智囊 / 辯才・陳軫
軫為人臣,而常以國情輸楚,楚王必不留臣,昭陽將不與臣從事矣,以此明臣之楚與不。」軫出,張儀入,問王曰:「陳軫果安之?」王曰:「夫軫,天下之辯士也,熟視寡人曰:『軫必之楚。』寡人遂無奈何也。寡人因問曰:『子必之楚也,則儀之言果信也。』軫曰:『非獨儀之言,行道之人皆知之。昔者子胥忠其君,天下皆欲以為臣;孝己愛其親,天下皆欲以為子。故賣僕妾不出里巷而取者,良僕妾也;出婦嫁於鄉里者,善婦也。臣不忠於王,楚何以軫為忠?忠且見棄,軫不之楚而何之乎?』」王以為然,遂善待之。
新字:軫為人臣,而常以国情輸楚,楚王必不留臣,昭陽将不与臣従事矣,以此明臣之楚与不。」軫出,張儀入,問王曰:「陳軫果安之?」王曰:「夫軫,天下之弁士也,熟視寡人曰:『軫必之楚。』寡人遂無奈何也。寡人因問曰:『子必之楚也,則儀之言果信也。』軫曰:『非独儀之言,行道之人皆知之。昔者子胥忠其君,天下皆欲以為臣;孝己愛其親,天下皆欲以為子。故売僕妾不出里巷而取者,良僕妾也;出婦嫁於郷里者,善婦也。臣不忠於王,楚何以軫為忠?忠且見棄,軫不之楚而何之乎?』」王以為然,遂善待之。
書き下し
軫、人臣為りて、常に国情を以て楚に輸さば、楚王必ず臣を留めず、昭陽は将に臣と事に従わざらんとす。此れを以て臣の楚に之くと不とを明らかにせん」。軫出で、張儀入り、王に問いて曰く、「陳軫は果たして安くにか之く」。王曰く、「夫れ軫は天下の辯士なり。熟ら寡人を視て曰く、『軫は必ず楚に之かん』と。寡人遂に奈何ともする無し。寡人因りて問いて曰く、『子必ず楚に之かば、則ち儀の言は果たして信なり』と。軫曰く、『独り儀の言のみに非ず、行道の人も皆之を知る。昔者、子胥は其の君に忠にして、天下皆以て臣と為さんと欲す。孝己は其の親を愛して、天下皆以て子と為さんと欲す。故に僕妾を売りて里巷を出でずして取らるる者は、良き僕妾なり。婦を出して郷里に嫁ぐ者は、善き婦なり。臣、王に忠ならずんば、楚何を以て軫を忠と為さん。忠にして且つ棄てられなば、軫、楚に之かずして何くにか之かん』と」。王、以て然りと為し、遂に之を善く待せり。
現代語訳
「私が人の臣でありながら、いつも国の事情を楚に流していたなら、楚王は決して私を留めず、昭陽も私と一緒に仕事をしないでしょう。これによって、私が楚へ行くか行かないかを明らかにします。」陳軫が退出し、張儀が入って、王に尋ねました。「陳軫はけっきょくどこへ行くのですか。」王は言いました。「軫は天下の弁士だ。じっと私を見て、『軫は必ず楚へ行きます』と言った。私はどうすることもできなかった。私がさらに問い、『あなたが必ず楚へ行くなら、張儀の言葉は本当だったことになる』と言うと、軫は答えた。『張儀の言葉だけでなく、道行く人もみな知っています。昔、伍子胥は主君に忠実でしたが、天下の人がみな臣にしたがりました。孝己は親を愛しましたが、天下の人がみな子にしたがりました。ですから、奴婢を売って村の外へ出さずに買われるのは良い奴婢であり、離縁された妻が同じ郷里で嫁げるのは良い妻です。私が王に忠実でなければ、楚はどうして私を忠実と見なすでしょうか。忠実でありながら見捨てられるなら、私は楚へ行かずにどこへ行くでしょう。』」王はもっともだと考え、陳軫を手厚く遇しました。
解説
この章句が説くこと
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史記 魯仲連鄒陽列伝蘇秦燕に相たり、燕人之を王に悪す。王剣を按じて怒り、食はすに駃騠を以てす。白圭中山に顕はる。中山の人之を魏の文侯に悪す。文侯之に投ずるに夜光の璧を以てす。何となれば、両主二臣、心を剖き肝を坼きて相信ず。豈に浮辞に移らんや。故に女に美悪無く、宮に入れば妒まる。士に賢不肖無く、朝に入れば嫉まる。昔者、司馬喜は宋に髕脚せられ、卒に中山に相たり。范睢は魏に脅を摺かれ歯を折られ、卒に応侯と為る。此の二人は、皆必然の画を信じ、朋党の私を捐て、孤独の位を挟む。故に自ら嫉妒の人より免るる能はざるなり。是を以て申徒狄は自ら河に沈み、徐衍は石を負ひて海に入る。世に容れられず、義茍取せず、朝に比周して以て主上の心を移さず。故に百里奚は路に食を乞ふも、繆公之に委ぬるに政を以てす。