史記 / 游侠列伝
諺曰:「人貌榮名,豈有既乎!」於戲,惜哉!
新字:諺曰:「人貌栄名,豈有既乎!」於戯,惜哉!
書き下し
諺に曰く、「人貌の栄名、豈に既(つ)くること有らんや」と。於戯(ああ)、惜しいかな。
現代語訳
ことわざに「人の容貌を映したような栄誉ある名声は、尽きることがあろうか(いつまでも残る)」という。ああ、惜しいことである。
解説
游侠列伝の最後に置かれた、太史公の評の結びの一文です。直前で司馬遷は、郭解は見かけは人並みにも及ばず、言葉も取るに足らなかったのに、天下の人は賢い者も愚かな者も、知る者も知らない者も、みなその名を慕ったと述べています。そのうえでことわざを引き、名声は外見によらず人の心に残り続けると言い、郭解が一族皆殺しの刑で終わったことを「惜しいかな」と嘆くのです。郭解は、恨みを買った男を殺した取り巻きの罪を問われ、公孫弘の「本人が知らなくても罪は殺した者より重い」という論で処刑されました。司馬遷は法の論理を否定はしませんが、それでも人が慕う名を惜しまずにはいられませんでした。短い嘆きに、司馬遷の遊俠への共感が凝縮されています。人の評価は肩書きや見た目でなく、その人のために動いた記憶として残るのです。
関連する章句
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史記 游侠列伝郭解又楊季主を殺す。上聞き、乃ち吏を下して解を捕へしむ。窮治するに、解の殺す所と為るは、皆赦の前に在り。軹に儒生有り、客郭解を誉む、生曰く、「郭解は専ら姦を以て公法を犯す、何ぞ賢と謂はんや」と。解の客聞き、此の生を殺し、其の舌を断つ。吏此を以て解を責むるも、解実に殺す者を知らず。御史大夫公孫弘議して曰く、「解布衣にして任俠し権を行ひ、睚眥を以て人を殺す、解知らずと雖も、此の罪解の之を殺すよりも甚だし。当に大逆無道たるべし」と。遂に郭解翁伯を族す。太史公曰く、「吾郭解を視るに、状貌は中人に及ばず、言語は採るに足らざる者なり。然れども天下賢と不肖と、知ると知らざると無く、皆其の声を慕ふ。於戲、惜しいかな」と。
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史記 游侠列伝古の布衣の俠は、得て聞くこと靡(な)きのみ。近世の延陵・孟嘗・春申・平原・信陵の徒は、皆王者の親属に因り、有土の卿相の富厚に藉り、天下の賢者を招き、名を諸侯に顕はす。賢ならざる者と謂ふ可からず。比へば風に順ひて呼ぶが如し。声は疾きを加ふるに非ず、其の埶激すればなり。閭巷の俠の、行ひを脩め名を砥ぎ、声天下に施し、賢と称せざる莫きが如きに至りては、是れ難しと為すのみ。然れども儒・墨皆排擯して載せず。秦より以前、匹夫の俠は湮滅して見えず。余甚だ之を恨む。余の聞く所を以てすれば、漢興りて朱家・田仲・王公・劇孟・郭解の徒有り。時に当世の文罔を扞(をか)すと雖も、然れども其の私義は廉絜退譲にして、称するに足る者有り。名は虚しく立たず、士は虚しく附かず。朋党宗彊比周し、財を設けて貧を役し、豪暴にして孤弱を侵淩し、欲を恣にして自ら快くするが如きに至りては、游俠も亦之を醜とす。余、世俗の其の意を察せずして、猥りに朱家・郭解等を以て暴豪の徒と類を同じくして共に之を笑ふを悲しむなり。
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史記 游侠列伝布衣の徒、取予然諾を設け、千里に義を誦せられ、死を為して世を顧みず、此れ亦た長ずる所有り、苟くもするのみに非ざるなり。故に士窮窘して命を委ぬるを得、此れ豈に人の所謂賢豪の閒なる者に非ざるか。要は功見はれ言信なるを以てし、俠客の義又曷ぞ少とす可けんや。
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史記 游侠列伝乃ち之を聴け」と。解、恭敬を執り、敢へて車に乗りて其の県廷に入らず。旁の郡国に之き、人の為に事を請求し、事出だす可きは之を出だし、可ならざる者は各々其の意を厭かしめ、然る後に乃ち敢へて酒食を嘗む。諸公故を以て之を厳重し、争ひて用を為す。邑中の少年及び旁近の県の賢豪、夜半に門に過る者常に十余車、請ひて解の客を得て舎して之を養はんとす。豪富を茂陵に徙すに及び、解の家貧しく、訾に中らず。吏恐れて、敢へて徙さずんばあらず。衛将軍為に言ふ、「郭解の家は貧しく、徙すに中らず」と。上曰く、「布衣の権、将軍をして為に言はしむるに至る。此れ其の家貧しからず」と。解の家遂に徙る。諸公の送る者千余万を出だす。軹の人楊季主の子、県掾と為り、解を徙すに挙ぐ。解の兄の子、楊掾の頭を断つ。此に由りて楊氏と郭氏と仇を為す。解、関に入る。関中の賢豪、知ると知らざるとを与にせず、其の声を聞き、争ひて交はりて解を驩ぶ。解の人と為り短小、酒を飲まず、出づるに未だ嘗て騎有らず。已にして又楊季主を殺す。楊季主の家上書するに、人又之を闕下に殺す。上聞き、乃ち吏に下して解を捕へしむ。解亡げ、其の母家室を夏陽に置き、身は臨晋に至る。臨晋の籍少公、素より解を知らず。解冒して、因りて出関を求む。籍少公已に解を出だす。解転じて太原に入り、過ぐる所輒ち主人の家に告ぐ。吏之を逐ひ、跡籍少公に至る。少公自殺し、口絶ゆ。
