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史記 / 太史公自序

與信定魏,破趙拔齊,遂弱楚人。續何相國,不變不革,黎庶攸寧。嘉參不伐功矜能,作曹相國世家第二十四。運籌帷幄之中,制勝於無形,子房計謀其事,無知名,無勇功,圖難於易,為大於細。作留侯世家第二十五。六奇既用,諸侯賓從於漢;呂氏之事,平為本謀,終安宗廟,定社稷。作陳丞相世家第二十六。諸呂為從,謀弱京師,而勃反經合於權;吳楚之兵,亞夫駐於昌邑,以戹齊趙,而出委以梁。作絳侯世家第二十七。七國叛逆,蕃屏京師,唯梁為捍;偩愛矜功,幾獲于禍。嘉其能距吳楚,作梁孝王世家第二十八。五宗既王,親屬洽和,諸侯大小為藩,爰得其宜,僭擬之事稍衰貶矣。作五宗世家第二十九。三子之王,文辭可觀。作三王世家第三十。末世爭利,維彼奔義;讓國餓死,天下稱之。作伯夷列傳第一。晏子儉矣,夷吾則奢;齊桓以霸,景公以治。作管晏列傳第二。李耳無為自化,清凈自正;韓非揣事情,循埶理。作老子韓非列傳第三。自古王者而有司馬法,穰苴能申明之。作司馬穰苴列傳第四。非信廉仁勇不能傳兵論劍,與道同符,內可以治身,外可以應變,君子比德焉。作孫子吳起列傳第五。維建遇讒,爰及子奢,尚既匡父,伍員奔吳。

新字:与信定魏,破趙抜斉,遂弱楚人。続何相国,不変不革,黎庶攸寧。嘉参不伐功矜能,作曹相国世家第二十四。運籌帷幄之中,制勝於無形,子房計謀其事,無知名,無勇功,図難於易,為大於細。作留侯世家第二十五。六奇既用,諸侯賓従於漢;呂氏之事,平為本謀,終安宗廟,定社稷。作陳丞相世家第二十六。諸呂為従,謀弱京師,而勃反経合於権;呉楚之兵,亜夫駐於昌邑,以戹斉趙,而出委以梁。作絳侯世家第二十七。七国叛逆,蕃屏京師,唯梁為捍;偩愛矜功,幾獲于禍。嘉其能距呉楚,作梁孝王世家第二十八。五宗既王,親属洽和,諸侯大小為藩,爰得其宜,僭擬之事稍衰貶矣。作五宗世家第二十九。三子之王,文辞可観。作三王世家第三十。末世争利,維彼奔義;譲国餓死,天下称之。作伯夷列伝第一。晏子倹矣,夷吾則奢;斉桓以覇,景公以治。作管晏列伝第二。李耳無為自化,清浄自正;韓非揣事情,循埶理。作老子韓非列伝第三。自古王者而有司馬法,穰苴能申明之。作司馬穰苴列伝第四。非信廉仁勇不能伝兵論剣,与道同符,内可以治身,外可以応変,君子比徳焉。作孫子呉起列伝第五。維建遇讒,爰及子奢,尚既匡父,伍員奔呉。

書き下し

信と魏を定め、趙を破り斉を抜き、遂に楚人を弱む。何に続きて相国たり、変ぜず革めず、黎庶寧き攸。参の功に伐らず能に矜らざるを嘉し、曹相国世家第二十四を作る。籌を帷幄の中に運らし、勝ちを無形に制す。子房、其の事を計謀し、知名無く、勇功無し。難を易に図り、大を細に為す。留侯世家第二十五を作る。六奇既に用ひられ、諸侯漢に賓従す。呂氏の事、平本謀を為し、終に宗廟を安んじ、社稷を定む。陳丞相世家第二十六を作る。諸呂従を為し、京師を弱めんと謀る。而して勃は経に反して権に合す。呉楚の兵、亜夫昌邑に駐り、以て斉趙を戹し、而して出だして委ぬるに梁を以てす。絳侯世家第二十七を作る。七国叛逆し、京師を蕃屏するは、唯だ梁のみ捍と為る。愛を偩み功に矜り、幾ど禍を獲んとす。其の能く呉楚を距ぐを嘉し、梁孝王世家第二十八を作る。五宗既に王たり、親属洽和し、諸侯大小藩と為り、爰に其の宜を得、僭擬の事稍々衰貶す。五宗世家第二十九を作る。三子の王たる、文辞観る可し。三王世家第三十を作る。末世利を争ふに、維れ彼は義に奔る。国を譲りて餓死し、天下之を称す。伯夷列伝第一を作る。晏子は倹、夷吾は則ち奢。斉桓以て覇たり、景公以て治まる。管晏列伝第二を作る。李耳は無為にして自ら化し、清浄にして自ら正し。韓非は事情を揣り、埶理に循ふ。老子韓非列伝第三を作る。古より王者にして司馬法有り、穰苴能く之を申明す。司馬穰苴列伝第四を作る。信廉仁勇に非ずんば兵を伝へ剣を論ずる能はず、道と符を同じくす。内は以て身を治む可く、外は以て変に応ず可し。君子徳を比す。孫子呉起列伝第五を作る。維れ建讒に遇ひ、爰に子奢に及ぶ。尚既に父を匡し、伍員呉に奔る。

