史記 / 韓長孺列伝
於是景帝、太后益重安國。孝王卒,共王即位,安國坐法失官,居家。建元中,武安侯田蚡爲漢太尉,親貴用事,安國以五百金物遺蚡。蚡言安國太后,天子亦素聞其賢,即召以爲北地都尉,遷爲大司農。閩越、東越相攻,安國及大行王恢將。未至越,越殺其王降,漢兵亦罷。建元六年,武安侯爲丞相,安國爲御史大夫。
新字:於是景帝、太后益重安国。孝王卒,共王即位,安国坐法失官,居家。建元中,武安侯田蚡為漢太尉,親貴用事,安国以五百金物遺蚡。蚡言安国太后,天子亦素聞其賢,即召以為北地都尉,遷為大司農。閩越、東越相攻,安国及大行王恢将。未至越,越殺其王降,漢兵亦罷。建元六年,武安侯為丞相,安国為御史大夫。
書き下し
是に於て景帝・太后益々安国を重んず。孝王卒し、共王即位す。安国法に坐して官を失ひ、家居す。建元中、武安侯田蚡漢の太尉と為り、親貴にして事を用ふ。安国五百金の物を以て蚡に遺る。蚡安国を太后に言ふ。天子も亦素より其の賢を聞き、即ち召して以て北地都尉と為し、遷して大司農と為す。閩越・東越相攻む。安国及び大行王恢将たり。未だ越に至らざるに、越其の王を殺して降り、漢の兵も亦罷む。建元六年、武安侯丞相と為り、安国御史大夫と為る。
現代語訳
こうして景帝と太后はますます韓安国を重んじた。孝王が亡くなり、共王が即位すると、韓安国は法に触れて官職を失い、家に住んでいた。建元年間、武安侯田蚡が漢の太尉となり、天子の近親として尊ばれ政務を執っていた。韓安国は五百金に値する品を田蚡に贈った。田蚡は韓安国のことを太后に話した。天子もかねてその賢さを聞いていたので、すぐに召し出して北地都尉とし、ついで大司農に昇進させた。閩越と東越が互いに攻め合うと、韓安国と大行(外交を司る官)の王恢が将軍となった。まだ越に着かないうちに、越がその王を殺して降伏したので、漢の兵も引き揚げた。建元六年、武安侯が丞相となり、韓安国は御史大夫となった。
解説
関連する章句
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史記 韓長孺列伝安国人と為り大略多く、智以て当世に取合するに足り、而も忠厚に出づ。財を貪嗜す。推挙する所皆廉士、己に賢れる者なり。梁に於て壺遂・臧固・郅他を挙ぐ、皆天下の名士なり、士も亦た此を以て之を称慕し、唯だ天子のみ以て国器と為す。安国御史大夫為ること四歳餘、丞相田蚡死し、安国丞相の事を行ふ、引を奉じて車より墮ちて蹇む。天子相を置くを議し、安国を用ゐんと欲す、使をして之を視しむるに、蹇むこと甚だし、乃ち更に平棘侯薛澤を以て丞相と為す。
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史記 魏其武安侯列伝武安侯は職に任ぜずと雖も、王太后の故を以て、親幸せられ、数々事を言ひて多く効あり。天下の吏士の勢利に趨る者、皆魏其を去りて武安に帰す。武安日に益々横なり。建元六年、竇太后崩ず。丞相昌・御史大夫青翟喪事の辦ぜざるに坐して、免ぜらる。武安侯蚡を以て丞相と為し、大司農韓安国を以て御史大夫と為す。天下の士郡の諸侯愈々益々武安に附く。武安は、貌侵にして、生まれながらにして貴きこと甚だし。又以為へらく、諸侯王多く長じ、上初めて即位し、春秋に富む。蚡肺腑を以て京師の相と為る。痛く節を折りて礼を以て之を詘するに非ずんば、天下粛まずと。是の時に当たり、丞相入りて事を奏すれば、坐語すること日を移し、言ふ所皆聴かる。人を薦むるに或いは家より起こして二千石に至る。権主上に移る。上乃ち曰く、「君の吏を除くこと已に尽くせりや未だしや。吾も亦吏を除かんと欲す」と。嘗て考工の地を請ひて宅を益さんとす。