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史記 游侠列伝韓子曰く、「儒は文を以て法を乱し、而して俠は武を以て禁を犯す」と。二者皆譏らるれども、而して学士は多く世に称せらると云ふ。術を以て宰相卿大夫を取り、其の世主を輔翼し、功名俱に春秋に著はるるが如きに至りては、固より言ふ可き者無し。季次・原憲の若きに及びては、閭巷の人なり。書を読み独行君子の徳を懐き、義として苟も当世に合せず、当世も亦之を笑ふ。故に季次・原憲は終身空室蓬戸、褐衣疏食も厭かず。死して已に四百余年、而して弟子之を志して倦まず。今、遊俠は其の行ひ正義に軌(したが)はずと雖も、然れども其の言必ず信、其の行ひ必ず果、已に諾すれば必ず誠、其の軀を愛まず、士の阨困に赴き、既已に存亡死生せしめて、而して其の能に矜らず、其の徳に伐るを羞づ。蓋し亦多とするに足る者有り。且つ緩急は人の時に有る所なり。太史公曰く、昔者、虞舜は井廩に窘しみ、伊尹は鼎俎を負ひ、傅説は傅険に匿れ、呂尚は棘津に困しみ、夷吾は桎梏せられ、百里は牛を飯ひ、仲尼は匡に畏れ、陳・蔡に菜色す。此れ皆学士の所謂道有る仁人なり。猶然として此の菑に遭ふ。況んや中材を以て乱世の末流を渉るをや。其の害に遇ふこと何ぞ道ふに勝ふ可けんや。鄙人に言有りて曰く、「何ぞ仁義を知らん、已に其の利を饗くる者を有徳と為す」と。故に伯夷は周を醜として首陽山に餓死すれども、而して文武は其の故を以て王を貶さず。跖・蹻は暴戻なれども、其の徒は義を誦して窮まり無し。此に由りて之を観れば、「鉤を窃む者は誅せられ、国を窃む者は侯たり、侯の門には仁義存す」とは、虚言に非ざるなり。今、拘学或いは咫尺の義を抱き、久しく世に孤なり。豈に論を卑くし俗に儕(ひと)しくし、世と沈浮して栄名を取るに若かんや。
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史記 游侠列伝関より以東、頸を延べて交はりを願はざる莫し。楚の田仲は俠を以て聞こゆ。剣を喜び、朱家に父事し、自ら行ひ及ばずと以為へり。田仲已に死して、雒陽に劇孟有り。周人は商賈を以て資と為し、而して劇孟は任俠を以て諸侯に顕はる。呉楚反する時、条侯太尉と為り、伝車に乗りて将に河南に至らんとし、劇孟を得て喜びて曰く、「呉楚大事を挙げて孟を求めず。吾、其の能く為す無きを知る」と。天下騒動するに、宰相之を得ること一敵国を得るが若しと云ふ。劇孟の行ひは大いに朱家に類し、而して博を好み、少年の戯多し。然れども劇孟の母死するや、遠方より喪を送ること蓋し千乗。劇孟死するに及び、家に十金の財を余す無し。而して符離の人王孟も亦俠を以て江淮の間に称せらる。是の時、済南の瞷氏、陳の周庸も亦豪を以て聞こゆ。景帝之を聞き、使ひをして尽く此の属を誅せしむ。其の後、代の諸白、梁の韓無辟、陽翟の薛兄、陜の韓孺紛紛として復た出づ。郭解は軹の人なり。字は翁伯、善く人を相する者許負の外孫なり。解の父は任俠を以て、孝文の時に誅死す。解の人と為り短小精悍、酒を飲まず。少き時陰賊にして、慨として意に快からざれば、身ら殺す所甚だ衆し。軀を以て交はりに借して仇に報い、命を蔵して姦を作し剽攻し、休まずして銭を鋳冢を掘るに及ぶ。固より勝げて数ふ可からず。適々天幸有りて、窘急常に脱するを得、若しくは赦に遇ふ。解年長ずるに及び、更に節を折りて倹を為し、徳を以て怨みに報い、厚く施して薄く望む。然れども其の自ら喜びて俠を為すこと益々甚だし。既已に人の命を振ひて、其の功に矜らず。其の陰賊は心に著はれ、卒に睚眦に発すること故の如しと云ふ。而して少年其の行ひを慕ひ、亦輒ち為に仇に報い、知らしめず。解の姉の子、解の勢ひを負ひ、人と飲み、之をして嚼(の)ましむ。其の任に非ざるに、彊ひて必ず之に灌ぐ。人怒り、刀を抜きて解の姉の子を刺し殺して亡げ去る。
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