史記 / 魏其武安侯列伝
陂池田園,宗族賓客為權利,橫於潁川。潁川兒乃歌之曰:「潁水清,灌氏寧;潁水濁,灌氏族。」灌夫家居雖富,然失勢,卿相侍中賓客益衰。及魏其侯失勢,亦欲倚灌夫引繩批根生平慕之後棄之者。灌夫亦倚魏其而通列侯宗室為名高。兩人相為引重,其游如父子然。相得驩甚,無厭,恨相知晚也。灌夫有服,過丞相。丞相從容曰:「吾欲與仲孺過魏其侯,會仲孺有服。」灌夫曰:「將軍乃肯幸臨況魏其侯,夫安敢以服為解!請語魏其侯帳具,將軍旦日蚤臨。」武安許諾。灌夫具語魏其侯如所謂武安侯。魏其與其夫人益市牛酒,夜灑埽,早帳具至旦。平明,令門下候伺。至日中,丞相不來。魏其謂灌夫曰:「丞相豈忘之哉?」灌夫不懌,曰:「夫以服請,宜往。」乃駕,自往迎丞相。丞相特前戲許灌夫,殊無意往。及夫至門,丞相尚臥。於是夫入見,曰:「將軍昨日幸許過魏其,魏其夫妻治具,自旦至今,未敢嘗食。」武安鄂謝曰:「吾昨日醉,忽忘與仲孺言。」乃駕往,又徐行,灌夫愈益怒。及飲酒酣,夫起舞屬丞相,丞相不起,夫從坐上語侵之。魏其乃扶灌夫去,謝丞相。丞相卒飲至夜,極驩而去。
新字:陂池田園,宗族賓客為権利,横於潁川。潁川児乃歌之曰:「潁水清,灌氏寧;潁水濁,灌氏族。」灌夫家居雖富,然失勢,卿相侍中賓客益衰。及魏其侯失勢,亦欲倚灌夫引縄批根生平慕之後棄之者。灌夫亦倚魏其而通列侯宗室為名高。両人相為引重,其游如父子然。相得驩甚,無厭,恨相知晩也。灌夫有服,過丞相。丞相従容曰:「吾欲与仲孺過魏其侯,会仲孺有服。」灌夫曰:「将軍乃肯幸臨況魏其侯,夫安敢以服為解!請語魏其侯帳具,将軍旦日蚤臨。」武安許諾。灌夫具語魏其侯如所謂武安侯。魏其与其夫人益市牛酒,夜灑埽,早帳具至旦。平明,令門下候伺。至日中,丞相不来。魏其謂灌夫曰:「丞相豈忘之哉?」灌夫不懌,曰:「夫以服請,宜往。」乃駕,自往迎丞相。丞相特前戯許灌夫,殊無意往。及夫至門,丞相尚臥。於是夫入見,曰:「将軍昨日幸許過魏其,魏其夫妻治具,自旦至今,未敢嘗食。」武安鄂謝曰:「吾昨日酔,忽忘与仲孺言。」乃駕往,又徐行,灌夫愈益怒。及飲酒酣,夫起舞属丞相,丞相不起,夫従坐上語侵之。魏其乃扶灌夫去,謝丞相。丞相卒飲至夜,極驩而去。
書き下し
陂池田園、宗族賓客権利を為し、潁川に横なり。潁川の児乃ち之を歌ひて曰く、「潁水清ければ、灌氏寧く、潁水濁れば、灌氏族せらる」と。灌夫家居して富むと雖も、然れども勢を失ひ、卿相侍中の賓客益々衰ふ。魏其侯の勢を失ふに及び、亦灌夫に倚りて生平之を慕ひて後に之を棄てし者を引縄批根せんと欲す。灌夫も亦魏其に倚りて列侯宗室に通じて名高を為す。両人相為に引重し、其の游ぶこと父子の如く然り。相得て驩ぶこと甚だしく、厭くこと無く、相知ることの晩きを恨むなり。灌夫服有りて、丞相に過ぎる。丞相従容として曰く、「吾仲孺と魏其侯に過らんと欲するも、会々仲孺服有り」と。灌夫曰く、「将軍乃ち肯へて幸ひに臨みて魏其侯を況はば、夫安んぞ敢へて服を以て解と為さん。請ふ、魏其侯に語りて帳具せしめん。将軍旦日蚤く臨め」と。武安許諾す。灌夫具に魏其侯に語ること武安侯に謂ふ所の如し。魏其其の夫人と益々牛酒を市ひ、夜灑埽し、早に帳具して旦に至る。