史記 / 太史公自序
自曹參薦蓋公言黃老,而賈生、晁錯明申、商,公孫弘以儒顯,百年之閒,天下遺文古事靡不畢集太史公。太史公仍父子相續纂其職。曰:「於戲!余維先人嘗掌斯事,顯於唐虞,至于周,復典之,故司馬氏世主天官。至於余乎,欽念哉!欽念哉!」罔羅天下放失舊聞,王跡所興,原始察終,見盛觀衰,論考之行事,略推三代,錄秦漢,上記軒轅,下至于茲,著十二本紀,既科條之矣。并時異世,年差不明,作十表。禮樂損益,律歷改易,兵權山川鬼神,天人之際,承敝通變,作八書。二十八宿環北辰,三十輻共一轂,運行無窮,輔拂股肱之臣配焉,忠信行道,以奉主上,作三十世家。扶義俶儻,不令己失時,立功名於天下,作七十列傳。凡百三十篇,五十二萬六千五百字,為太史公書。序略,以拾遺補闕,成一家之言,厥協六經異傳,整齊百家雜語,藏之名山,副在京師,俟後世聖人君子。第七十。太史公曰:余述歷黃帝以來至太初而訖,百三十篇。
新字:自曹参薦蓋公言黄老,而賈生、晁錯明申、商,公孫弘以儒顕,百年之閒,天下遺文古事靡不畢集太史公。太史公仍父子相続纂其職。曰:「於戯!余維先人嘗掌斯事,顕於唐虞,至于周,復典之,故司馬氏世主天官。至於余乎,欽念哉!欽念哉!」罔羅天下放失旧聞,王跡所興,原始察終,見盛観衰,論考之行事,略推三代,録秦漢,上記軒轅,下至于茲,著十二本紀,既科条之矣。并時異世,年差不明,作十表。礼楽損益,律歴改易,兵権山川鬼神,天人之際,承敝通変,作八書。二十八宿環北辰,三十輻共一轂,運行無窮,輔払股肱之臣配焉,忠信行道,以奉主上,作三十世家。扶義俶儻,不令己失時,立功名於天下,作七十列伝。凡百三十篇,五十二万六千五百字,為太史公書。序略,以拾遺補闕,成一家之言,厥協六経異伝,整斉百家雑語,蔵之名山,副在京師,俟後世聖人君子。第七十。太史公曰:余述歴黄帝以来至太初而訖,百三十篇。
書き下し
曹参の蓋公を薦めて黄老を言ひしより、而して賈生・晁錯は申・商を明らかにし、公孫弘は儒を以て顕はる。百年の間、天下の遺文古事、畢く太史公に集まらざる靡し。太史公仍(よ)りて父子相続きて其の職を纂ぐ。曰く、「於戯、余維ふに先人嘗て斯の事を掌り、唐虞に顕はれ、周に至りて、復た之を典る。故に司馬氏は世々天官を主る。余に至るか、欽みて念はんかな、欽みて念はんかな」と。天下の放失せる旧聞を罔羅し、王跡の興る所、始めを原ね終はりを察し、盛んなるを見て衰ふるを観、之を行事に論考し、略々三代を推し、秦漢を録し、上は軒轅を記し、下は茲に至る。十二本紀を著し、既に之を科条す。時を並べ世を異にし、年差明らかならず、十表を作る。礼楽の損益、律暦の改易、兵権・山川・鬼神、天人の際、敝を承けて変に通ず。八書を作る。二十八宿は北辰を環り、三十輻は一轂を共にし、運行して窮まり無し。輔拂股肱の臣之に配し、忠信にして道を行ひ、以て主上に奉ず。三十世家を作る。義を扶けて俶儻、己をして時を失はしめず、功名を天下に立つ。七十列伝を作る。凡そ百三十篇、五十二万六千五百字、太史公書と為す。序略して、以て遺を拾ひ闕を補ひ、一家の言を成す。厥れ六経の異伝に協ひ、百家の雑語を整斉し、之を名山に蔵し、副は京師に在り、後世の聖人君子を俟つ。第七十。太史公曰く、余黄帝より以来を述歴して太初に至りて訖はる。百三十篇なり。
現代語訳
