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史記 / 匈奴列伝

是時天子巡邊,至朔方,勒兵十八萬騎以見武節,而使郭吉風告單于。郭吉既至匈奴,匈奴主客問所使,郭吉禮卑言好,曰:「吾見單于而口言。」單于見吉,吉曰:「南越王頭已懸於漢北闕。今單于即能前與漢戰,天子自將兵待邊;單于即不能,即南面而臣於漢。何徒遠走,亡匿於幕北寒苦無水草之地,毋爲也。」語卒而單于大怒,立斬主客見者,而留郭吉不歸,遷之北海上。而單于終不肯爲寇於漢邊,休養息士馬,習射獵,數使使於漢,好辭甘言求請和親。漢使王烏等窺匈奴。匈奴法,漢使非去節而以墨黥其面者不得入穹廬。王烏,北地人,習胡俗,去其節,黥面,得入穹廬。單于愛之,詳許甘言,爲遣其太子入漢爲質,以求和親。漢使楊信於匈奴。是時漢東拔穢貉、朝鮮以爲郡,而西置酒泉郡以鬲絕胡與羌通之路。漢又西通月氏、大夏,又以公主妻烏孫王,以分匈奴西方之援國。又北益廣田至胘雷爲塞,而匈奴終不敢以爲言。是歳,翕侯信死,漢用事者以匈奴爲已弱,可臣從也。楊信爲人剛直屈彊,素非貴臣,單于不親。單于欲召入,不肯去節,單于乃坐穹廬外見楊信。楊信既見單于,說曰:「即欲和親,以單于太子爲質於漢。」單于曰:「非故約。

新字:是時天子巡辺,至朔方,勒兵十八万騎以見武節,而使郭吉風告単于。郭吉既至匈奴,匈奴主客問所使,郭吉礼卑言好,曰:「吾見単于而口言。」単于見吉,吉曰:「南越王頭已懸於漢北闕。今単于即能前与漢戦,天子自将兵待辺;単于即不能,即南面而臣於漢。何徒遠走,亡匿於幕北寒苦無水草之地,毋為也。」語卒而単于大怒,立斬主客見者,而留郭吉不帰,遷之北海上。而単于終不肯為寇於漢辺,休養息士馬,習射猟,数使使於漢,好辞甘言求請和親。漢使王烏等窺匈奴。匈奴法,漢使非去節而以墨黥其面者不得入穹廬。王烏,北地人,習胡俗,去其節,黥面,得入穹廬。単于愛之,詳許甘言,為遣其太子入漢為質,以求和親。漢使楊信於匈奴。是時漢東抜穢貉、朝鮮以為郡,而西置酒泉郡以鬲絶胡与羌通之路。漢又西通月氏、大夏,又以公主妻烏孫王,以分匈奴西方之援国。又北益広田至胘雷為塞,而匈奴終不敢以為言。是歳,翕侯信死,漢用事者以匈奴為已弱,可臣従也。楊信為人剛直屈彊,素非貴臣,単于不親。単于欲召入,不肯去節,単于乃坐穹廬外見楊信。楊信既見単于,説曰:「即欲和親,以単于太子為質於漢。」単于曰:「非故約。

書き下し

是の時天子辺を巡り、朔方に至り、兵十八万騎を勒して以て武節を見し、而して郭吉をして単于に風告せしむ。郭吉既に匈奴に至る。匈奴の主客使ふ所を問ふ。郭吉礼卑しく言好くして、曰く、「吾単于に見えて口もて言はん」と。単于吉を見る。吉曰く、「南越王の頭已に漢の北闕に懸かる。今単于即し能く前みて漢と戦はば、天子自ら兵を将ゐて辺に待たん。単于即し能はずんば、即ち南面して漢に臣たれ。何ぞ徒に遠く走り、幕北の寒苦にして水草無きの地に亡匿するや。為す毋かれ」と。語卒はりて単于大いに怒り、立ちどころに主客の見えしむる者を斬り、而して郭吉を留めて帰さず、之を北海の上に遷す。而して単于終に肯へて寇を漢の辺に為さず、士馬を休養息し、射猟を習ひ、数々使を漢に使はし、好辞甘言もて和親を求請す。漢王烏等をして匈奴を窺はしむ。匈奴の法、漢の使は節を去りて墨を以て其の面に黥する者に非ずんば穹廬に入るを得ず。王烏は、北地の人にして、胡の俗に習ひ、其の節を去り、面に黥して、穹廬に入るを得たり。単于之を愛し、詳りて甘言を許し、為に其の太子を遣はして漢に入りて質と為し、以て和親を求めんとす。漢楊信を匈奴に使はす。是の時漢東のかた穢貉・朝鮮を抜きて以て郡と為し、而して西のかた酒泉郡を置きて以て胡と羌との通ずるの路を鬲絶す。漢又西のかた月氏・大夏に通じ、又公主を以て烏孫王に妻はせ、以て匈奴の西方の援国を分かつ。又北のかた益々田を広めて胘雷に至りて塞と為す。而るに匈奴終に敢へて以て言を為さず。是の歳、翕侯信死す。漢の事を用ふる者以為へらく匈奴已に弱し、臣従せしむべしと。楊信の人と為りは剛直屈彊にして、素より貴臣に非ず。単于親しまず。単于召し入れんと欲するも、節を去るを肯ぜず。単于乃ち穹廬の外に坐して楊信に見ゆ。楊信既に単于に見えて、説きて曰く、「即し和親せんと欲せば、単于の太子を以て漢に質と為せ」と。単于曰く、「故約に非ず。

