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史記 / 太史公自序

嘉文公錫珪鬯,作晉世家第九。重黎業之,吳回接之;殷之季世,粥子牒之。周用熊繹,熊渠是續。莊王之賢,乃復國陳;既赦鄭伯,班師華元。懷王客死,蘭咎屈原;好諛信讒,楚并於秦。嘉莊王之義,作楚世家第十。少康之子,實賓南海,文身斷髮,黿鱓與處,既守封禺,奉禹之祀。句踐困彼,乃用種、蠡。嘉句踐夷蠻能修其德,滅彊吳以尊周室,作越王句踐世家第十一。桓公之東,太史是庸。及侵周禾,王人是議。祭仲要盟,鄭久不昌。子產之仁,紹世稱賢。三晉侵伐,鄭納於韓。嘉厲公納惠王,作鄭世家第十二。維驥騄耳,乃章造父。趙夙事獻,衰續厥緒。佐文尊王,卒為晉輔。襄子困辱,乃禽智伯。主父生縛,餓死探爵。王遷辟淫,良將是斥。嘉鞅討周亂,作趙世家第十三。畢萬爵魏,卜人知之。及絳戮干,戎翟和之。文侯慕義,子夏師之。惠王自矜,齊秦攻之。既疑信陵,諸侯罷之。卒亡大梁,王假廝之。嘉武佐晉文申霸道,作魏世家第十四。韓厥陰德,趙武攸興。紹絕立廢,晉人宗之。昭侯顯列,申子庸之。疑非不信,秦人襲之。嘉厥輔晉匡周天子之賦,作韓世家第十五。完子避難,適齊為援,陰施五世,齊人歌之。成子得政,田和為侯。王建動心,乃遷于共。

新字:嘉文公錫珪鬯,作晋世家第九。重黎業之,呉回接之;殷之季世,粥子牒之。周用熊繹,熊渠是続。荘王之賢,乃復国陳;既赦鄭伯,班師華元。懐王客死,蘭咎屈原;好諛信讒,楚并於秦。嘉荘王之義,作楚世家第十。少康之子,実賓南海,文身断髪,黿鱓与処,既守封禺,奉禹之祀。句践困彼,乃用種、蠡。嘉句践夷蠻能修其徳,滅彊呉以尊周室,作越王句践世家第十一。桓公之東,太史是庸。及侵周禾,王人是議。祭仲要盟,鄭久不昌。子産之仁,紹世称賢。三晋侵伐,鄭納於韓。嘉厲公納恵王,作鄭世家第十二。維驥騄耳,乃章造父。趙夙事献,衰続厥緒。佐文尊王,卒為晋輔。襄子困辱,乃禽智伯。主父生縛,餓死探爵。王遷辟淫,良将是斥。嘉鞅討周乱,作趙世家第十三。畢万爵魏,卜人知之。及絳戮干,戎翟和之。文侯慕義,子夏師之。恵王自矜,斉秦攻之。既疑信陵,諸侯罷之。卒亡大梁,王仮廝之。嘉武佐晋文申覇道,作魏世家第十四。韓厥陰徳,趙武攸興。紹絶立廃,晋人宗之。昭侯顕列,申子庸之。疑非不信,秦人襲之。嘉厥輔晋匡周天子之賦,作韓世家第十五。完子避難,適斉為援,陰施五世,斉人歌之。成子得政,田和為侯。王建動心,乃遷于共。

書き下し

文公の珪鬯を錫はるを嘉し、晋世家第九を作る。重黎之を業とし、呉回之に接す。殷の季世、粥子之を牒す。周熊繹を用ひ、熊渠是れ続ぐ。荘王の賢、乃ち陳を復国し、既に鄭伯を赦し、師を華元に班(かへ)す。懐王客死し、蘭屈原を咎む。諛ひを好み讒を信じ、楚秦に并せらる。荘王の義を嘉し、楚世家第十を作る。少康の子、実に南海に賓し、文身断髪して、黿鱓と与に処り、既に封禺を守り、禹の祀を奉ず。句践彼に困しみ、乃ち種・蠡を用ふ。句践の夷蛮にして能く其の徳を修め、彊呉を滅ぼして以て周室を尊ぶを嘉し、越王句践世家第十一を作る。桓公の東するや、太史是れ庸ふ。周の禾を侵すに及び、王人是れ議す。祭仲盟を要し、鄭久しく昌えず。子産の仁、世を紹ぎて賢と称せらる。三晋侵伐し、鄭韓に納る。厲公の恵王を納るるを嘉し、鄭世家第十二を作る。維れ驥・騄耳、乃ち造父を章かにす。趙夙は献に事へ、衰厥の緒を続ぐ。文を佐けて王を尊び、卒に晋の輔と為る。襄子困辱せられ、乃ち智伯を禽にす。主父生きながら縛られ、餓死して爵を探る。王遷辟淫にして、良将是れ斥けらる。鞅の周の乱を討つを嘉し、趙世家第十三を作る。畢万魏に爵せらるるや、卜人之を知る。絳の干を戮するに及び、戎翟之に和す。文侯義を慕ひ、子夏之を師とす。恵王自ら矜り、斉秦之を攻む。既に信陵を疑ひ、諸侯之を罷む。卒に大梁を亡ひ、王假之に廝たり。武の晋文を佐けて覇道を申ぶるを嘉し、魏世家第十四を作る。韓厥の陰徳、趙武興る攸。絶えたるを紹ぎ廃れたるを立て、晋人之を宗とす。昭侯列に顕はれ、申子之を庸ふ。非を疑ひ信ぜず、秦人之を襲ふ。厥の晋を輔け周の天子の賦を匡すを嘉し、韓世家第十五を作る。完子難を避け、斉に適きて援と為る。陰かに施すこと五世、斉人之を歌ふ。成子政を得、田和侯と為る。王建心を動かし、乃ち共に遷さる。

