史記 / 韓長孺列伝
安国為人多大略、智足以当世取合、而出於忠厚焉。貪嗜於財。所推挙皆廉士、賢於己者也。於梁挙壺遂・臧固・郅他、皆天下名士、士亦以此称慕之、唯天子以為国器。安国為御史大夫四歳餘、丞相田蚡死、安国行丞相事、奉引墮車蹇。天子議置相、欲用安国、使使視之、蹇甚、乃更以平棘侯薛澤為丞相。
新字:安国為人多大略、智足以当世取合、而出於忠厚焉。貪嗜於財。所推挙皆廉士、賢於己者也。於梁挙壺遂・臧固・郅他、皆天下名士、士亦以此称慕之、唯天子以為国器。安国為御史大夫四歳余、丞相田蚡死、安国行丞相事、奉引堕車蹇。天子議置相、欲用安国、使使視之、蹇甚、乃更以平棘侯薛沢為丞相。
書き下し
安国人と為り大略多く、智以て当世に取合するに足り、而も忠厚に出づ。財を貪嗜す。推挙する所皆廉士、己に賢れる者なり。梁に於て壺遂・臧固・郅他を挙ぐ、皆天下の名士なり、士も亦た此を以て之を称慕し、唯だ天子のみ以て国器と為す。安国御史大夫為ること四歳餘、丞相田蚡死し、安国丞相の事を行ふ、引を奉じて車より墮ちて蹇む。天子相を置くを議し、安国を用ゐんと欲す、使をして之を視しむるに、蹇むこと甚だし、乃ち更に平棘侯薛澤を以て丞相と為す。
現代語訳
安国の人柄は大局を見る力に富み、その智恵は当代に用いられるに足り、しかも忠実で情に厚いところから出ていた。財貨を好み、貪欲なところもあった。しかし推挙する相手はみな清廉な士で、自分より優れた者ばかりだった。梁では壺遂・臧固・郅他を推挙した。いずれも天下の名士である。士たちもこのために彼を称え慕い、天子だけは彼を国家の器と見なしていた。安国は御史大夫となって四年余り、丞相の田蚡が死んだ。安国は丞相の職務を代行したが、天子の車を先導するときに車から落ちて足が不自由になった。天子は宰相を置くことを議し、安国を用いようとして、使者に様子を見に行かせた。足の障害がひどかったので、代わりに平棘侯・薛澤を丞相とした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 韓長孺列伝安国始め御史大夫及び護軍為り、後稍く斥疏せられ、下遷す、而して新たに幸せらるる壮将軍衛青等功有り、益ます貴し。安国既に疏遠せられ、默默たり、屯を将ゐて又匈奴に欺かれ、失亡多く、甚だ自ら愧づ。幸に罷帰するを得、乃ち益ます東のかた徙屯し、意忽忽として楽しまず。数月、病みて血を歐して死す。太史公曰く、「余壺遂と律歴を定め、韓長孺の義、壺遂の深中隱厚を観る。世の梁に長者多しと言ふ、虚しからざるかな」と。
-
史記 韓長孺列伝是に於て景帝・太后益々安国を重んず。孝王卒し、共王即位す。安国法に坐して官を失ひ、家居す。建元中、武安侯田蚡漢の太尉と為り、親貴にして事を用ふ。安国五百金の物を以て蚡に遺る。蚡安国を太后に言ふ。天子も亦素より其の賢を聞き、即ち召して以て北地都尉と為し、遷して大司農と為す。閩越・東越相攻む。安国及び大行王恢将たり。未だ越に至らざるに、越其の王を殺して降り、漢の兵も亦罷む。建元六年、武安侯丞相と為り、安国御史大夫と為る。
-
史記 韓長孺列伝壺遂は官詹事に至る。天子方に倚りて以て漢の相と為さんとす。会々遂卒す。然らずんば、壺遂の内廉にして行ひ修まる、斯れ鞠躬の君子なり。
-
史記 張丞相列伝太史公曰く、「張蒼は文学律歴もて、漢の名相と為るも、賈生・公孫臣等の正朔服色の事を言ふを絀けて遵はず、明らかに秦の顓頊暦を用ゐるは、何ぞや。周昌は、木彊の人なり。任敖は旧徳を以て用ゐらる。申屠嘉は剛毅守節と謂ふ可し、然れども術学無く、殆ど蕭・曹・陳平と異なるかな」と。
-
史記 韓長孺列伝梁の内史の缺くるや、孝王新たに斉人公孫詭を得て、之を説び、請ひて以て内史と為さんと欲す。竇太后聞き、乃ち王に詔して安国を以て内史と為さしむ。
-
史記 韓長孺列伝其の後安国法に坐して罪に抵る、獄吏田甲の辱を蒙る。安国曰く、「死灰独り復た然えざらんや」と。田甲曰く、「然えば即ち之に溺せん」と。居ること無何、梁の内史缺く、漢使者をして安国を拝して梁の内史と為さしむ、徒中より起こりて二千石と為る。田甲亡げ走る。安国曰く、「甲官に就かずんば、我而の宗を滅ぼさん」と。甲因りて肉袒して謝す。安国笑ひて曰く、「溺す可し。公等与に治むるに足らんや」と。卒に善く之を遇す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る