説苑 / 雜言
楚昭王召孔子,將使執政而封以書社七百。子西謂楚王曰:「王之臣用兵有如子路者乎?使諸侯有如宰予者乎?長官五官有如子貢者乎?昔文王處酆、武王處鎬之間百乘之地,伐上殺主立為天子,世皆曰聖。王今以孔子之賢而有書社七百里之地,而三子佐之,非楚之利也。」楚王遂止。夫善惡之難分也,聖人獨見疑,而況於賢者乎!是以賢聖罕合,諂諛常興也。故有千歲之亂而無百歲之治,孔子之見疑,豈不痛哉!
新字:楚昭王召孔子,将使執政而封以書社七百。子西謂楚王曰:「王之臣用兵有如子路者乎?使諸侯有如宰予者乎?長官五官有如子貢者乎?昔文王処酆、武王処鎬之間百乗之地,伐上殺主立為天子,世皆曰聖。王今以孔子之賢而有書社七百里之地,而三子佐之,非楚之利也。」楚王遂止。夫善悪之難分也,聖人独見疑,而況於賢者乎!是以賢聖罕合,諂諛常興也。故有千歳之乱而無百歳之治,孔子之見疑,豈不痛哉!
書き下し
楚の昭王、孔子を召し、将に執政たらしめて書社七百を以て封ぜんとす。子西楚王に謂いて曰く、「王の臣、兵を用うること子路の如き者有りや。諸侯に使いすること宰予の如き者有りや。五官を長とすること子貢の如き者有りや。昔、文王は酆に処り、武王は鎬に処りて百乗の地を間にし、上を伐ち主を殺して立ちて天子と為るや、世皆聖と曰う。王今孔子の賢を以て書社七百里の地を有し、三子之を佐くれば、楚の利に非ざるなり」と。楚王遂に止む。夫れ善悪の分かち難きや、聖人独り疑いを見る、況んや賢者に於いてをや。是を以て賢聖合すること罕にして、諂諛常に興る。故に千歳の乱有りて百歳の治無し。孔子の疑いを見らるる、豈に痛ましからずや。
現代語訳
楚の昭王が孔子を招き、まさに政治の実権を任せ、書社七百の地を封じようとした。子西が楚王に言った。「王の家臣で、用兵にかけて子路のような者がおりましょうか。諸侯への使者として宰予のような者がおりましょうか。五つの官職の長として子貢のような者がおりましょうか。昔、文王は酆の地にあり、武王は鎬の地にあり、わずか百台の兵車ほどの小さな領地から出発して、上の者を討ち主君を殺して天子となりましたが、世の人は皆これを聖であると称えます。王が今、孔子の賢さを認めて書社七百里の地をお与えになり、しかもあの三人がこれを補佐するとなれば、それは楚国の利益にはなりません」と。楚王はそこで取りやめてしまった。そもそも善悪の見分けさえつきにくいものであり、聖人でさえ独り疑いをかけられるのだから、まして賢者においてはなおさらである。だからこそ賢者と聖人がめぐり合うことは稀であり、諂い媚びる者ばかりが常に世にはびこる。それゆえ千年にわたる乱世はあっても百年にわたる治世はない。孔子でさえ疑いをかけられたとは、なんと痛ましいことであろうか。
解説

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