史記 / 大宛列伝
居匈奴中,益寬,騫因與其屬亡鄉月氏,西走數十日至大宛。大宛聞漢之饒財,欲通不得,見騫,喜,問曰:「若欲何之?」騫曰:「為漢使月氏,而為匈奴所閉道。今亡,唯王使人導送我。誠得至,反漢,漢之賂遺王財物不可勝言。」大宛以為然,遣騫,為發導繹,抵康居,康居傳致大月氏。大月氏王已為胡所殺,立其太子為王。既臣大夏而居,地肥饒,少寇,志安樂,又自以遠漢,殊無報胡之心。騫從月氏至大夏,竟不能得月氏要領。留歲餘,還,并南山,欲從羌中歸,復為匈奴所得。留歲餘,單于死,左谷蠡王攻其太子自立,國內亂,騫與胡妻及堂邑父俱亡歸漢。漢拜騫為太中大夫,堂邑父為奉使君。
新字:居匈奴中,益寛,騫因与其属亡郷月氏,西走数十日至大宛。大宛聞漢之饒財,欲通不得,見騫,喜,問曰:「若欲何之?」騫曰:「為漢使月氏,而為匈奴所閉道。今亡,唯王使人導送我。誠得至,反漢,漢之賂遺王財物不可勝言。」大宛以為然,遣騫,為発導繹,抵康居,康居伝致大月氏。大月氏王已為胡所殺,立其太子為王。既臣大夏而居,地肥饒,少寇,志安楽,又自以遠漢,殊無報胡之心。騫従月氏至大夏,竟不能得月氏要領。留歳余,還,并南山,欲従羌中帰,復為匈奴所得。留歳余,単于死,左谷蠡王攻其太子自立,国内乱,騫与胡妻及堂邑父倶亡帰漢。漢拝騫為太中大夫,堂邑父為奉使君。
書き下し
匈奴の中に居ること益々寛なり。騫、因りて其の属と亡げて月氏に郷(む)かひ、西に走ること数十日にして大宛に至る。大宛、漢の財に饒かなるを聞き、通ぜんと欲して得ず。騫を見て喜び、問ひて曰く、「若(なんぢ)何くに之かんと欲するか」と。騫曰く、「漢の為に月氏に使ひせんとして、匈奴の道を閉ざす所と為る。今亡げたり。唯だ王、人をして我を導送せしめよ。誠に至るを得て漢に反らば、漢の王に賂遺する財物は勝げて言ふ可からず」と。大宛以て然りと為し、騫を遣はし、為に導繹を発し、康居に抵らしむ。康居伝へて大月氏に致す。大月氏の王已に胡の殺す所と為り、其の太子を立てて王と為す。既に大夏を臣として居り、地肥饒にして寇少なく、志安楽にして、又自ら漢に遠しと以(おも)ひ、殊に胡に報ゆるの心無し。騫、月氏より大夏に至るも、竟に月氏の要領を得ること能はず。留まること歳余にして還り、南山に并(そ)ひ、羌中より帰らんと欲して、復た匈奴の得る所と為る。留まること歳余、単于死し、左谷蠡王、其の太子を攻めて自ら立ち、国内乱る。騫、胡妻及び堂邑父と俱に亡げて漢に帰る。漢、騫を拝して太中大夫と為し、堂邑父を奉使君と為す。
現代語訳
匈奴の中での暮らしは次第に監視がゆるやかになった。張騫はそれに乗じて従者とともに逃げ出して月氏を目指し、西へ数十日走って大宛に着いた。大宛は漢が財物に富んでいると聞いて交わりを結びたいと思いながら果たせずにいたので、張騫に会って喜び、尋ねた。「あなたはどこへ行こうとしているのか」。張騫は言った。「漢のために月氏へ使いに行こうとして、匈奴に道をふさがれました。今ようやく逃れてきたところだ。どうか王よ、人をつけて私を送り届けてください。本当に行き着いて漢に帰れたなら、漢が王に贈る財物は言い尽くせないほどでしょう」。大宛はもっともだと思い、張騫を送り出し、道案内と通訳をつけて康居(大宛の北西の遊牧国)まで届けさせた。康居はさらに大月氏まで送り届けた。ところが大月氏の王はすでに胡(匈奴)に殺されており、その太子が王に立っていた。大月氏はすでに大夏(バクトリア)を服属させてそこに住み、土地は肥えて外敵も少なく、安楽に暮らすことに満足しており、また漢は遠いと考えて、胡に報復しようという気持ちはまったくなかった。張騫は月氏から大夏まで行ったが、結局月氏から肝心の返事を得ることはできなかった。一年余り滞在して帰途につき、南山(崑崙・祁連の山並み)に沿って羌(チベット系の民)の地を通って帰ろうとしたが、再び匈奴に捕らえられた。一年余り留め置かれたところで単于が死に、左谷蠡王(さこくりおう)がその太子を攻めて自ら即位し、国内が乱れた。張騫は胡人の妻と堂邑父(甘父)とともに逃げて漢に帰った。漢は張騫を太中大夫に任じ、堂邑父を奉使君とした。