曹参が蓋公を推薦して黄帝・老子の学を説かせてから、賈誼・晁錯は申不害・商鞅の法家の学を明らかにし、公孫弘は儒学によって顕達した。この百年の間に、天下に残された文献や昔の出来事の記録は、ことごとく太史公のもとに集まった。太史公はそこで父子相次いでその職を継いだ。(父は)言った。「ああ、思えば、わが祖先はかつてこの職を司り、唐・虞の時代に名を現し、周に至って再びこれを司った。だから司馬氏は代々天官を司ってきた。それが私に至ったのだ。謹んで心に留めよ、謹んで心に留めよ」。(私は)天下に散逸した古い伝えを網羅し、王者の事績が興ったところについて、その始まりを尋ね終わりを見極め、盛んなさまを見て衰えるさまを観察し、それを実際の出来事に即して論じ考え、大まかに三代を推し量り、秦・漢を記録し、上は軒轅(黄帝)から記し、下は今に至った。十二本紀を著し、それを条目ごとに整えた。同じ時代でも国が異なり、年代の差がはっきりしないので、十表を作った。礼楽の増減、音律と暦の改定、兵権・山川・鬼神、天と人との関わりについて、弊害を受け継いで変化に通じさせるために、八書を作った。二十八宿が北極星をめぐり、三十本の輻が一つの轂に集まって、窮まりなく運行するように、補佐する手足の臣下がそれに配され、忠信によって道を行い、主君に仕える。そこで三十世家を作った。義を助けて才気にあふれ、時機を失わず、天下に功名を立てた。そこで七十列伝を作った。すべて百三十篇、五十二万六千五百字、これを太史公書とする。序にあらましを述べ、漏れたものを拾い欠けたものを補い、一家の言をなした。六経の異なる伝えに合わせ、諸子百家の雑多な言葉を整理し、これを名山に納め、副本は都に置いて、後世の聖人君子を待つ。第七十。太史公は言う。私は黄帝以来のことを述べて、太初に至って終えた。百三十篇である。
解説
関連する章句
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史記 太史公自序維れ昔、黄帝は天に法り地に則り、四聖序に遵ひ、各々法度を成す。唐堯位を遜り、虞舜台(よろこ)ばず。厥の帝功を美とし、万世之を載す。五帝本紀第一を作る。維れ禹の功、九州同じくする攸(ところ)、唐虞の際を光かし、徳は苗裔に流る。夏桀淫驕にして、乃ち鳴条に放たる。夏本紀第二を作る。維れ契は商を作し、爰に成湯に及ぶ。太甲は桐に居り、徳は阿衡に盛んなり。武丁は説を得て、乃ち高宗と称す。帝辛は湛湎し、諸侯享せず。殷本紀第三を作る。維れ棄は稷と作り、徳は西伯に盛んなり。武王は牧野にて、実に天下を撫す。幽・厲は昏乱し、既に酆・鎬を喪ふ。陵遅して赧に至り、洛邑祀らず。周本紀第四を作る。維れ秦の先、伯翳は禹を佐く。穆公は義を思ひ、豪の旅を悼む。人を以て殉と為し、詩は黄鳥を歌ふ。昭襄は帝を業とす。秦本紀第五を作る。始皇既に立ち、六国を并兼し、鋒を銷して鐻を鋳、維れ干革を偃(ふ)す。尊号して帝と称し、武を矜り力に任ず。二世運を受け、子嬰降虜す。始皇本紀第六を作る。秦其の道を失ひ、豪桀並び擾る。項梁之を業とし、子羽之に接す。慶を殺し趙を救ひ、諸侯之を立つ。嬰を誅し懐に背き、天下之を非とす。項羽本紀第七を作る。子羽は暴虐、漢は功徳を行ふ。蜀漢に憤発し、還りて三秦を定む。籍を誅して帝を業とし、天下惟れ寧く、制を改め俗を易ふ。高祖本紀第八を作る。恵の早く霣(お)ち、諸呂台ばず。禄・産を崇彊し、諸侯之を謀る。隠を殺し友を幽し、大臣洞疑し、遂に宗禍に及ぶ。呂太后本紀第九を作る。漢既に初めて興り、継嗣明らかならず。王を迎へて祚を践ましめ、天下心を帰す。肉刑を蠲除し、関梁を開通し、恩を広め博く施す。厥れ太宗と称す。孝文本紀第十を作る。諸侯驕恣にして、呉首として乱を為す。京師誅を行ひ、七国辜に伏す。天下翕然として、大いに安く殷富なり。孝景本紀第十一を作る。
