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史記 / 魏其武安侯列伝

主爵都尉汲黯是魏其。內史鄭當時是魏其,後不敢堅對。餘皆莫敢對。上怒內史曰:「公平生數言魏其、武安長短,今日廷論,局趣效轅下駒,吾並斬若屬矣。」即罷起入,上食太后。太后亦已使人候伺,具以告太后。太后怒,不食,曰:「今我在也,而人皆藉吾弟,令我百歲後,皆魚肉之矣。且帝甯能為石人邪!此特帝在,即錄錄,設百歲後,是屬寧有可信者乎?」上謝曰:「俱宗室外家,故廷辯之。不然,此一獄吏所決耳。」是時郎中令石建為上別言兩人事。武安已罷朝,出止車門,召韓御史大夫載,怒曰:「與長孺共一老禿翁,何為首鼠兩端?」韓御史良久謂丞相曰:「君何不自喜?夫魏其毀君,君當免冠解印綬歸,曰『臣以肺腑幸得待罪,固非其任,魏其言皆是』。如此,上必多君有讓,不廢君。魏其必內愧,杜門齰舌自殺。今人毀君,君亦毀人,譬如賈豎女子爭言,何其無大體也!」武安謝罪曰:「爭時急,不知出此。」於是上使御史簿責魏其所言灌夫,頗不讎,欺謾。劾系都司空。孝景時,魏其常受遺詔,曰「事有不便,以便宜論上」。及系,灌夫罪至族,事日急,諸公莫敢複明言於上。魏其乃使昆弟子上書言之,幸得複召見。書奏上,而案尚書大行無遺詔。

新字:主爵都尉汲黯是魏其。内史鄭当時是魏其,後不敢堅対。余皆莫敢対。上怒内史曰:「公平生数言魏其、武安長短,今日廷論,局趣効轅下駒,吾並斬若属矣。」即罷起入,上食太后。太后亦已使人候伺,具以告太后。太后怒,不食,曰:「今我在也,而人皆藉吾弟,令我百歳後,皆魚肉之矣。且帝甯能為石人邪!此特帝在,即録録,設百歳後,是属寧有可信者乎?」上謝曰:「倶宗室外家,故廷弁之。不然,此一獄吏所決耳。」是時郎中令石建為上別言両人事。武安已罷朝,出止車門,召韓御史大夫載,怒曰:「与長孺共一老禿翁,何為首鼠両端?」韓御史良久謂丞相曰:「君何不自喜?夫魏其毀君,君当免冠解印綬帰,曰『臣以肺腑幸得待罪,固非其任,魏其言皆是』。如此,上必多君有譲,不廃君。魏其必内愧,杜門齰舌自殺。今人毀君,君亦毀人,譬如賈豎女子争言,何其無大体也!」武安謝罪曰:「争時急,不知出此。」於是上使御史簿責魏其所言灌夫,頗不讎,欺謾。劾系都司空。孝景時,魏其常受遺詔,曰「事有不便,以便宜論上」。及系,灌夫罪至族,事日急,諸公莫敢複明言於上。魏其乃使昆弟子上書言之,幸得複召見。書奏上,而案尚書大行無遺詔。

書き下し

主爵都尉汲黯魏其を是とす。内史鄭当時魏其を是とするも、後に敢へて堅く対へず。余は皆敢へて対ふる莫し。上内史を怒りて曰く、「公平生数々魏其・武安の長短を言ふ。今日廷論するに、局趣して轅下の駒に効ふ。吾並びに若の属を斬らん」と。即ち罷めて起ちて入り、太后に食を上る。太后も亦已に人をして候伺せしめ、具に以て太后に告ぐ。太后怒りて、食はずして、曰く、「今我在るに、人皆吾が弟を藉く。我が百歳の後をして、皆之を魚肉にせしめん。且つ帝寧ぞ能く石人為らんや。此れ特だ帝在ればこそ、即ち録録たり。設し百歳の後ならば、是の属寧ぞ信ずべき者有らんや」と。上謝して曰く、「倶に宗室外家なり。故に之を廷弁せしむ。然らずんば、此れ一獄吏の決する所のみ」と。是の時郎中令石建上の為に別に両人の事を言ふ。武安已に朝を罷め、止車門を出で、韓御史大夫を召して載せ、怒りて曰く、「長孺と共に一老禿翁なり。何為れぞ首鼠両端なる」と。韓御史良久しくして丞相に謂ひて曰く、「君何ぞ自ら喜せざる。夫れ魏其君を毀らば、君当に冠を免ぎ印綬を解きて帰り、『臣肺腑を以て幸ひに罪を待つを得たるも、固より其の任に非ず。魏其の言は皆是なり』と曰ふべし。此の如くんば、上必ず君の譲る有るを多として、君を廃せざらん。魏其必ず内に愧ぢ、門を杜ぢ舌を齰みて自殺せん。今人君を毀り、君も亦人を毀る。譬へば賈豎・女子の言を争ふが如し。何ぞ其の大体無きや」と。武安謝罪して曰く、「争ふ時急にして、此に出づるを知らず」と。是に於て上御史をして魏其の灌夫を言ふ所を簿責せしむるに、頗る讎はず、欺謾なり。劾して都司空に系ぐ。孝景の時、魏其常に遺詔を受く、曰く「事に便ならざる有らば、便宜を以て上に論ぜよ」と。系がるるに及び、灌夫の罪族に至り、事日に急にして、諸公敢へて復た明らかに上に言ふ莫し。魏其乃ち昆弟の子をして上書して之を言はしめ、幸ひに復た召見せらるるを得んとす。書上に奏せらるるも、尚書を案ずるに大行に遺詔無し。