解説
関連する章句
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史記 大宛列伝漢、方に胡を滅ぼすを事とせんと欲し、此の言を聞き、因りて使ひを通ぜんと欲す。道必ず匈奴の中を更(ふ)れば、乃ち能く使ひする者を募る。騫、郎を以て募に応じ、月氏に使ひし、堂邑氏の故の胡奴甘父と俱に隴西を出づ。匈奴を経、匈奴之を得、伝へて単于に詣らしむ。単于之を留めて曰く、「月氏は吾が北に在り、漢何を以て往きて使ひするを得んや。吾、越に使ひせしめんと欲せば、漢肯へて我に聴さんや」と。騫を留むること十余歳、妻を与へ、子有り。然れども騫、漢の節を持して失はず。
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史記 大宛列伝大宛の跡は、張騫より見る。張騫は漢中の人なり。建元中に郎と為る。是の時、天子、匈奴の降る者に問ふに、皆言ふ、「匈奴、月氏の王を破り、其の頭を以て飲器と為す。月氏遁逃して常に匈奴を怨仇すれども、与に共に之を撃つもの無し」と。
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史記 大宛列伝騫の為人彊力にして、寛大にして人を信じ、蛮夷之を愛す。堂邑父は故と胡人なり、善く射、窮急すれば禽獣を射て食を給す。騫身ら至る所の者は大宛・大月氏・大夏・康居なり、而して其の旁の大国五六を伝聞し、具に天子の為に之を言ふ。
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史記 大宛列伝今、身毒国又大夏の東南数千里に居りて蜀の物有り。此れ其の蜀を去ること遠からざるなり。今、大夏に使ひするに、羌中よりすれば険にして、羌人之を悪む。少しく北すれば、則ち匈奴の得る所と為る。蜀よりすれば宜しく径なるべく、又寇無し」と。天子既に大宛及び大夏・安息の属は皆大国にして奇物多く、土著にして頗る中国と業を同じくし、而して兵弱く、漢の財物を貴ぶを聞く。其の北には大月氏・康居の属有り、兵彊く、賂遺を以て利を設けて朝せしむ可し。且つ誠に得て義を以て之を属せしめば、則ち地を広むること万里、九訳を重ね、殊俗を致し、威徳四海に遍からん。天子欣然として、騫の言を以て然りと為し、乃ち騫をして蜀の犍為に因りて間使を発せしめ、四道並び出づ。駹より出で、冉より出で、徙より出で、邛・僰より出で、皆各々行くこと一二千里。其の北方は氐・筰に閉ざされ、南方は巂・昆明に閉ざさる。昆明の属は君長無く、寇盗を善くし、輒ち漢の使ひを殺略し、終に通ずるを得る莫し。然れども其の西千余里可りに乗象国有り、名づけて滇越と曰ふと聞く。而して蜀の賈の姦に物を出す者或いは焉に至る。是に於いて漢、大夏の道を求むるを以て始めて滇国に通ず。初め、漢、西南夷に通ぜんと欲するも、費多く道通ぜず、之を罷む。張騫の大夏に通ず可しと言ふに及び、乃ち復た西南夷を事とす。騫、校尉を以て大将軍に従ひて匈奴を撃ち、水草の処を知り、軍以て乏しからざるを得たり。乃ち騫を封じて博望侯と為す。是の歳は元朔六年なり。其の明年、騫、衛尉と為り、李将軍と俱に右北平に出でて匈奴を撃つ。匈奴、李将軍を囲み、軍の失亡多し。而して騫、期に後れて斬に当たり、贖ひて庶人と為る。是の歳、漢、驃騎を遣はして匈奴の西域の数万人を破り、祁連山に至る。其の明年、渾邪王其の民を率ゐて漢に降り、而して金城・河西の西、南山に並びて塩沢に至るまで、空しくして匈奴無し。匈奴時に候者の到る有るも、希なり。