現代語訳

(晋の)文公が(周王から)珪と香酒を賜ったことをたたえて、晋世家第九を作った。重黎が(楚の祖として)事業を始め、呉回がそれを継いだ。殷の末期には、粥子(鬻熊)がその系譜を記した。周は熊繹を用い、熊渠がそれを継いだ。荘王は賢く、陳を再び国として立て、鄭伯を許し、華元(宋の大夫)との盟約によって軍を引き返させた。懐王は秦で客死し、子蘭は屈原をとがめた。へつらいを好み讒言を信じたので、楚は秦に併合された。荘王の義をたたえて、楚世家第十を作った。少康の子は南海の地に封ぜられ、体に入れ墨をし髪を短く切り、すっぽんやうなぎとともに暮らし、封山・禺山を守って禹の祭祀を奉じた。句践はかの地で苦しみ、文種と范蠡を用いた。句践が夷蛮の地にありながらよく徳を修め、強い呉を滅ぼして周王室を尊んだことをたたえて、越王句践世家第十一を作った。桓公が東へ移ったのは、太史(伯)の言を用いたからである。周の稲を刈り取るに至ると、王の臣はこれを非難した。祭仲が(宋に)盟約を強いられ、鄭は長く栄えなかった。子産の仁は、代々賢者として称えられた。三晋が侵略し、鄭は韓に併合された。厲公が恵王を(周に)迎え入れたことをたたえて、鄭世家第十二を作った。驥や騄耳といった名馬が、造父の名を輝かせた。趙夙は晋の献公に仕え、趙衰がその家業を継いだ。文公を助けて王を尊び、ついに晋の補佐役となった。趙襄子は苦しめられ辱められたが、ついに智伯を捕らえた。主父(武霊王)は生きながら閉じ込められ、飢えて雀の雛を探して食べるまでになって死んだ。王遷はよこしまでみだらであったので、良将(李牧)を退けた。趙鞅が周の乱を討ったことをたたえて、趙世家第十三を作った。畢万が魏に封ぜられたとき、占い師はその繁栄を予知していた。魏絳が(悼公の弟の御者)楊干を処罰すると、戎・狄は晋と和睦した。文侯は義を慕い、子夏を師とした。恵王はうぬぼれて、斉・秦に攻められた。信陵君を疑ったので、諸侯は(魏と結ぶことを)やめた。ついに大梁を失い、王假は(秦の)召使いとなった。魏武子が晋の文公を助けて覇道を広めたことをたたえて、魏世家第十四を作った。韓厥の陰徳によって、趙武は興ることができた。絶えた家を継がせ廃れた者を立てたので、晋の人々は韓厥を尊んだ。昭侯は諸侯の列に名を現し、申不害を用いた。韓非を疑って信じなかったので、秦に襲われた。韓厥が晋を補佐し、周の天子への貢納を正したことをたたえて、韓世家第十五を作った。陳完は難を避けて斉に行き、援助を得た。ひそかに恩恵を施すこと五代、斉の人々はこれを歌にした。田成子が政権を握り、田和は諸侯となった。王建は(秦の誘いに)心を動かされ、共の地に移された。

解説

世家の篇目解説の続きで、晋・楚・越・鄭・趙・魏・韓・田斉の各世家の要点です。楚は荘王の義で栄えたが、懐王が讒言を信じて屈原を退け、秦に併合されました。越王句践は夷蛮の地にありながら徳を修めて強国呉を滅ぼし、鄭は子産の仁で名を残しました。趙の武霊王は息子たちの争いに巻き込まれ、宮殿に閉じ込められて雀の雛を探して食べるほど飢えて死に、最後の王遷は名将李牧を退けて滅びます。魏は信陵君を疑って諸侯の信頼を失い、韓は韓非を疑って用いず、秦に襲われました。優れた人物を用いれば栄え、疑って退ければ滅ぶという型が、国を変えて何度も現れます。韓厥の陰徳が趙氏を救い、田氏の五代にわたるひそかな施しが斉を得る基となったように、目立たない善行が長い時を経て実を結ぶ例も並んでいます。人を疑って遠ざけるより、信じて生かす方が組織は強くなるのです。

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