甯戚は車下に牛を飯ふも、而して桓公之に任ずるに国を以てす。此の二人は、豈に宦を朝に借り、誉を左右に仮りて、然る後に二主之を用ひんや。心に感じ、行に合ひ、膠漆より親しく、昆弟も離す能はず。豈に衆口に惑はんや。故に偏聴は姦を生じ、独任は乱を成す。昔者、魯は季孫の説を聴きて孔子を逐ひ、宋は子罕の計を信じて墨翟を囚ふ。夫れ孔・墨の弁を以てするも、自ら讒諛より免るる能はずして、二国以て危し。何となれば、衆口は金を鑠かし、積毀は骨を銷せばなり。是を以て秦は戎人由余を用ひて中国に霸たり、斉は越人蒙を用ひて威・宣を彊くす。此の二国は、豈に俗に拘はり、世に牽かれ、阿偏の辞に系らんや。公聴并観して、名を当世に垂る。故に意合へば則ち胡越も昆弟と為る、由余・越人蒙是なり。合はざれば則ち骨肉も出逐して収めず、朱・象・管・蔡是なり。今、人主誠に能く斉・秦の義を用ひ、宋・魯の聴を後にせば、則ち五伯も称するに足らず、三王も為し易きなり。
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説苑・雜言楚の昭王、孔子を召し、将に執政たらしめて書社七百を以て封ぜんとす。子西楚王に謂いて曰く、「王の臣、兵を用うること子路の如き者有りや。諸侯に使いすること宰予の如き者有りや。五官を長とすること子貢の如き者有りや。昔、文王は酆に処り、武王は鎬に処りて百乗の地を間にし、上を伐ち主を殺して立ちて天子と為るや、世皆聖と曰う。王今孔子の賢を以て書社七百里の地を有し、三子之を佐くれば、楚の利に非ざるなり」と。楚王遂に止む。夫れ善悪の分かち難きや、聖人独り疑いを見る、況んや賢者に於いてをや。是を以て賢聖合すること罕にして、諂諛常に興る。故に千歳の乱有りて百歳の治無し。孔子の疑いを見らるる、豈に痛ましからずや。
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史記 魯仲連鄒陽列伝鄒陽は、斉人なり。梁に游び、故の呉人荘忌夫子・淮陰の枚生の徒と交はる。書を上りて羊勝・公孫詭の間に介す。勝等鄒陽を嫉み、之を梁の孝王に悪す。孝王怒り、之を吏に下し、将に之を殺さんと欲す。鄒陽客游して、讒を以て禽へらる。死して負累せんことを恐れ、乃ち獄中より書を上りて曰く、臣聞く、忠は報いられざる無く、信は疑はれずと。臣常に以て然りと為せしも、徒だ虚語のみ。昔者、荊軻は燕丹の義を慕ひ、白虹日を貫くも、太子之を畏る。衛先生は秦の為に長平の事を画し、太白昴を蝕すも、昭王之を疑ふ。夫れ精は天地を変ずるも、信は両主に喩らず。豈に哀しからずや。今、臣忠を尽くし誠を竭くし、議を畢くして知られんことを願ふも、左右明らかならず、卒に吏の訊に従ひ、世の疑ふ所と為る。是れ荊軻・衛先生をして復た起たしむるも、燕・秦悟らざるなり。願はくは大王孰く之を察せよ。昔、卞和宝を献じて、楚王之を刖る。李斯忠を竭くして、胡亥極刑にす。是を以て箕子は詳り狂ひ、接輿は世を辟く。此の患に遭はんことを恐るればなり。願はくは大王、卞和・李斯の意を孰察して、楚王・胡亥の聴を後にし、臣をして箕子・接輿の笑ふ所と為らしむる無かれ。臣聞く、比干は心を剖かれ、子胥は鴟夷せらると。臣始め信ぜざりしも、乃ち今之を知る。願はくは大王孰察して、少しく憐れみを加へよ。諺に曰く、「白頭にして新たなるが如き有り、傾蓋にして故きが如し」と。何となれば、知ると知らざるとなり。故に昔、樊於期は秦を逃れて燕に之き、首を荊軻に藉して以て丹の事を奉ず。王奢は斉を去りて魏に之き、城に臨みて自剄し、以て斉を卻けて魏を存す。夫れ王奢・樊於期は、斉・秦に新たにして燕・魏に故きに非ざるなり。二国を去りて両君に死する所以の者は、行ひ志に合ひて義を慕ふこと窮まり無ければなり。是を以て蘇秦は天下に信ぜられざるも、燕の為に尾生たり。白圭は戦ひて六城を亡ふも、魏の為に中山を取る。何となれば、誠に以て相知る有ればなり。
