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史記 / 太史公自序

嘉威、宣能撥濁世而獨宗周,作田敬仲完世家第十六。周室既衰,諸侯恣行。仲尼悼禮廢樂崩,追修經術,以達王道,匡亂世反之於正,見其文辭,為天下制儀法,垂六藝之統紀於後世。作孔子世家第十七。桀、紂失其道而湯、武作,周失其道而春秋作。秦失其政,而陳涉發跡,諸侯作難,風起雲蒸,卒亡秦族。天下之端,自涉發難。作陳涉世家第十八。成皋之臺,薄氏始基。詘意適代,厥崇諸竇。栗姬偩貴,王氏乃遂。陳後太驕,卒尊子夫。嘉夫德若斯,作外戚世家十九。漢既譎謀,禽信於陳;越荊剽輕,乃封弟交為楚王,爰都彭城,以彊淮泗,為漢宗藩。戊溺於邪,禮復紹之。嘉游輔祖,作楚元王世家二十。維祖師旅,劉賈是與;為布所襲,喪其荊、吳。營陵激呂,乃王瑯邪;怵午信齊,往而不歸,遂西入關,遭立孝文,獲復王燕。天下未集,賈、澤以族,為漢藩輔。作荊燕世家第二十一。天下已平,親屬既寡;悼惠先壯,實鎮東土。哀王擅興,發怒諸呂,駟鈞暴戾,京師弗許。厲之內淫,禍成主父。嘉肥股肱,作齊悼惠王世家第二十二。楚人圍我滎陽,相守三年;蕭何填撫山西,推計踵兵,給糧食不絕,使百姓愛漢,不樂為楚。作蕭相國世家第二十三。

新字:嘉威、宣能撥濁世而独宗周,作田敬仲完世家第十六。周室既衰,諸侯恣行。仲尼悼礼廃楽崩,追修経術,以達王道,匡乱世反之於正,見其文辞,為天下制儀法,垂六芸之統紀於後世。作孔子世家第十七。桀、紂失其道而湯、武作,周失其道而春秋作。秦失其政,而陳渉発跡,諸侯作難,風起雲蒸,卒亡秦族。天下之端,自渉発難。作陳渉世家第十八。成皋之台,薄氏始基。詘意適代,厥崇諸竇。栗姫偩貴,王氏乃遂。陳後太驕,卒尊子夫。嘉夫徳若斯,作外戚世家十九。漢既譎謀,禽信於陳;越荊剽軽,乃封弟交為楚王,爰都彭城,以彊淮泗,為漢宗藩。戊溺於邪,礼復紹之。嘉游輔祖,作楚元王世家二十。維祖師旅,劉賈是与;為布所襲,喪其荊、呉。営陵激呂,乃王瑯邪;怵午信斉,往而不帰,遂西入関,遭立孝文,獲復王燕。天下未集,賈、沢以族,為漢藩輔。作荊燕世家第二十一。天下已平,親属既寡;悼恵先壮,実鎮東土。哀王擅興,発怒諸呂,駟鈞暴戻,京師弗許。厲之内淫,禍成主父。嘉肥股肱,作斉悼恵王世家第二十二。楚人囲我滎陽,相守三年;蕭何填撫山西,推計踵兵,給糧食不絶,使百姓愛漢,不楽為楚。作蕭相国世家第二十三。

書き下し

威・宣の能く濁世を撥めて独り周を宗とするを嘉し、田敬仲完世家第十六を作る。周室既に衰へ、諸侯恣に行ふ。仲尼礼廃れ楽崩るるを悼み、経術を追修し、以て王道を達し、乱世を匡して之を正に反し、其の文辞を見はし、天下の為に儀法を制し、六芸の統紀を後世に垂る。孔子世家第十七を作る。桀・紂其の道を失ひて湯・武作り、周其の道を失ひて春秋作る。秦其の政を失ひて、陳渉跡を発し、諸侯難を作し、風起こり雲蒸し、卒に秦族を亡ぼす。天下の端は、渉の難を発せしより。陳渉世家第十八を作る。成皋の台、薄氏始めて基す。意を詘めて代に適き、厥れ諸竇を崇ぶ。栗姫は貴を偩(たの)み、王氏乃ち遂ぐ。陳後太だ驕り、卒に子夫を尊ぶ。夫の徳の斯くの若きを嘉し、外戚世家十九を作る。漢既に謀を譎(いつは)り、信を陳に禽にす。越・荊は剽軽なり。乃ち弟の交を封じて楚王と為し、爰に彭城に都し、以て淮泗を彊くし、漢の宗藩と為す。戊は邪に溺れ、礼復た之を紹ぐ。游の祖を輔くるを嘉し、楚元王世家二十を作る。維れ祖の師旅、劉賈是れ与る。布の襲ふ所と為り、其の荊・呉を喪ふ。営陵は呂を激し、乃ち瑯邪に王たり。午を怵れ斉を信じ、往きて帰らず。遂に西して関に入り、孝文を立つるに遭ひ、復た燕に王たるを獲。天下未だ集まらず、賈・沢は族を以て、漢の藩輔と為る。荊燕世家第二十一を作る。天下已に平らぎ、親属既に寡し。悼恵先づ壮にして、実に東土を鎮む。哀王擅に興し、諸呂に怒りを発す。駟鈞暴戻にして、京師許さず。厲の内淫、禍は主父に成る。肥の股肱を嘉し、斉悼恵王世家第二十二を作る。楚人我を滎陽に囲み、相守ること三年。蕭何、山西を填撫し、計を推し兵を踵ぎ、糧食を給して絶えず、百姓をして漢を愛して楚たるを楽しまざらしむ。蕭相国世家第二十三を作る。