現代語訳

この時、天子は辺境を巡幸して朔方に至り、兵十八万騎を整えて武威を示し、郭吉に単于へ遠回しに告げさせた。郭吉が匈奴に着くと、匈奴の接待役が使いの用件を尋ねた。郭吉は礼儀正しく言葉も穏やかに「わたしは単于にお会いして直接申し上げたい」と言った。単于が郭吉に会うと、郭吉は言った。「南越王の首はすでに漢の宮殿の北門に掛けられている。今、単于がもし進み出て漢と戦えるなら、天子は自ら兵を率いて辺境でお待ちしている。単于がもし戦えないなら、南を向いて(臣下として)漢に臣従しなさい。どうしていたずらに遠く逃げ、砂漠の北の寒く苦しい、水も草もない土地に隠れているのか。そんなことはおやめなさい」。言い終わると単于は大いに怒り、すぐに郭吉を取り次いだ接待役を斬り、郭吉を引き留めて帰さず、北海(バイカル湖)のほとりに移した。しかし単于は結局、漢の辺境に侵攻しようとはせず、兵と馬を休めて養い、狩猟を習い、たびたび漢に使者を送って、丁重な言葉と甘い言葉で和親を求めた。漢は王烏らに匈奴の様子を探らせた。匈奴の法では、漢の使者は、使者の印である節を外し、顔に墨で入れ墨をした者でなければ、単于の天幕に入ることができなかった。王烏は北地の人で、匈奴の風俗に慣れていたので、節を外し、顔に入れ墨をして、天幕に入ることができた。単于は王烏を気に入り、偽って甘い言葉で承知したふりをし、太子を漢に人質として送って和親を求めようと言った。漢は楊信を匈奴に使者として送った。この頃、漢は東で穢貉・朝鮮を攻め取って郡とし、西には酒泉郡を置いて匈奴と羌の通じる道を断ち切った。漢はまた西の月氏・大夏と通交し、さらに公主を烏孫王に嫁がせて、匈奴の西方の同盟国を切り離した。また北ではますます屯田を広げて胘雷に至るまで要塞とした。それでも匈奴は結局あえて何も言わなかった。この年、翕侯趙信が死んだ。漢の政務を執る者たちは、匈奴はすでに弱っているから臣従させられると考えた。楊信の人柄は剛直で強情であり、もともと高貴な臣でもなかったので、単于は親しまなかった。単于は楊信を天幕に呼び入れようとしたが、楊信は節を外すことを承知しなかったので、単于は天幕の外に座って楊信に会った。楊信は単于に会うと説いた。「もし和親したいのなら、単于の太子を漢に人質として送りなさい」。単于は言った。「それは以前の盟約とは違う。

解説

武帝の威圧外交と、匈奴との駆け引きを記した段です。南越を滅ぼした武帝は、十八万騎を率いて朔方に臨み、使者郭吉に「南越王の首はすでに北闕に懸かっている、戦うなら来い、できないなら臣従せよ」と単于に告げさせました。単于は激怒して取り次いだ者を斬り、郭吉を北海のほとりに流しますが、実際には漢の辺境を侵さず、力を蓄えながら甘い言葉で和親を求めます。漢の使者王烏は、節を外し顔に入れ墨をするという匈奴の作法に従って単于の天幕に入り、単于に気に入られて、太子を人質に出すという言葉を引き出しました。一方で漢は、朝鮮を郡とし、酒泉郡で匈奴と羌を分断し、烏孫に公主を嫁がせて匈奴の同盟国を切り離すなど、包囲網を着々と築きます。しかし剛直な楊信は節を外すことを拒み、単于は天幕の外で会うだけでした。相手の作法に合わせるか、自分の原則を貫くかで、交渉の入り口がまったく変わることを示しています。

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