史記 / 東越列伝
未至,閩越引兵而去。東甌請舉國徙中國,乃悉舉眾來,處江淮之閒。
新字:未至,閩越引兵而去。東甌請舉国徙中国,乃悉舉衆来,処江淮之閒。
書き下し
未だ至らざるに、閩越兵を引きて去る。東甌国を挙げて中国に徙らんことを請ひ、乃ち悉く衆を挙げて来たり、江淮の間に処る。
現代語訳
(漢の救援軍が)まだ到着しないうちに、閩越は兵を引いて去った。東甌は国を挙げて中国に移住したいと願い出て、民衆をことごとく引き連れてやって来て、長江と淮水の間に住んだ。
解説
建元三年(前138年)、閩越に包囲された東甌が漢に救いを求め、武帝が厳助を派遣して会稽から海路で兵を送った後の結末を記す一文です。漢軍が着く前に閩越は撤退し、東甌は自ら故地を捨てて国ごと中国の江淮地方へ移住することを願い出ました。隣国に絶えず脅かされる小国にとって、独立を保つよりも大国の内側で安全を得るほうを選んだのです。この決断により東甌という国は消え、その民は漢の民となりました。生き残るために看板を下ろして大きな組織に合流するという選択は、今の企業の事業売却や統合にも重なります。独立の誇りと構成員の安全のどちらを優先するかは、指導者にとって最も重い判断の一つだと気づかせてくれます。
関連する章句
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史記 東越列伝建元三年に至り、閩越兵を発して東甌を囲む。東甌食尽き、困しみ、且に降らんとし、乃ち人をして急を天子に告げしむ。天子太尉田蚡に問ふに、蚡対へて曰く、「越人相攻撃するは、固より其の常なり、又数しば反覆す、以て中国を煩はして往き救ふに足らず」と。是に於て中大夫荘助蚡を詰りて曰く、「特だ力の救ふ能はず、徳の覆ふ能はざるを患ふ。誠に能くせば、何の故に之を棄てん。今小国窮困を以て来たりて天子に告急す、天子振はずんば、彼当に安くに告愬する所ぞ。又何を以て萬国に子たらんや」と。上曰く、「太尉与に計るに足らず」と。乃ち荘助を遣り節を以て兵を会稽に発せしむ、遂に兵を発して海に浮かべて東甌を救ふ。
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史記 東越列伝今漢兵至り、衆彊し、計るに余善を殺し、自ら諸将に帰せば、儻いは幸ひに脱るるを得ん」と。乃ち遂に倶に余善を殺し、其の衆を以て横海将軍に降る、故に繇王居股を封じて東成侯と為し、万戸。建成侯敖を封じて開陵侯と為す。越衍侯呉陽を封じて北石侯と為す。横海将軍説を封じて案道侯と為す。横海校尉福を封じて繚嫈侯と為す。福は、成陽共王の子にして、故海常侯為り、法に坐して侯を失ふ。旧軍に従ひて功無きも、宗室を以ての故に侯たり。諸将皆成功無く、封ぜらるる莫し。東越の将多軍、漢兵至るや、其の軍を棄てて降り、封じて無錫侯と為る。是に於て天子曰く、東越は狭くして阻多く、閩越は悍にして、数々反覆すと、軍吏に詔して皆其の民を将ゐて江淮の間に徙り処らしむ。東越の地遂に虚し。
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史記 東越列伝閩越王無諸及び越の東海王揺は、其の先皆越王句践の後なり、姓は騶氏。秦已に天下を并せ、皆廃して君長と為し、其の地を以て閩中郡と為す。諸侯秦に畔くに及び、無諸・揺越を率ゐて鄱陽の令呉芮に帰す、所謂鄱君なる者なり、諸侯に従ひて秦を滅ぼす。是の時に当たり、項籍命を主る、王とせず、故を以て楚に附かず。漢項籍を撃つや、無諸・揺越人を率ゐて漢を佐く。漢の五年、復た無諸を立てて閩越王と為し、閩中の故地に王とし、東冶に都せしむ。孝恵の三年、高帝の時の越の功を挙げ、曰く閩君揺は功多く、其の民便附すと、乃ち揺を立てて東海王と為し、東甌に都せしむ、世俗号して東甌王と為す。後数世、孝景の三年に至り、呉王濞反し、閩越を従へんと欲す、閩越未だ行くを肯ぜず、独り東甌呉に従ふ。呉破るるに及び、東甌漢の購を受け、呉王を丹徒に殺す、故を以て皆誅せられざるを得て、国に帰る。呉王の子子駒亡げて閩越に走り、東甌の其の父を殺すを怨み、常に閩越に東甌を撃たんことを勧む。
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史記 東越列伝建元六年に至り、閩越南越を撃つ。南越天子の約を守り、敢て擅に兵を発して撃たずして以て聞す。上大行王恢を遣り豫章より出で、大農韓安国会稽より出で、皆将軍と為す。兵未だ嶺を踰えざるに、閩越王郢兵を発して険を距つ。其の弟餘善乃ち相・宗族と謀りて曰く、「王擅に兵を発して南越を撃ち、請はず、故に天子の兵来たりて誅す。今漢兵衆彊なり。今王を殺して以て天子に謝せん。天子聴かば、兵を罷め、固より一国完し」と。皆「善し」と曰ふ。即ち王を鏦殺し、使をして其の頭を奉じて大行に致さしむ。大行曰く、「来たる所以の者は王を誅するなり。今王の頭至り、謝罪す、戦はずして耘る、利焉より大なるは莫し」と。
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史記 東越列伝余善「武帝」の璽を刻して自立し、其の民を詐り、妄言を為す。天子横海将軍韓説を遣はし句章に出で、海に浮かびて東方より往かしむ。楼船将軍楊僕は武林に出で、中尉王温舒は梅嶺に出で、越侯は戈船・下瀬将軍と為り、若邪・白沙に出づ。元封元年冬、咸東越に入る。東越素より兵を発して険を距ぎ、徇北将軍をして武林を守らしめ、楼船軍の数校尉を敗り、長吏を殺す。楼船将軍の率ゐる銭唐の轅終古徇北将軍を斬り、御児侯と為る。自ら兵未だ往かず。故の越衍侯呉陽前に漢に在り、漢帰りて余善を諭さしむるも、余善聴かず。横海将軍先づ至るに及び、越衍侯呉陽其の邑の七百人を以て反し、越軍を漢陽に攻む。建成侯敖に従ひ、其の率と与に、繇王居股に従ひて謀りて曰く、「余善は首悪なり、吾が属を劫守す。
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史記 東越列伝是の時楼船将軍楊僕使ひをして上書せしめ、便ち兵を引きて東越を撃たんことを願ふ。上士卒労倦すと曰ひ、許さず、兵を罷め、諸校をして豫章の梅領に屯して命を待たしむ。元鼎六年秋、余善楼船の之を誅せんことを請ひ、漢兵境に臨み、且に往かんとするを聞き、乃ち遂に反し、兵を発して漢の道を距ぐ。将軍騶力等を号して「呑漢将軍」と為し、白沙・武林・梅嶺に入り、漢の三校尉を殺す。是の時漢大農張成・故の山州侯歯をして将として屯せしむるも、敢て撃たず、却きて便処に就く、皆畏懦に坐して誅せらる。
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