上怒りて曰く、「君何ぞ遂に武庫を取らざる」と。是の後乃ち退く。嘗て客を召して飲み、其の兄蓋侯を南郷に坐せしめ、自ら東郷に坐す。以為へらく漢の相は尊し、兄の故を以て私かに橈むべからずと。武安此に由りて滋々驕り、宅を治むること諸第に甲たり。田園は極めて膏腴にして、市して郡県の器物を買ふこと道に相属く。前堂には鐘鼓を羅ね、曲旃を立つ。後房の婦女は百を以て数ふ。諸侯の奉ずる金玉狗馬玩好、勝げて数ふべからず。魏其竇太后を失ひ、益々疏んぜられて用ひられず、勢無し。諸客稍稍自ら引きて怠傲す。唯灌将軍のみ独り故を失はず。魏其日に黙黙として志を得ず、
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史記 魏其武安侯列伝武安侯田蚡は、孝景后の同母弟なり。長陵に生まる。魏其已に大将軍と為りし後、方に盛んなり。蚡諸郎為りて、未だ貴からず、往来して魏其に侍酒し、跪起すること子姓の如し。孝景の晩節に及び、蚡益々貴幸せられ、太中大夫と為る。蚡は弁にして口有り、槃盂の諸書を学ぶ。王太后之を賢とす。孝景崩じ、即日太子立ち、制を称す。鎮撫する所多く田蚡の賓客の計筴有り。蚡の弟田勝、皆太后の弟なるを以て、孝景の後三年、蚡を封じて武安侯と為し、勝を周陽侯と為す。武安侯新たに事を用ひて相と為らんと欲し、賓客に卑下し、名士の家居する者を進めて之を貴くし、以て魏其の諸将相を傾けんと欲す。建元元年、丞相綰病みて免ぜらる。上丞相・太尉を置かんことを議す。籍福武安侯に説きて曰く、「魏其貴きこと久し。天下の士素より之に帰す。今将軍初めて興り、未だ魏其に如かず。即し上将軍を以て丞相と為さば、必ず魏其に譲れ。魏其丞相と為らば、将軍必ず太尉と為らん。太尉・丞相は尊きこと等しきのみ。又賢に譲るの名有り」と。武安侯乃ち微かに太后に言ひて上に風せしむ。是に於て乃ち魏其侯を以て丞相と為し、武安侯を太尉と為す。籍福魏其侯を賀し、因りて弔ひて曰く、「君侯の資性は善を喜び悪を疾む。方今善人君侯を誉む。故に丞相に至る。然れども君侯且つ悪を疾む。悪人衆し。亦且に君侯を毀らんとす。君侯能く兼容せば、則ち幸ひに久しからん。能はずんば、今以て毀られて去らん」と。魏其聴かず。魏其・武安倶に儒術を好み、趙綰を推轂して御史大夫と為し、王臧を郎中令と為す。魯の申公を迎へ、明堂を設け、列侯をして国に就かしめ、関を除き、礼を以て服制を為し、以て太平を興さんと欲す。諸竇の宗室の節行毋き者を挙適し、其の属籍を除く。時に諸々の外家列侯と為り、列侯多く公主を尚り、皆国に就くを欲せず。故を以て毀日に竇太后に至る。
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史記 韓長孺列伝御史大夫韓安国は、梁の成安の人なり。後に睢陽に徙る。嘗て韓子・雑家の説を騶の田生の所に受く。梁の孝王に事へて中大夫と為る。呉楚反する時、孝王安国及び張羽をして将と為さしめ、呉の兵を東界に捍ぐ。張羽は力戦し、安国は持重す。故を以て呉梁を過ぐる能はず。呉楚已に破れ、安国・張羽の名此に由りて顕る。梁の孝王は、景帝の母弟なり。竇太后之を愛し、自ら相・二千石を置かんことを請ふを得しむ。出入遊戯、天子に僭す。天子之を聞きて、心に善しとせず。太后帝の善しとせざるを知り、乃ち梁の使者を怒りて、見ず、王の為す所を案責す。韓安国梁の使と為り、大長公主に見えて泣きて曰く、「何ぞ梁王の人の子為るの孝、人の臣為るの忠、太后曾ち省みざるや。夫れ前日呉・楚・斉・趙七国反する時、関より以東皆合従して西郷す。惟だ梁のみ最も親しくして艱難を為す。梁王太后・帝の中に在りて、諸侯擾乱するを念ひ、一言すれば泣くこと数行下り、跪きて臣等六人を送り、兵を将ゐて呉楚を撃ち卻けしむ。