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史記 / 斉太公世家

四十一年,秦穆公虜晉惠公,復歸之。是歲,管仲、隰朋皆卒。管仲病,桓公問曰:「群臣誰可相者?」管仲曰:「知臣莫如君。」公曰:「易牙如何?」對曰:「殺子以適君,非人情,不可。」公曰:「開方如何?」對曰:「倍親以適君,非人情,難近。」公曰:「豎刀如何?」對曰:「自宮以適君,非人情,難親。」管仲死,而桓公不用管仲言,卒近用三子,三子專權。四十二年,戎伐周,周告急於齊,齊令諸侯各發卒戍周。是歲,晉公子重耳來,桓公妻之。四十三年。初,齊桓公之夫人三:曰王姬、徐姬、蔡姬,皆無子。桓公好內,多內寵,如夫人者六人,長衛姬,生無詭;少衛姬,生惠公元;鄭姬,生孝公昭;葛嬴,生昭公潘;密姬,生懿公商人;宋華子,生公子雍。桓公與管仲屬孝公於宋襄公,以為太子。雍巫有寵於衛共姬,因宦者豎刀以厚獻於桓公,亦有寵,桓公許之立無詭。管仲卒,五公子皆求立。冬十月乙亥,齊桓公卒。易牙入,與豎刀因內寵殺群吏,而立公子無詭為君。太子昭奔宋。

新字:四十一年,秦穆公虜晋恵公,復帰之。是歳,管仲、隰朋皆卒。管仲病,桓公問曰:「群臣誰可相者?」管仲曰:「知臣莫如君。」公曰:「易牙如何?」対曰:「殺子以適君,非人情,不可。」公曰:「開方如何?」対曰:「倍親以適君,非人情,難近。」公曰:「豎刀如何?」対曰:「自宮以適君,非人情,難親。」管仲死,而桓公不用管仲言,卒近用三子,三子専権。四十二年,戎伐周,周告急於斉,斉令諸侯各発卒戍周。是歳,晋公子重耳来,桓公妻之。四十三年。初,斉桓公之夫人三:曰王姫、徐姫、蔡姫,皆無子。桓公好内,多内寵,如夫人者六人,長衛姫,生無詭;少衛姫,生恵公元;鄭姫,生孝公昭;葛嬴,生昭公潘;密姫,生懿公商人;宋華子,生公子雍。桓公与管仲属孝公於宋襄公,以為太子。雍巫有寵於衛共姫,因宦者豎刀以厚献於桓公,亦有寵,桓公許之立無詭。管仲卒,五公子皆求立。冬十月乙亥,斉桓公卒。易牙入,与豎刀因内寵殺群吏,而立公子無詭為君。太子昭奔宋。

書き下し

四十一年、秦の穆公、晋の恵公を虜にし、復た之を帰す。是の歳、管仲・隰朋皆卒す。管仲病む。桓公問ひて曰く、「群臣誰か相たる可き者ぞ」と。管仲曰く、「臣を知るは君に如くは莫し」と。公曰く、「易牙は如何」と。対へて曰く、「子を殺して以て君に適ふ、人情に非ず、不可なり」と。公曰く、「開方は如何」と。対へて曰く、「親に倍きて以て君に適ふ、人情に非ず、近づけ難し」と。公曰く、「豎刀は如何」と。対へて曰く、「自ら宮して以て君に適ふ、人情に非ず、親しみ難し」と。管仲死す。而して桓公は管仲の言を用ひず、卒に近づけて三子を用ふ。三子権を専らにす。四十二年、戎、周を伐つ。周、急を斉に告ぐ。斉、諸侯をして各々卒を発して周を戍らしむ。是の歳、晋の公子重耳来る。桓公之に妻はす。四十三年。初め、斉の桓公の夫人三あり。王姫・徐姫・蔡姫と曰ひ、皆子無し。桓公内を好み、内寵多く、夫人の如き者六人。長衛姫は無詭を生み、少衛姫は恵公元を生み、鄭姫は孝公昭を生み、葛嬴は昭公潘を生み、密姫は懿公商人を生み、宋華子は公子雍を生む。桓公、管仲と孝公を宋の襄公に属し、以て太子と為す。雍巫、衛の共姫に寵有り、宦者豎刀に因りて以て厚く桓公に献じ、亦寵有り。桓公之に無詭を立つるを許す。管仲卒し、五公子皆立たんことを求む。冬十月乙亥、斉の桓公卒す。易牙入り、豎刀と内寵に因りて群吏を殺し、而して公子無詭を立てて君と為す。太子昭、宋に奔る。

