史記 / 淮南衡山列伝
淮南王安為人書を読み琴を鼓するを好み、亦た陰徳を行ひ百姓を拊循し、誉を天下に流さんと欲す。時時厲王の死を怨望し、時に畔逆せんと欲す。武安侯逆へて王に語りて曰、方今上に太子無し、大王は高皇帝の孫に親しく、仁義を行ひ、天下聞かざる莫し。即し宮車一日晏駕せば、大王に非ずして誰か立つべき者ぞ。淮南王大いに喜び、厚く武安侯に金財物を遺る。彗星見はれ、辨士の方略を為す者、妄りに妖言を作して王に諂諛す、王喜び、多く金銭を賜ひて、謀反滋ます甚だし。
書き下し
淮南王安の為人、書を読み琴を鼓するを好み、亦た陰徳を行ひ百姓を拊循し、誉を天下に流さんと欲す。時時厲王の死を怨望し、時に畔逆せんと欲す。武安侯逆へて王に語りて曰く、「方今上に太子無し、大王は高皇帝の孫に親しく、仁義を行ひ、天下聞かざる莫し。即し宮車一日晏駕せば、大王に非ずして誰か立つべき者ぞ」と。淮南王大いに喜び、厚く武安侯に金財物を遺る。彗星見はれ、辨士の方略を為す者、妄りに妖言を作して王に諂諛す、王喜び、多く金銭を賜ひて、謀反滋ます甚だし。
現代語訳
「甘い言葉と、都合のよい思い込みが、危うい野心を煽り、判断を狂わせる」——淮南王安が、追従と妄言によって謀反へと傾いていく過程を描いた一段です。淮南王安は、読書と琴を好み、狩りや馬を好まず、ひそかに善行を積んで民をいたわり、天下に名声を広めようとする、教養ある人物でした。しかし内心では、父・厲王の死を恨み、折あらば謀反を起こそうという野心を、ひそかに抱いていたのです。この危うい野心を、周囲の甘い言葉が煽っていきます。まず、当時権勢を誇った武安侯(田蚡)が、王を出迎えてこう囁きました。「今、陛下には後継ぎの太子がおられません。大王は高祖の孫にあたる血筋で、仁義を行い、その名は天下に響いております。もし万一、陛下が崩御なさったら、大王をおいて誰が帝位に立てましょうか」と。この露骨なおだてに、淮南王は大喜びし、武安侯に多額の金品を贈りました。さらに、彗星が現れると、口達者な弁士たちが、「天下に大乱が起こる兆しだ」などと、でたらめな妖言をでっちあげて王にへつらいます。王はそれを喜んで、彼らに多くの金を与えた。こうして、甘い追従と、都合のよい思い込みに囲まれるうちに、王の謀反の心は、ますます膨れ上がっていったのです。ここに、判断を狂わせるものについての教訓があります。第一に、甘い言葉やおだて(諂諛)が、人の危うい野心や願望を煽り、冷静な判断を狂わせるということ。武安侯の「大王こそ次の帝に」という露骨なおだてに、淮南王は舞い上がった。自分にとって心地よい言葉ほど、その裏の意図や危うさを疑うべきである。第二に、都合のよい思い込み(願望的観測)が、事実を歪めて解釈させるということ。彗星という自然現象を、王は「自分に有利な天下の変事の兆し」と、願望に引きつけて解釈した。人は、見たいものを見てしまう。第三に、追従する者に報い、耳に痛いことを言う者を遠ざければ、周囲がイエスマンばかりになり、破滅へ突き進むということ。組織やリーダーの立場で、心地よいおだてほどその裏を疑うこと、都合のよい思い込みで事実を歪めないこと、そして追従者ばかりを重用して裸の王様にならないこと——淮南王安の暴走は、甘言と願望が判断を狂わせる危うさを教えます。