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史記 太史公自序漢興りて五世、隆んなること建元に在り。外は夷狄を攘ひ、内は法度を修め、封禅し、正朔を改め、服色を易ふ。今上本紀第十二を作る。維れ三代は尚し。年紀考ふ可からず。蓋し之を譜牒の旧聞に取り、茲に本づき、是に於いて略々推す。三代世表第一を作る。幽・厲の後、周室衰微し、諸侯政を専らにし、春秋紀さざる所有り。而して譜牒経略し、五覇更々盛衰す。周の世の相先後するの意を睹んと欲し、十二諸侯年表第二を作る。春秋の後、陪臣政を秉り、彊国相王たり。以て秦に至り、卒に諸夏を并せ、封地を滅ぼし、其の号を擅にす。六国年表第三を作る。秦既に暴虐にして、楚人難を発し、項氏遂に乱し、漢乃ち義を扶けて征伐す。八年の間、天下三たび嬗(うつ)り、事繁く変衆し。故に詳らかに秦楚之際月表第四を著す。漢興りてより已来、太初に至るまで百年、諸侯の廃立分削、譜紀明らかならず、有司踵ぐ靡し。彊弱の原は世を以てすと云ふ。漢興已来諸侯年表第五を作る。維れ高祖の元功、輔臣股肱、符を剖きて爵し、沢は苗裔に流る。其の昭穆を忘れ、或いは身を殺し国を隕す。高祖功臣侯者年表第六を作る。恵・景の間、維れ功臣宗属の爵邑を申ぶ。恵景間侯者年表第七を作る。北は彊胡を討ち、南は勁越を誅し、夷蛮を征伐し、武功爰に列す。建元以来侯者年表第八を作る。諸侯既に彊く、七国従を為す。子弟衆多にして、爵封邑無し。恩を推し義を行ひ、其の埶銷弱し、徳は京師に帰す。王子侯者年表第九を作る。国に賢相良将有るは、民の師表なり。維れ漢興以来の将相名臣の年表を見るに、賢者は其の治を記し、不賢者は其の事を彰す。漢興以来将相名臣年表第十を作る。
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史記 太史公自序昔、顓頊に在りて、南正の重に命じて以て天を司らしめ、北正の黎をして以て地を司らしむ。唐虞の際、重黎の後を紹ぎ、復た之を典らしめ、夏商に至る。故に重黎氏は世々天地を序す。其の周に在りては、程伯休甫其の後なり。周の宣王の時に当たり、其の守を失ひて司馬氏と為る。司馬氏は世々周の史を典る。恵・襄の間、司馬氏周を去りて晋に適く。晋の中軍随会秦に奔り、而して司馬氏少梁に入る。司馬氏の周を去りて晋に適きしより、分散し、或いは衛に在り、或いは趙に在り、或いは秦に在り。其の衛に在る者は、中山に相たり。趙に在る者は、剣論を伝ふるを以て顕はる。蒯聵は其の後なり。秦に在る者は名は錯、張儀と争論す。是に於いて恵王、錯をして将として蜀を伐たしめ、遂に抜き、因りて之を守る。錯の孫の靳、武安君白起に事ふ。而して少梁は名を更めて夏陽と曰ふ。靳は武安君と趙の長平の軍を阬にし、還りて之と俱に死を杜郵に賜はり、華池に葬らる。靳の孫の昌、昌は秦の主鉄官と為る。始皇の時に当たる。蒯聵の玄孫の卬は武信君の将と為りて朝歌を徇ふ。諸侯の相王たるや、卬を殷に王とす。漢の楚を伐つや、卬漢に帰し、其の地を以て河内郡と為す。昌は無沢を生む。無沢は漢の市長と為る。無沢は喜を生む。喜は五大夫と為る。卒して、皆高門に葬らる。喜は談を生む。談は太史公と為る。太史公、天官を唐都に学び、易を楊何に受け、道論を黄子に習ふ。
