史記 / 貨殖列伝
故太公望封於營丘,地澙鹵,人民寡,於是太公勸其女功,極技巧,通魚鹽,則人物歸之,繦至而輻湊。故齊冠帶衣履天下,海岱之閒斂袂而往朝焉。其後齊中衰,管子修之,設輕重九府,則桓公以霸,九合諸侯,一匡天下;而管氏亦有三歸,位在陪臣,富於列國之君。是以齊富彊至於威、宣也。
新字:故太公望封於営丘,地澙鹵,人民寡,於是太公勧其女功,極技巧,通魚塩,則人物帰之,繦至而輻湊。故斉冠帯衣履天下,海岱之閒斂袂而往朝焉。其後斉中衰,管子修之,設軽重九府,則桓公以覇,九合諸侯,一匡天下;而管氏亦有三帰,位在陪臣,富於列国之君。是以斉富彊至於威、宣也。
書き下し
故に太公望、営丘に封ぜらるるに、地は澙鹵にして人民寡し。是に於いて太公其の女功を勧め、技巧を極め、魚塩を通ず。則ち人物之に帰し、繦のごとく至りて輻湊す。故に斉は天下に冠帯衣履し、海岱の間は袂を斂めて往きて朝す。其の後斉中ごろ衰へ、管子之を修め、軽重九府を設く。則ち桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡す。而して管氏も亦三帰有り、位は陪臣に在れども、列国の君より富む。是を以て斉の富彊は威・宣に至るなり。
現代語訳
そこで太公望が営丘に封ぜられたとき、その土地は塩分を含んだ湿地で、民も少なかった。そこで太公は女性の手仕事(機織り)を奨励し、技巧を極めさせ、魚と塩の流通を盛んにした。すると人も物も集まり、銭の紐に通したように次々とやって来て、車の輻が轂に集まるように寄り集まった。だから斉は天下に冠や帯、衣服や履物を供給し、東海と泰山の間の国々は袖を整えて斉に朝見した。その後、斉は中ごろ衰えたが、管仲がこれを立て直し、物価を調節する軽重の法と九つの財政機関を設けた。こうして桓公は覇者となり、諸侯を九たび会合させ、天下を一つに正した。そして管仲もまた三帰(三つの邸宅、または三人の妻)を持ち、身分は陪臣でありながら、諸国の君主よりも富んでいた。このため斉の富強は威王・宣王の時代まで続いたのである。
解説
関連する章句
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史記 斉太公世家太公国に至り、政を修め、其の俗に因り、其の礼を簡にし、商工の業を通じ、魚塩の利を便にす、而して人民多く斉に帰し、斉大国と為る。
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『塩鉄論』輕重篇御史進みて曰く、昔太公は營丘に封ぜられ、草萊を辟きて焉に居る。地薄く人少なし、是に於いて末を利するの道を通じ、女工の巧を極む。是を以て鄰國は齊に交わり、財を畜え貨を殖やし、世々強國たり。管仲は桓公を相け、先君の業を襲ぎ、輕重の變を行い、南のかた強楚を服して諸侯に霸たり。今大夫君は太公・桓・管の術を修め、鹽・鐵を總一し、山川の利を通じて萬物殖す。是を以て縣官の用は饒足し、民は困乏せず、本末並び利し、上下俱に足る、此れ籌計の致す所にして、獨り耕桑の農のみに非ざるなり。
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史記 斉太公世家太史公曰く、「吾斉に適き、膏壤二千里、其の民闊達にして匿知多し、其の天性なり。太公の聖を以て、国本を建て、桓公の盛にして、善政を修め、以て諸侯の会盟を為し、伯と称す、亦た宜ならずや。洋洋たるかな、固より大国の風なり」と。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 管晏列伝管仲既に政に任じ斉に相たり。区区の斉の海浜に在るを以て、貨を通じ財を積み、国を富まし兵を彊くし、俗と好悪を同じくす。故に其れ称して曰く、「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知り、上、度に服すれば則ち六親固し。四維張らざれば、国乃ち滅亡す。令を下すこと水の原より流るるが如くして、令、民心に順ふ」と。故に論卑くして行ひ易くす。俗の欲する所、因って之に予へ、俗の否む所は、因って之を去る。
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史記 斉太公世家桓公の立つや、兵を発して魯を攻め、心に管仲を殺さんと欲す。鮑叔牙曰く、「臣幸ひに君に従ふを得て、君竟に以て立つ。君の尊き、臣以て君を増す無し。君将に斉を治めんとせば、即ち高傒と叔牙とにて足れり。君且に覇王たらんと欲せば、管夷吾に非ずんば不可なり。夷吾の居る所の国は国重し、失ふ可からざるなり」と。是に於て桓公之に従ふ。乃ち詳りて管仲を召して心を甘んぜんと欲すと為し、実は之を用ひんと欲す。管仲之を知り、故に往かんことを請ふ。鮑叔牙、管仲を迎へ受け、堂阜に及びて桎梏を脱し、斎祓して桓公に見ゆ。桓公厚く礼して以て大夫と為し、政を任ず。桓公既に管仲を得て、鮑叔・隰朋・高傒と斉国の政を修め、五家の兵を連ね、軽重・魚塩の利を設けて、以て貧窮を贍し、賢能に禄す。斉人皆説ぶ。二年、郯を伐ちて滅す。郯子、莒に奔る。初め、桓公の亡げし時、郯を過ぐ。郯無礼なり、故に之を伐つ。五年、魯を伐つ。魯の将の師敗る。魯の荘公、遂邑を献じて以て平がんことを請ふ。桓公許し、魯と柯に会して盟ふ。魯将に盟はんとするに、曹沬、匕首を以て桓公を壇上に劫かして曰く、「魯の侵地を反せ」と。桓公之を許す。已にして曹沬、匕首を去り、北面して臣の位に就く。桓公後に悔い、魯に地を与ふること無くして曹沬を殺さんと欲す。管仲曰く、「夫れ劫かされて之を許し、而して信に倍きて之を殺すは、一小快に愈るのみ。而して信を諸侯に棄て、天下の援を失ふ。不可なり」と。是に於て遂に曹沬の三たび敗れて亡ひし所の地を魯に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉を信じて附かんと欲す。七年、諸侯、桓公に甄に会す。而して桓公是に於て始めて覇たり。十四年、陳の厲公の子完、号は敬仲、来りて斉に奔る。斉の桓公以て卿と為さんと欲す。譲る。是に於て以て工正と為す。田成子常の祖なり。二十三年、山戎、燕を伐つ。燕、急を斉に告ぐ。斉の桓公、燕を救ひ、遂に山戎を伐ち、孤竹に至りて還る。
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