後之計未設者、其内無主、外易遷於異物、而近時又有一蘭学者、其学本出訳官、不過読阿蘭字以解其語耳、本無害於世者、而耳食之徒、謬聴西夷誇張之説、盛称揚之、或至於有著書上梓欲以夷変夏者、及他珍玩奇薬、所以奪目蕩心者、其流弊亦至於使人反欣慕夷俗、異日使狡夷乗之以蠱惑愚民、則其復変於狗羯羶裘之俗、孰得禁之、履霜堅氷、漸不可長、其所以為広害深蠹者、可不熟察而予為之防哉、

書き下し

然れども神聖の大道未だ明らかならず、民心未だ主有らずして、内の奇衺は猶尚ほ依然たり。其の適従する所の者は、巫覡浮屠に非ざれば、則ち陋儒俗学なり。譬へば劇疾新たに除かれて元気未だ復せず、善後の計未だ設けざる者の如し。其の内に主無ければ、外は異物に遷り易し。而して近時又一の蘭学なる者有り。其の学は本訳官より出で、阿蘭の字を読みて以て其の語を解するに過ぎざるのみ。本世に害無き者なり。而るに耳食の徒、謬りて西夷誇張の説を聴き、盛んに之を称揚し、或いは書を著し梓に上せて夷を以て夏を変ぜんと欲する者有るに至る。及び他の珍玩奇薬、目を奪ひ心を蕩かす所以の者、其の流弊も亦人をして反つて夷俗を欣慕せしむるに至る。異日狡夷をして之に乗じて以て愚民を蠱惑せしめば、則ち其の復た狗羯羶裘の俗に変ずる、孰か之を禁ずるを得ん。霜を履みて堅氷、漸は長ずべからず。其の広く害し深く蠹する所以の者、熟察して予め之が防ぎを為さざるべけんや。

現代語訳

しかし、神聖の大道はまだ明らかでなく、民心にはまだ拠り所がなく、国内の怪しげなものは相変わらず残っている。民が従うのは、巫覡や仏教でなければ、見識の狭い儒者や俗学である。たとえば、重い病がようやく去ったものの元気はまだ戻らず、その後の養生の手立ても立てていない人のようなものだ。内に主となるものがなければ、外から異物に移ろいやすい。そのうえ近ごろは蘭学なるものが現れた。その学はもともと通訳官から出たもので、オランダの文字を読んでその言葉を理解するにすぎず、本来は世に害のないものである。ところが聞きかじりの者たちが、西洋人の誇張した説を真に受けて盛んに褒めそやし、なかには書物を著して出版し、夷狄の風で我が国を変えようとする者まで出てきた。また珍しい玩具や不思議な薬など、目を奪い心をとろかすものも、その弊害が広がって人々にかえって異国の風俗を慕わせるに至っている。いつか狡猾な夷狄がこれにつけこんで愚かな民を惑わせば、我が国が再び獣皮をまとう夷狄の風俗に変わってしまうのを、誰が止められよう。「霜を踏めば堅い氷が来る」(『易経』坤卦)というように、兆しを育ててはならない。広く害し深くむしばむものは、よく見極めて前もって防がずにいられようか。

解説

正志斎は、民心に拠り所がない状態を「重病のあと元気が戻らない体」にたとえ、内に主がなければ外のものに移りやすいと説く。そのうえで蘭学そのものは語学として害はないとしながら、西洋の説を鵜呑みにして称揚する風潮と、珍奇な舶来品への憧れを警戒する。「履霜堅氷」は『易経』坤卦の言葉で、小さな兆しが大事に至ることを戒める。蘭学の評価は正志斎の立場からのもので、実際には蘭学が近代化の土台となった面も大きい。現代においては、新しい知識を取り入れるときこそ、自分たちの軸を持っておく大切さを示す一節として読める。

この章句が説くこと

民心蘭学兆し予防教化新論

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