現代語訳

(曹参は)韓信とともに魏を平定し、趙を破り斉を攻め取って、ついに楚の勢いを弱めた。蕭何に続いて相国となり、制度を変えず改めなかったので、民は安らかであった。曹参が功績を誇らず才能を自慢しなかったことをたたえて、曹相国世家第二十四を作った。本陣の帳の中で計略をめぐらし、形に現れないうちに勝利を決めた。張子房(張良)はその事を謀ったが、知恵者としての名声もなく、勇敢な戦功もなかった。難しいことを易しいうちに図り、大きなことを小さいうちに処理した。そこで留侯世家第二十五を作った。陳平の六つの奇計が用いられ、諸侯は漢に服従した。呂氏の事件では、陳平が根本の謀を立て、ついに宗廟を安泰にし、国家を安定させた。そこで陳丞相世家第二十六を作った。呂氏一族が結託して、都の皇室を弱めようと謀った。そこで周勃は常道に反してでも臨機の処置にかなう行動をとった。呉楚の反乱では、周亜夫が昌邑に駐屯して斉・趙の兵を食い止め、梁を(呉楚の攻撃に)任せて持ちこたえさせた。そこで絳侯世家第二十七を作った。七国が反逆したとき、都の守りの垣根となったのは、ただ梁だけであった。(梁孝王は)母の寵愛を頼み功績を誇って、あやうく禍を招くところであった。呉楚の軍を防いだことをたたえて、梁孝王世家第二十八を作った。景帝の五人の妃の子たちが王となり、親族は和やかにまとまり、諸侯は大小それぞれ守りとなって、その宜しきを得て、分を越えた振る舞いは次第に少なくなった。そこで五宗世家第二十九を作った。武帝の三人の皇子が王に立てられたときの文辞は、見るべきものがある。そこで三王世家第三十を作った。末世に人々が利を争う中で、彼ら(伯夷・叔斉)だけは義に走った。国を譲って餓死し、天下はこれをたたえた。そこで伯夷列伝第一を作った。晏子は倹約であり、夷吾(管仲)はぜいたくであった。斉の桓公は管仲によって覇者となり、景公は晏子によって国が治まった。そこで管晏列伝第二を作った。李耳(老子)は無為であって民はおのずと感化され、清らかで静かであって民はおのずと正しくなる。韓非は物事の実情を推し量り、勢いと道理に従った。そこで老子韓非列伝第三を作った。昔から王者には司馬法があり、司馬穰苴はよくそれを明らかにした。そこで司馬穰苴列伝第四を作った。信・廉・仁・勇を備えていなければ、兵法を伝え剣術を論じることはできない。それは道と一致するもので、内には身を修めることができ、外には変事に応じることができる。君子は(兵法に)徳をなぞらえる。そこで孫子呉起列伝第五を作った。(楚の太子)建が讒言にあい、その災いは(守り役の)伍奢にまで及んだ。伍尚は父を救おうとして(ともに死に)、伍員(伍子胥)は呉に逃れた。

解説

世家の最後と、列伝の始まりの篇目解説です。曹参は蕭何の定めた制度を変えずに民を安んじ、功を誇らなかったこと、張良は帳の中で計略をめぐらし、形に現れないうちに勝ちを決め、難事を易しいうちに、大事を小さいうちに処理したことがたたえられます。張良について、知恵者の名声も武勇の功もなかったと書くのは、最高の働きは目立たないという逆説です。列伝は、利を争う世にあえて義に殉じた伯夷から始まります。続いて管仲と晏子、老子と韓非、司馬穰苴、孫子と呉起が並び、兵法を伝えるには信・廉・仁・勇の徳が必要で、兵法は身を修めることにも通じると述べます。問題が大きくなる前に手を打つ人の働きは、表に出にくいため評価されにくいものです。しかし、火事を消した人より、火事を起こさなかった人の方が本当は大きな仕事をしているのかもしれません。

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