現代語訳

主爵都尉の汲黯は魏其侯が正しいとした。内史の鄭当時も魏其侯が正しいとしたが、後になるとあえて強くは主張しなかった。ほかの者は皆、あえて答えようとしなかった。天子は内史に怒って言った。「君は日頃たびたび魏其侯や武安侯の長所短所を論じていたのに、今日朝廷で論じるとなると、縮こまって轅(ながえ)につながれた子馬のようにびくびくしている。君たちもまとめて斬ってしまおうか」。そして議論を打ち切って立ち上がり、奥に入って太后に食事を差し上げた。太后もすでに人をやって様子をうかがわせていたので、その者が詳しく太后に報告していた。太后は怒って食事をとらずに言った。「今わたしが生きているのに、人々は皆わたしの弟を踏みつけにしている。わたしが死んだ後には、皆で弟を魚や肉のように切り刻むであろう。それに帝はどうして石の人形のように黙っていられるのか。これは帝が生きているからこそ、皆おとなしく従っているだけのことで、もし帝が亡くなった後なら、こうした連中の中に信じられる者などいようか」。天子はわびて言った。「どちらも皇室の外戚であるから、朝廷で論争させたのである。そうでなければ、これは一人の獄吏が決めればすむことだ」。この時、郎中令の石建が天子のために、二人のことについて別に意見を述べた。武安侯は朝廷を退出すると、止車門を出たところで御史大夫の韓安国を呼んで車に同乗させ、怒って言った。「長孺(韓安国)よ、一緒にあの禿げ老人をやっつけるべきなのに、どうしてどっちつかずの態度をとったのか」。韓御史はしばらく考えてから丞相に言った。「君はどうして自分を大切にしないのか。魏其侯が君をそしったなら、君は冠を脱ぎ印綬を解いて辞職を願い出て、『わたくしは天子の近親であるおかげで幸いに丞相の職を汚しているが、もともとその任ではない。魏其侯の言うことはすべて正しい』と言うべきだった。そうすれば、天子は必ず君の謙譲の態度を評価し、君を罷免しないであろう。魏其侯は必ず内心で恥じ入り、門を閉ざし舌をかんで自殺するであろう。今、人が君をそしり、君もまた人をそしった。まるで商人の小僧や女が言い争っているようなものだ。なんと大局を見る度量のないことか」。武安侯はわびて言った。「争っている時は焦っていて、そういうやり方を思いつかなかった」。そこで天子は御史に命じて、魏其侯が灌夫について言ったことを記録と照らし合わせて問いただすと、かなり事実と合わず、偽りがあった。魏其侯は弾劾されて都司空の獄につながれた。孝景帝の時、魏其侯は常々遺詔を授かっており、そこには「事に不都合があれば、臨機応変に天子に申し上げよ」とあった。獄につながれ、灌夫の罪は一族皆殺しに当たるとされ、事態が日ごとに切迫すると、大臣たちは誰もあえて天子にはっきりと申し上げようとしなかった。魏其侯はそこで甥に上書させてこの遺詔のことを述べ、幸いにもう一度召されて謁見できることを望んだ。上書は天子に奏上されたが、尚書の記録を調べると、大行(詔の保管を司る官)には遺詔の控えがなかった。

解説

論争の結末と、竇嬰が窮地に追い込まれていく過程です。朝臣のうち汲黯は竇嬰を支持しましたが、鄭当時は腰砕けになり、他の者は沈黙しました。武帝は日頃の口ほどにもない臣下たちに怒ります。一方、王太后は食事を断って「私が生きているうちから弟が踏みつけにされている」と武帝に迫り、武帝は外戚どうしだから公開の場で論じさせたのだと弁明しました。退出後、田蚡は韓安国の曖昧な態度をなじりますが、韓安国は、そしられたらむしろ辞職を申し出て相手の言い分を認めてみせれば、主君は謙虚さを評価し、相手は恥じ入っただろうと諭しました。争いに応じて相手をそしるのは、商人の小僧や女の口げんかと同じで大局を知らない、という痛烈な指摘です。その後、竇嬰の証言には事実と食い違う点があるとされて投獄され、頼みの綱であった景帝の遺詔も、宮中に控えがないことが判明します。攻撃に攻撃で応じるより、一歩引いて見せる方が強いことがあります。

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