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史記 / 貨殖列伝

周書に曰く、農出でざれば則ち其の食を乏しくし、工出でざれば則ち其の事を乏しくし、商出でざれば則ち三宝絶え、虞出でざれば則ち財匱少すと。此の四者は、民の衣食する所の原なり。貧富の道は、之を奪予する莫くして、巧者は餘り有り、拙者は足らず。諺に曰く、之に居ること一歳なれば、之を種うるに穀を以てし、十歳なれば、之を樹うるに木を以てし、百歳なれば、之を来すに徳を以てす。徳とは、人物の謂なり。

新字:周書に曰く、農出でざれば則ち其の食を乏しくし、工出でざれば則ち其の事を乏しくし、商出でざれば則ち三宝絶え、虞出でざれば則ち財匱少すと。此の四者は、民の衣食する所の原なり。貧富の道は、之を奪予する莫くして、巧者は余り有り、拙者は足らず。諺に曰く、之に居ること一歳なれば、之を種うるに穀を以てし、十歳なれば、之を樹うるに木を以てし、百歳なれば、之を来すに徳を以てす。徳とは、人物の謂なり。

書き下し

周書に曰く、「農出でざれば則ち其の食を乏しくし、工出でざれば則ち其の事を乏しくし、商出でざれば則ち三宝絶え、虞出でざれば則ち財匱少す」と。此の四者は、民の衣食する所の原なり。貧富の道は、之を奪予する莫くして、巧者は餘り有り、拙者は足らず。諺に曰く、「之に居ること一歳なれば、之を種うるに穀を以てし、十歳なれば、之を樹うるに木を以てし、百歳なれば、之を来すに徳を以てす」と。徳とは、人物の謂なり。

現代語訳

「豊かさは、誰かが与えたり奪ったりするものではなく、工夫と巧みさから生まれる——そして、最も長い実りは、人を育てることにある」——富の根本と、時間軸ごとの投資を説いた一段です。司馬遷は、まず経済を支える分業を説きます。「『周書』に言う。農民が働かなければ食料が乏しくなり、職人が働かなければ道具が乏しくなり、商人が働かなければ物資の流通(三宝)が絶え、(山林・漁労の)虞人が働かなければ財貨が乏しくなる』と。この四者(農・工・商・虞)こそ、人々の衣食のみなもとである」。それぞれの役割があってこそ、社会は成り立つ、というのです。そして、富の本質について、極めて重要なことを述べます。「貧富の分かれ道は、誰かがそれを奪ったり与えたりする(=運命や他人が決める)ものではない。ただ、(工夫の)巧みな者には余りが生じ、拙い者には不足が生じるだけだ(貧富之道、莫之奪予、而巧者有餘、拙者不足)」と。富は、天から降ってくるものでも、他人から奪うものでもなく、自らの工夫と巧みさ(努力と知恵)から生まれる、というのです。さらに、時間軸に応じた投資の考え方を、諺で示します。「ある土地に、一年住むつもりなら、(すぐ実る)穀物を植える。十年住むつもりなら、(時間はかかるが実りの大きい)木を植える。そして、百年(末長く)を見据えるなら、徳をもって(人を)育てる(百歲、來之以德)」。そして、こう解説します。「徳とは、(結局のところ)人を育て、人を得ることを言うのだ(德者、人物之謂也)」と。最も長い時間軸で見れば、最大の実りをもたらす投資は、人を育てることだ、というのです。ここに、豊かさと投資についての教訓があります。第一に、それぞれの役割(分業)が機能してこそ、全体が豊かになるということ。一つの役割だけでは、社会も組織も成り立たない。第二に、富や成果は、運命や他人が決めるものではなく、自らの工夫と巧みさ(努力と知恵)から生まれるということ(巧者有餘、拙者不足)。うまくいかないのを運や他人のせいにせず、自らの工夫を磨くこと。第三に、そして最も大切なのは、時間軸に応じて投資を考え、最も長い実り(百年の計)は、人を育てることにあるということ(百歲來之以德、德者人物之謂也)。目先の成果(一年の穀物)だけでなく、長期の資産(人材)を育てる視点。組織や事業で、それぞれの役割の分業が全体を支えると知ること、富や成果を運や他人のせいにせず自らの工夫を磨くこと、そして最大の長期投資は人を育てることだと理解すること——貨殖列伝のこの一段は、豊かさの根本と、人への投資の大切さを教えます。

解説

あなたは、富や成果を、運や他人が決めるものと考えて諦めたり嘆いたりせず、自らの工夫と巧みさ(努力と知恵)から生まれるものと捉え、その工夫を磨けていますか?目先の成果(一年で実る穀物)だけでなく、時間軸に応じて、長期の実りをもたらす投資を考えられていますか?最も長い時間軸で見たとき、最大の実りをもたらす投資が「人を育てること」だと理解し、人材の育成に力を注げていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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