現代語訳

四十一年、秦の穆公が晋の恵公を捕虜にし、その後、晋に帰した。この年、管仲と隰朋がともに亡くなった。管仲が病気になったとき、桓公は尋ねた。「群臣の中で、誰を宰相にすればよいか」。管仲は言った。「臣下を知ることにかけては、君に及ぶ者はいない」。桓公は言った。「易牙(えきが)はどうか」。管仲は答えた。「自分の子を殺して君に取り入った者だ。人の情に反している。いけない」。桓公は言った。「開方(かいほう)はどうか」。管仲は答えた。「親に背いて君に取り入った者だ。人の情に反している。近づけてはならない」。桓公は言った。「豎刀(じゅちょう)はどうか」。管仲は答えた。「自ら去勢して君に取り入った者だ。人の情に反している。親しくしてはならない」。管仲が死ぬと、桓公は管仲の言葉を用いず、結局この三人を身近に置いて用いた。三人は権力を独占した。四十二年、戎が周を攻めた。周は斉に危急を告げた。斉は諸侯にそれぞれ兵を出させて周を守らせた。この年、晋の公子重耳が斉に来た。桓公は彼に娘を嫁がせた。四十三年のこと。これより先、斉の桓公には正夫人が三人いた。王姫・徐姫・蔡姫といい、みな子がなかった。桓公は女色を好み、寵愛する側室が多く、夫人並みの扱いを受ける者が六人いた。長衛姫は無詭(むき)を生み、少衛姫は恵公元を生み、鄭姫は孝公昭を生み、葛嬴(かつえい)は昭公潘を生み、密姫は懿公商人を生み、宋華子は公子雍を生んだ。桓公は管仲とともに孝公(昭)を宋の襄公に託して太子とした。雍巫(易牙)は衛の共姫(長衛姫)に気に入られ、宦官の豎刀を通じて桓公に手厚く贈り物をし、桓公にも寵愛された。桓公は(長衛姫の求めに応じて)無詭を立てることを許した。管仲が亡くなると、五人の公子がみな跡継ぎになろうとした。冬十月乙亥の日、斉の桓公が亡くなった。易牙は宮中に入り、豎刀とともに寵愛された側室の力を背景に役人たちを殺し、公子無詭を君主に立てた。太子昭は宋に逃げた。

解説

管仲の遺言と、それを守らなかった桓公の末路です。臨終の管仲は、後任に名が挙がった易牙・開方・豎刀の三人を、それぞれ「子を殺して」「親に背いて」「自ら去勢して」君に取り入った者だとして退けました。自分の最も大切なものを犠牲にしてまで取り入る者は、人の情に反しており、いざとなれば主君も裏切るという見立てです。しかし桓公は管仲の死後、この三人を重用し、彼らは権力を独占しました。さらに桓公は多くの側室との間に跡継ぎ候補を抱え、管仲と定めた太子とは別に無詭を立てることも約束していました。桓公が亡くなると、易牙と豎刀は役人を殺して無詭を立て、太子は国外へ逃れます。過剰な献身で取り入る人を重用し、後継者の約束を二重にした結果、覇者の国は一気に混乱へ落ちていきました。

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