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史記 / 平津侯主父列伝

卒以弘為丞相,封平津侯。弘為人意忌,外寬內深。諸嘗與弘有卻者,雖詳與善,陰報其禍。殺主父偃,徙董仲舒於膠西,皆弘之力也。食一肉脫粟之飯。故人所善賓客,仰衣食,弘奉祿皆以給之,家無所餘。士亦以此賢之。淮南、衡山謀反,治黨與方急。弘病甚,自以為無功而封,位至丞相,宜佐明主填撫國家,使人由臣子之道。今諸侯有畔逆之計,此皆宰相奉職不稱,恐竊病死,無以塞責。乃上書曰:「臣聞天下之通道五,所以行之者三。曰君臣,父子,兄弟,夫婦,長幼之序,此五者天下之通道也。智,仁,勇,此三者天下之通德,所以行之者也。故曰『力行近乎仁,好問近乎智,知恥近乎勇』。知此三者,則知所以自治;知所以自治,然後知所以治人。天下未有不能自治而能治人者也,此百世不易之道也。今陛下躬行大孝,鑒三王,建周道,兼文武,厲賢予祿,量能授官。今臣弘罷駑之質,無汗馬之勞,陛下過意擢臣弘卒伍之中,封為列侯,致位三公。臣弘行能不足以稱,素有負薪之病,恐先狗馬填溝壑,終無以報德塞責。願歸侯印,乞骸骨,避賢者路。」天子報曰:「古者賞有功,襃德,守成尚文,遭遇右武,未有易此者也。

新字:卒以弘為丞相,封平津侯。弘為人意忌,外寛内深。諸嘗与弘有却者,雖詳与善,陰報其禍。殺主父偃,徙董仲舒於膠西,皆弘之力也。食一肉脱粟之飯。故人所善賓客,仰衣食,弘奉禄皆以給之,家無所余。士亦以此賢之。淮南、衡山謀反,治党与方急。弘病甚,自以為無功而封,位至丞相,宜佐明主填撫国家,使人由臣子之道。今諸侯有畔逆之計,此皆宰相奉職不称,恐窃病死,無以塞責。乃上書曰:「臣聞天下之通道五,所以行之者三。曰君臣,父子,兄弟,夫婦,長幼之序,此五者天下之通道也。智,仁,勇,此三者天下之通徳,所以行之者也。故曰『力行近乎仁,好問近乎智,知恥近乎勇』。知此三者,則知所以自治;知所以自治,然後知所以治人。天下未有不能自治而能治人者也,此百世不易之道也。今陛下躬行大孝,鑒三王,建周道,兼文武,厲賢予禄,量能授官。今臣弘罷駑之質,無汗馬之労,陛下過意擢臣弘卒伍之中,封為列侯,致位三公。臣弘行能不足以称,素有負薪之病,恐先狗馬填溝壑,終無以報徳塞責。願帰侯印,乞骸骨,避賢者路。」天子報曰:「古者賞有功,褒徳,守成尚文,遭遇右武,未有易此者也。

書き下し

卒に弘を以て丞相と為し、平津侯に封ず。弘人と為り意忌、外は寛にして内は深し。諸々の嘗て弘と卻有る者は、詳りて与に善しと雖も、陰に其の禍を報ず。主父偃を殺し、董仲舒を膠西に徙すは、皆弘の力なり。一肉脱粟の飯を食ふ。故人の善くする所の賓客、衣食を仰ぐ、弘の奉禄皆以て之に給し、家に余す所無し。士も亦此を以て之を賢とす。淮南・衡山謀反し、党与を治むること方に急なり。弘病甚し、自ら以為へらく功無くして封ぜられ、位丞相に至る、宜しく明主を佐けて国家を填撫し、人をして臣子の道に由らしむべし。今諸侯畔逆の計有り、此れ皆宰相職を奉じて称はざるなり、恐らくは窃かに病死し、以て責を塞ぐ無からんと。乃ち上書して曰く、「臣聞く天下の通道は五、之を行ふ所以の者は三。曰く君臣、父子、兄弟、夫婦、長幼の序、此の五者は天下の通道なり。智、仁、勇、此の三者は天下の通徳、之を行ふ所以の者なり。故に曰く『力行は仁に近く、好問は智に近く、知恥は勇に近し』と。此の三者を知れば、則ち自ら治むる所以を知る。自ら治むる所以を知りて、然る後に人を治むる所以を知る。天下未だ自ら治むること能はずして能く人を治むる者有らざるなり、此れ百世易はらざるの道なり。今陛下躬ら大孝を行ひ、三王に鑑み、周道を建て、文武を兼ね、賢を厲まし禄を予へ、能を量りて官を授く。今臣弘罷駑の質、汗馬の労無し、陛下過意して臣弘を卒伍の中より擢き、封じて列侯と為し、位を三公に致す。臣弘行能以て称ふに足らず、素より負薪の病有り、恐らくは狗馬に先んじて溝壑を填め、終に以て徳に報い責を塞ぐ無からん。願はくは侯印を帰し、骸骨を乞ひ、賢者の路を避けん」と。天子報じて曰く、「古者功有るを賞し、徳を襃め、成を守るには文を尚び、遭遇には武を右ぶ、未だ此を易ふる者有らざるなり。