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史記 太史公自序太史公遷の手を執りて泣きて曰く、「余の先は周室の太史なり。後世中に衰へ、予に絶えんか。汝復た太史と為らば、則ち吾が祖を続がん。余死せば、汝必ず太史と為れ、太史と為らば、吾が論著せんと欲する所を忘るる無かれ。且つ夫れ孝は親に事ふるに始まり、君に事ふるに中し、身を立つるに終はる。名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、此れ孝の大なる者なり。今漢興り、海内一統し、明主賢君忠臣死義の士あるも、余太史と為りて論載せずんば、天下の史文を廃せん、余甚だ懼る、汝其れ念へ」と。遷首を俯して涕を流して曰く、「小子不敏なれども、請ふ悉く先人の次する所の旧聞を論じ、敢へて闕くこと弗からん」と。
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史記 太史公自序且つ士賢能にして用ひられざるは、国を有つ者の恥なり。主上明聖にして徳布聞せざるは、有司の過ちなり。且つ余嘗て其の官を掌る。明聖盛徳を廃して載せず、功臣世家賢大夫の業を滅して述べず、先人の言ふ所を墮とさば、罪焉より大なるは莫し。余の所謂故事を述べ、其の世伝を整斉するは、所謂作るに非ざるなり。而るに君之を春秋に比するは、謬りなり」と。是に於いて其の文を論次す。
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史記 太史公自序信と魏を定め、趙を破り斉を抜き、遂に楚人を弱む。何に続きて相国たり、変ぜず革めず、黎庶寧き攸。参の功に伐らず能に矜らざるを嘉し、曹相国世家第二十四を作る。籌を帷幄の中に運らし、勝ちを無形に制す。子房、其の事を計謀し、知名無く、勇功無し。難を易に図り、大を細に為す。留侯世家第二十五を作る。六奇既に用ひられ、諸侯漢に賓従す。呂氏の事、平本謀を為し、終に宗廟を安んじ、社稷を定む。陳丞相世家第二十六を作る。諸呂従を為し、京師を弱めんと謀る。而して勃は経に反して権に合す。呉楚の兵、亜夫昌邑に駐り、以て斉趙を戹し、而して出だして委ぬるに梁を以てす。絳侯世家第二十七を作る。七国叛逆し、京師を蕃屏するは、唯だ梁のみ捍と為る。愛を偩み功に矜り、幾ど禍を獲んとす。其の能く呉楚を距ぐを嘉し、梁孝王世家第二十八を作る。五宗既に王たり、親属洽和し、諸侯大小藩と為り、爰に其の宜を得、僭擬の事稍々衰貶す。五宗世家第二十九を作る。三子の王たる、文辞観る可し。三王世家第三十を作る。末世利を争ふに、維れ彼は義に奔る。国を譲りて餓死し、天下之を称す。伯夷列伝第一を作る。晏子は倹、夷吾は則ち奢。斉桓以て覇たり、景公以て治まる。管晏列伝第二を作る。李耳は無為にして自ら化し、清浄にして自ら正し。韓非は事情を揣り、埶理に循ふ。老子韓非列伝第三を作る。古より王者にして司馬法有り、穰苴能く之を申明す。司馬穰苴列伝第四を作る。信廉仁勇に非ずんば兵を伝へ剣を論ずる能はず、道と符を同じくす。内は以て身を治む可く、外は以て変に応ず可し。君子徳を比す。孫子呉起列伝第五を作る。維れ建讒に遇ひ、爰に子奢に及ぶ。尚既に父を匡し、伍員呉に奔る。
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