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史記 樗里子甘茂列伝秦の武王の三年、甘茂に謂ひて曰く、「寡人、車を容れて三川に通じ、以て周室を窺はんと欲す、而して寡人死すとも朽ちざらん」と。甘茂曰く、「請ふ魏に之き、約して以て韓を伐たん、而して向寿をして輔け行かしめよ」と。甘茂至り、向寿に謂ひて曰く、「子帰りて、これを王に言ひて曰へ、『魏は臣に聴けり、然れども願はくは王伐つこと勿かれ』と。事成らば、尽く以て子の功と為さん」と。向寿帰りて、以て王に告ぐ。王、甘茂を息壌に迎ふ。甘茂至る、王その故を問ふ。対へて曰く、「宜陽は大県なり、上党・南陽これを積むこと久し。名づけて県と曰ふも、その実は郡なり。今、王、数険に倍き、千里を行きてこれを攻むるは難し。昔、曾参の費に処るや、魯人に曾参と姓名を同じくする者有りて人を殺す。人その母に告げて曰く『曾参人を殺せり』と。その母、織ること自若たり。頃之くして、一人また告げて曰く『曾参人を殺せり』と。その母尚ほ織ること自若たり。頃くしてまた一人告げて曰く『曾参人を殺せり』と。その母、杼を投じ機を下り、墻を踰えて走る。夫れ曾参の賢とその母のこれを信ずるとを以てするも、三人これを疑へば、その母懼る。今、臣の賢は曾参に若かず、王の臣を信ずることもまた曾参の母の曾参を信ずるに如かず、臣を疑ふ者は特に三人のみに非ず。臣は大王の杼を投ぜんことを恐る。始め張儀、西のかた巴蜀の地を并せ、北のかた西河の外を開き、南のかた上庸を取る。天下は張子を多とせずして先王を賢とす。魏の文侯、楽羊をして将として中山を攻めしむ、三年にしてこれを抜く。楽羊返りて功を論ず、文侯これに謗書一篋を示す。楽羊再拝稽首して曰く、『此れ臣の功に非ざるなり、主君の力なり』と。今、臣は羈旅の臣なり。樗里子・公孫奭の二人の者、韓を挟みてこれを議せば、王必ずこれを聴かん。是れ王は魏王を欺きて、臣は公仲侈の怨みを受くるなり」と。王曰く、「寡人は聴かざるなり、請ふ子と盟はん」と。卒に丞相甘茂をして兵を将ゐて宜陽を伐たしむ。五月にして抜けず、樗里子・公孫奭果たしてこれを争ふ。武王、甘茂を召し、兵を罷めんと欲す。甘茂曰く、「息壌は彼に在り」と。王曰く、「これ有り」と。因りて大いに悉く兵を起こし、
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詩経・小雅・甫田之什・青蠅青蠅(せいよう)は、大夫、幽王を刺るなり。 営営(えいえい)たる青蠅、樊(まがき)に止まる。豈弟(がいてい)の君子、讒言を信ずること無かれ。 営営たる青蠅、棘(いばら)に止まる。讒人極まり罔(な)し、四国を交(こもごも)乱す。 営営たる青蠅、榛(はしばみ)に止まる。讒人極まり罔し、我が二人を構(へだ)つ。
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戦国策・蘇秦自齊獻書於燕王蘇秦、斉自り書を燕王に献じて曰く、「臣の行くや、固より将に口事有らんとするを知る、故に御書を献じて行けり、曰く、『臣斉に貴くば、燕の大夫将に臣を信ぜざらんとす。臣賤しくば、将に臣を軽んぜんとす。臣用いられば、将に多く臣に望まんとす。斉不善有らば、将に罪を臣に帰せんとす。天下斉を攻めずんば、将に善く斉の為に謀ると曰わんとす。天下斉を攻めば、将に斉と兼ねて臣を鄮せんとす。臣の重んずる所は重卯に処る』と。王臣に謂いて曰く、『吾必ず衆口と讒言とを聴かず、吾女を信ずること、猶お𠛄を剗るがごとし。上は以て斉に用いらるるを得べく、次は以て下に信ぜらるるを得べし、苟くも死無くんば、女為さざる無かれ、女を以て自ら信とすべし』と。之と言いて曰く、『燕を去りて斉に之くは可なり、事を成すに期するのみ』と。臣令を受けて以て斉に任ぜられ、五年に及べり。斉数々兵を出だすも、未だ嘗て燕を謀らず。斉・趙の交わり、一たびは合し一たびは離る。燕王斉と与に趙を謀らずんば、則ち趙と与に斉を謀る。斉の燕を信ずるや、北地を虚しくして其の兵を行るに至れり。今王田伐と参・去疾との言を信じ、且に斉を攻めんとし、斉をして犬馬𩤊がしめて燕を言わざらしむ。今王又慶をして臣に令せしめて曰く、『吾善しとする所を用いんと欲す』と。王苟くも之を用いんと欲せば、則ち臣請う王が為に之に事えん。王臣を醳きて剸ら善しとする所に任ぜんと欲せば、則ち臣請う事を帰し醳かん。臣苟くも見ゆるを得ば、則ち願いに盈てり」と。
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