現代語訳

ついに弘を丞相とし、平津侯に封じた。弘は人柄が猜疑心深く、外面は寛大だが内心は底意地が深かった。かつて弘と不仲になった者たちには、表向きは仲良くするふりをしながら、陰でその仕返しをした。主父偃を死に追いやり、董仲舒を膠西(こうせい)国の相に移したのは、みな弘の力によるものである。食事は肉一品に玄米の飯だけであった。古なじみや親しい賓客で衣食を頼ってくる者には、俸禄をすべてそれに充て、家には余りがなかった。士人たちもこのことで彼を賢者とした。淮南王・衡山王が謀反を企て、その一党の取り調べがまさに急であったころ、弘は病が重く、自ら考えた。「功もないのに封ぜられ、位は丞相に至った。本来なら明君を補佐して国家を鎮め安んじ、人々に臣子の道を守らせるべきであった。今、諸侯に反逆の企てがあるのは、すべて宰相が職務を果たしていないからである。このままひそかに病死すれば、責任を果たす手立てがなくなるだろう」。そこで上書して言った。「天下に共通の道は五つあり、それを行うためのものは三つあると聞いている。君臣・父子・兄弟・夫婦・長幼の序、この五つが天下の通道である。智・仁・勇、この三つが天下に共通の徳であり、通道を行うためのものである。それゆえ『努めて行うことは仁に近く、問うことを好むのは智に近く、恥を知るのは勇に近い』という。この三つを知れば、自らを治める方法がわかる。自らを治める方法がわかってはじめて、人を治める方法がわかる。自らを治められないのに人を治められた者は天下にいまだおりません。これは百世変わらぬ道である。今、陛下は自ら大いなる孝を行い、三王を手本とし、周の道を打ち立て、文と武をあわせ持ち、賢者を励まして禄を与え、能力を量って官を授けておられる。いま臣弘は疲れた駄馬のような資質で、戦場で汗を流した功もないのに、陛下は過分のお心で臣を兵卒の列から抜擢し、列侯に封じ、三公の位にまで上らせてくださいました。臣の行いと能力はそれに見合わず、もともと持病があり、陛下の犬馬よりも先に溝に屍をさらし、ついにご恩に報いて責任を果たすことができないのではと恐れる。どうか侯の印を返上し、骸骨を乞うて(辞職して)、賢者に道を譲らせてください」。天子は答えて言った。「昔から、功ある者を賞し、徳ある者をほめ、成果を守るには文を尊び、乱に遭えば武を重んじてきた。これを改めた者はいない。

解説

丞相となった公孫弘の二面性を、司馬遷が遠慮なく書き留めた段です。質素な食事で俸禄を賓客に分け与え、士から賢者と称えられる一方、「外は寛く内は深い」性格で、かつて対立した者には陰で報復し、主父偃の死や董仲舒の左遷にも関わったとされます。後半は淮南・衡山の謀反を宰相の責任と受け止めた辞職願で、『中庸』の「五つの通道と三つの達徳」を引き、自らを治められぬ者は人を治められないと説く堂々たる文章です。清廉な生活と陰湿な報復が同じ人物の中に同居していること、そして立派な言葉と実際の行いが必ずしも一致しないことを、司馬遷は並べて見せています。組織で人を評価するとき、表の徳目だけでなく、対立した相手への振る舞いも見る必要があると気づかされます。

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