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史記 大宛列伝始め月氏は敦煌・祁連の間に居りしが、匈奴の敗る所と為るに及び、乃ち遠く去り、宛を過ぎ、西のかた大夏を撃ちて之を臣とし、遂に嬀水の北に都して王庭と為す。其の余の小衆の去ること能はざる者は、南山の羌に保(よ)り、小月氏と号す。安息は大月氏の西数千里可りに在り。其の俗は土著にして田を耕し、稲麦を田り、蒲陶酒あり。城邑は大宛の如し。其の属は小大数百城、地は方数千里、最も大国たり。嬀水に臨み、市有り。民の商賈は車及び船を用ひ、旁国に行くこと或いは数千里。銀を以て銭と為し、銭は其の王の面の如し。王死すれば輒ち銭を更め、王の面に効ふ。革に画きて旁行し、以て書記と為す。其の西は則ち条枝、北には奄蔡・黎軒有り。条枝は安息の西数千里に在り、西海に臨む。暑湿なり。田を耕し、稲を田る。大鳥有り、卵は甕の如し。人衆甚だ多く、往往にして小君長有り、而して安息之を役属し、以て外国と為す。国は眩を善くす。安息の長老伝へ聞く、条枝に弱水・西王母有りと。而れども未だ嘗て見ず。大夏は大宛の西南二千余里、嬀水の南に在り。其の俗は土著にして城屋有り、大宛と俗を同じくす。大君長無く、往往にして城邑に小長を置く。其の兵弱く、戦ひを畏る。賈市を善くす。大月氏の西に徙るに及び、攻めて之を敗り、皆大夏を臣畜す。大夏の民多く、百余万可りなり。其の都を藍市城と曰ひ、市有りて諸物を販賈す。其の東南に身毒国有り。騫曰く、「臣、大夏に在りし時、邛の竹杖・蜀の布を見る。問ひて曰く、『安くにか此を得たる』と。大夏の国人曰く、『吾が賈人往きて之を身毒に市ふ。身毒は大夏の東南数千里可りに在り。其の俗は土著にして、大いに大夏と同じく、而して卑湿暑熱なりと云ふ。其の人民は象に乗りて以て戦ふ。其の国は大水に臨む』と。騫を以て之を度るに、大夏は漢を去ること万二千里、漢の西南に居る。
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史記 大宛列伝其の後二年、漢、単于を幕北に撃ち走らす。是の後、天子数々騫に大夏の属を問ふ。騫既に侯を失ひ、因りて言ひて曰く、「臣、匈奴の中に居りしとき、聞く、烏孫の王を昆莫と号す。昆莫の父は匈奴の西辺の小国なり。匈奴其の父を攻め殺し、而して昆莫生まれて野に棄てらる。烏、肉を嗛(ふく)みて其の上に蜚び、狼往きて之に乳す。単于怪しみて以て神と為し、収めて之を長ぜしむ。壮なるに及び、兵を将ゐしむるに、数々功有り。単于復た其の父の民を以て昆莫に予へ、長く西域を守らしむ。昆莫其の民を収養し、旁の小邑を攻め、控弦数万、攻戦に習ふ。単于死し、昆莫乃ち其の衆を率ゐて遠く徙り、中立して、肯へて匈奴に朝会せず。匈奴奇兵を遣はして撃つも勝たず、以て神と為して之を遠ざけ、因りて之を羈属し、大いには攻めず。今、単于新たに漢に困しみ、而して故の渾邪の地は空しくして人無し。蛮夷の俗は漢の財物を貪る。今誠に此の時を以て厚く幣もて烏孫に賂ひ、招きて以て益々東せしめ、故の渾邪の地に居らしめ、漢と昆弟を結ばば、其の勢ひ宜しく聴くべし。聴かば則ち是れ匈奴の右臂を断つなり。既に烏孫に連ならば、其の西の大夏の属より、皆招来して外臣と為す可し」と。天子以て然りと為し、騫を拝して中郎将と為し、三百人を将ゐしめ、馬各二匹、牛羊は万を以て数へ、金幣帛の直数千巨万を齎(もた)らし、多く節を持つ副使を持たしめ、道の使ひす可きは、使ひして之を他の旁国に遺らしむ。
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