呉楚故を以て兵敢へて西せずして、卒に破亡す。梁王の力なり。今太后小睗苛礼を以て梁王を責望す。梁王の父兄は皆帝王にして、見る所の者大なり。故に出づれば蹕と称し、入れば警と言ふ。車旗は皆帝の賜ふ所なり。即ち以て鄙県に侘り、国中を駆馳して、以て諸侯に夸り、天下をして尽く太后・帝の之を愛するを知らしめんと欲するなり。今梁の使来れば、輒ち之を案責す。梁王恐れ、日夜涕泣思慕して、為す所を知らず。何ぞ梁王の子為りて孝、臣為りて忠なるに、太后恤れまざるや」と。大長公主具に以て太后に告ぐ。太后喜びて曰く、「為に之を帝に言へ」と。之を言ふ。帝の心乃ち解けて、冠を免ぎて太后に謝して曰く、「兄弟相教ふる能はず、乃ち太后の為に憂ひを遺す」と。悉く梁の使に見え、厚く之に賜ふ。其の後梁王益々親驩せらる。太后・長公主更々安国に千余金に直るべきを賜ふ。名此に由りて顕れ、漢に結ぶ。
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史記 韓長孺列伝安国始め御史大夫及び護軍為り、後稍く斥疏せられ、下遷す、而して新たに幸せらるる壮将軍衛青等功有り、益ます貴し。安国既に疏遠せられ、默默たり、屯を将ゐて又匈奴に欺かれ、失亡多く、甚だ自ら愧づ。幸に罷帰するを得、乃ち益ます東のかた徙屯し、意忽忽として楽しまず。数月、病みて血を歐して死す。太史公曰く、「余壺遂と律歴を定め、韓長孺の義、壺遂の深中隱厚を観る。世の梁に長者多しと言ふ、虚しからざるかな」と。
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史記 魏其武安侯列伝魏其侯大いに媿ぢ、資を為して賓客をして請はしむるも、能く解く莫し。武安の吏皆耳目と為り、諸灌氏皆亡げ匿れ、夫系がれて、遂に武安の陰事を告言するを得ず。魏其身を鋭くして為に灌夫を救ふ。夫人魏其を諫めて曰く、「灌将軍罪を丞相に得、太后の家と忤ふ。寧ぞ救ふべけんや」と。魏其侯曰く、「侯は我より之を得、我より之を捐つ。恨む所無し。且つ終に灌仲孺をして独り死し、嬰独り生きしめず」と。乃ち其の家に匿れて、竊かに出でて上書す。立ちどころに召し入れらる。具に灌夫の酔飽の事を言ひ、誅するに足らずとす。上之を然りとし、魏其に食を賜ひ、曰く、「東朝にて之を廷弁せよ」と。魏其東朝に之き、盛んに灌夫の善を推し、其の酔飽して過を得たるに、乃ち丞相他事を以て之を誣罪すと言ふ。武安又盛んに灌夫の為す所の横恣にして、罪逆不道なるを毀る。魏其度るに奈何ともすべからず、因りて丞相の短を言ふ。武安曰く、「天下幸ひにして安楽無事なり。蚡肺腑為るを得、好む所は音楽狗馬田宅なり。蚡の愛する所は倡優巧匠の属なり。魏其・灌夫の日夜天下の豪桀壮士を招聚して与に論議し、腹誹して心謗し、天を仰ぎ視ずして地に俯して画し、両宮の間を辟倪し、天下の変有らんことを幸ひとして、大功有らんと欲するに如かず。臣乃ち魏其等の為す所を知らず」と。是に於て上朝臣に問ふ、「両人孰れか是なる」と。御史大夫韓安国曰く、「魏其言ふ、灌夫の父事に死し、身戟を荷ひて不測の呉の軍に馳せ入り、身に数十創を被り、名三軍に冠たり。此れ天下の壮士なり。大悪有るに非ず。杯酒を争ふのみ。他の過を引きて以て誅するに足らずと。魏其の言是なり。丞相も亦言ふ、灌夫は姦猾に通じ、細民を侵し、家は巨万を累ね、潁川に横恣し、宗室を凌轢し、骨肉を侵犯すと。此れ所謂『枝は本より大きく、脛は股より大きければ、折れずんば必ず披く』なり。丞相の言も亦是なり。唯明主之を裁け」と。
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