現代語訳

威王・宣王が濁った世を治め、ただ斉だけが周を宗主として尊んだことをたたえて、田敬仲完世家第十六を作った。周王室が衰えると、諸侯は勝手気ままに振る舞った。仲尼(孔子)は礼が廃れ楽が崩れたことを悼み、経書の学を修め直して王道を行き渡らせ、乱世を正して正しい状態に戻し、その文辞を示して天下のために規範を定め、六経の体系を後世に残した。そこで孔子世家第十七を作った。桀・紂が道を失うと湯王・武王が興り、周が道を失うと春秋が作られた。秦が政治を誤ると、陳渉が決起し、諸侯が反乱を起こし、風が起こり雲がわき上がるように広がって、ついに秦の一族を滅ぼした。天下の変革の始まりは、陳渉が反乱を起こしたことにある。そこで陳渉世家第十八を作った。成皋の台で、薄氏(文帝の母)の地位の基が始まった。心を抑えて代に行き、そのことが竇氏一族を尊ぶことにつながった。栗姫は貴い身分を頼んで驕ったので、王氏(景帝の王皇后)が思いを遂げた。陳皇后ははなはだ驕ったので、ついに衛子夫が尊ばれた。衛子夫の徳がこのようであったことをたたえて、外戚世家第十九を作った。漢は偽りの謀略を用いて、韓信を陳で捕らえた。越や荊の人々はすばしこく軽はずみである。そこで弟の劉交を楚王に封じ、彭城を都とさせて淮水・泗水の地を固め、漢の宗室の守りとした。劉戊は邪道におぼれたが、劉礼が再び楚を継いだ。劉交(字は游)が高祖を補佐したことをたたえて、楚元王世家第二十を作った。高祖の軍には劉賈が加わっていた。黥布に襲われて、荊・呉の地を失った。営陵侯(劉沢)は呂氏をけしかけて、瑯邪王となった。祝午を恐れながら斉を信じてしまい、斉に行ったまま帰れなかった。そこで西へ向かって関中に入り、孝文帝を擁立するのに加わって、再び燕王となることができた。天下がまだまとまらないとき、劉賈・劉沢は一族として漢の守りとなった。そこで荊燕世家第二十一を作った。天下が平定されたが、皇族はまだ少なかった。悼恵王(劉肥)が最初に成人しており、東方の地を鎮めた。哀王は勝手に兵を挙げ、呂氏一族に怒りを発した。(しかし母方の)駟鈞が乱暴であったので、都の大臣たちは哀王の即位を認めなかった。厲王の後宮での淫乱は、主父偃による禍を招いた。劉肥が漢の手足となったことをたたえて、斉悼恵王世家第二十二を作った。楚の人々がわが軍を滎陽で囲み、三年にわたって対峙した。蕭何は山西(関中)を鎮め安んじ、計画を立てて兵を次々と送り、食糧の補給を絶やさず、民に漢を慕わせて楚に従うことを望まないようにさせた。そこで蕭相国世家第二十三を作った。

解説

世家の篇目解説の続きで、田斉から蕭何までの世家が並びます。孔子を諸侯と並ぶ世家に入れたのは、位はなくとも六経の体系を後世に伝えた功績が王侯に匹敵すると見たからです。陳渉も、一介の農民ながら秦を倒す口火を切ったとして世家に列し、湯武の革命や孔子の春秋と並べて「天下の端」と評価しています。身分より、歴史に与えた影響で人を位置づける司馬遷の姿勢がよくわかります。外戚世家では、驕った栗姫や陳皇后が退けられ、慎み深い薄氏や衛子夫が栄えたと記されます。蕭何は、項羽と三年対峙する間、関中を治めて兵と食糧を絶やさず送り続け、民の心を漢につなぎとめました。前線の華々しい戦いの陰で、後方を支え続けた働きこそが勝利を決めたという評価です。目立つ成果の裏で補給と基盤を守る仕事の価値を、正しく見る目を持ちたいものです。

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