史記 / 佞幸列伝
諺曰「力田不如逢年,善仕不如遇合」,固無虛言。非獨女以色媚,而士宦亦有之。昔以色幸者多矣。至漢興,高祖至暴抗也,然籍孺以佞幸;孝惠時有閎孺。此兩人非有材能,徒以婉佞貴幸,與上臥起,公卿皆因關說。
新字:諺曰「力田不如逢年,善仕不如遇合」,固無虚言。非独女以色媚,而士宦亦有之。昔以色幸者多矣。至漢興,高祖至暴抗也,然籍孺以佞幸;孝恵時有閎孺。此両人非有材能,徒以婉佞貴幸,与上臥起,公卿皆因関説。
書き下し
諺に曰く、「力田は年に逢ふに如かず、善仕は遇合に如かず」と、固より虚言無し。独り女の色を以て媚ぶるのみに非ず、士宦も亦た之れ有り。籍孺・閎孺、此の両人材能有るに非ず、徒だ婉佞を以て貴幸せられ、上と臥起し、公卿皆因りて関説す。
現代語訳
ことわざにこう言う。「懸命に耕しても、豊作の年に恵まれるには及ばない。よく仕えても、主君に気に入られるには及ばない」。まことに空言ではない。女が色によって媚びるだけではない。仕官する男にもまた、それがある。籍孺・閎孺、この二人は才能があったわけではない。ただ、しなやかに媚びることによって寵愛され、帝と寝起きを共にし、公卿はみな彼らを通じて口利きを頼んだ。
解説
「取り入る巧みさで得た地位は、実力ではない——媚びによる成り上がりの危うさ」——寵愛によって出世する者たちの実態を、批判的に描いた冒頭です。司馬遷は、まず世間の諺を引きます。「どれほど熱心に田を耕しても、豊作の年に恵まれるにはかなわない。どれほど巧みに仕えても、(幸運な)めぐり合わせにはかなわない(善仕不如遇合)」と。実力や努力よりも、運やめぐり合わせがものを言う場面がある——これは、確かに嘘ではない、というのです。そして司馬遷は、こう指摘します。「(君主に)色香で媚びて寵愛を得るのは、女性だけのことではない。役人や側近の中にも、同じような者がいる」と。実例として、漢初の籍孺・閎孺という二人の寵臣が挙げられます。「この二人には、これといった才能があったわけではない(非有材能)。ただ、もっぱら、なよなよとした、こびへつらう態度(婉佞)によって、君主に寵愛されただけだった」。彼らは君主の側近くに侍り、その寵愛ゆえに、公卿(高官)たちでさえ、何か願い事があれば、この寵臣を通じて君主に取り次いでもらおうとした、というのです。実力ではなく、ただ取り入る巧みさだけで、大きな影響力を持つに至った——その倒錯を、司馬遷は冷ややかに描いています。ここに、実力と寵愛についての教訓があります。第一に、取り入る巧みさや、こびへつらいによって得た地位や影響力は、実力ではないということ。籍孺・閎孺は、才能ではなく、ただ君主に気に入られる術だけで、高い地位を得た。しかし、その地位には、実質的な裏付けがない。第二に、運やめぐり合わせが実力を上回る場面は確かにあるが、それに頼って、媚びることで成り上がろうとするのは、危ういということ。この篇が続けて描くように、寵愛によって得た地位は、寵愛が去れば、たちまち崩れ去る。第三に、そして、こうした寵臣に、高官たちまでもが取り入ろうとする——実力ではなく寵愛に人々が群がる組織は、健全さを失っているということ。組織や人生で、こびへつらいで得た地位が実力ではないと自覚すること、媚びで成り上がることの危うさを知ること、そして実力でなく寵愛に人々が群がる組織の不健全さに注意すること——この冒頭は、寵愛による成り上がりの倒錯を、批判的に教えます。
この章句が説くこと
佞幸列伝冒頭善仕不如遇合媚びで得た地位は実力でない婉佞こびへつらい寵愛による成り上がり
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