平明、門下をして候伺せしむ。日中に至るも、丞相来らず。魏其灌夫に謂ひて曰く、「丞相豈に之を忘れたるか」と。灌夫懌ばずして、曰く、「夫服を以て請ふ。宜しく往くべし」と。乃ち駕して、自ら往きて丞相を迎ふ。丞相は特に前に戯れて灌夫に許せしのみにて、殊に往くに意無し。夫の門に至るに及び、丞相尚ほ臥す。是に於て夫入りて見えて、曰く、「将軍昨日幸ひに魏其に過らんことを許す。魏其夫妻具を治め、旦より今に至るまで、未だ敢へて食を嘗めず」と。武安鄂きて謝して曰く、「吾昨日酔ひ、忽ち仲孺と言ひしを忘る」と。乃ち駕して往く。又徐行す。灌夫愈々益々怒る。飲酒酣なるに及び、夫起ちて舞ひて丞相に属す。丞相起たず。夫坐上より語りて之を侵す。魏其乃ち灌夫を扶けて去らしめ、丞相に謝す。丞相卒に飲みて夜に至り、驩を極めて去る。
現代語訳
灌夫の一族や賓客は、堤防や池、田畑をめぐって権勢と利益をほしいままにし、潁川で横暴を働いた。潁川の子どもたちはこれを歌って言った。「潁水が清ければ灌氏は安泰、潁水が濁れば灌氏は一族皆殺し」。灌夫は家にいて裕福であったが、権勢を失っていたので、大臣や侍中などの賓客はしだいに少なくなっていた。魏其侯が権勢を失うと、魏其侯もまた灌夫を頼りにして、日頃自分を慕っていながら後に見捨てた者たちを徹底的に排斥しようとした。灌夫もまた魏其侯を頼りにして列侯や皇族と交わり、名声を高めた。二人は互いに相手を引き立て重んじ、その付き合いはまるで父と子のようであった。互いに気が合って非常に喜び、飽きることがなく、知り合うのが遅かったことを悔やむほどであった。灌夫が喪中であった時、丞相(田蚡)のもとに立ち寄った。丞相はくつろいで言った。「わたしは仲孺(灌夫)と一緒に魏其侯を訪ねたいと思っていたが、あいにく仲孺は喪中だ」。灌夫は言った。「将軍がわざわざ魏其侯を訪ねてくださるというのに、わたしがどうして喪中を理由に断れよう。魏其侯に話して宴の支度をさせるので、将軍は明朝早くお越しいただきたい」。武安侯は承知した。灌夫は武安侯に言ったとおりのことを魏其侯に詳しく伝えた。魏其侯は夫人とともに牛肉と酒を多く買い入れ、夜のうちに掃除をし、早くから幕を張って支度を整えて朝を迎えた。夜が明けると門下の者に様子をうかがわせたが、昼になっても丞相は来なかった。魏其侯は灌夫に「丞相は忘れてしまったのだろうか」と言った。灌夫は不愉快になり、「わたしは喪中の身で無理にお願いしたのだから、行くべきだ」と言って、車を仕立てて自ら丞相を迎えに行った。丞相はたまたま以前に冗談で灌夫に承知しただけで、まったく行く気はなかった。灌夫が門に着いた時、丞相はまだ寝ていた。そこで灌夫は入って会い、「将軍は昨日、魏其侯を訪ねることを承知された。魏其侯夫妻は支度を整えて、朝から今まで食事もとらずに待っている」と言った。武安侯は驚いたふりをしてわびた。「わたしは昨日酔っていて、仲孺と話したことをうっかり忘れていた」。そこで車に乗って出かけたが、またゆっくりと進んだので、灌夫はますます怒った。酒宴がたけなわになると、灌夫は立ち上がって舞い、丞相に舞うよう促した。丞相は立たなかった。灌夫は座ったまま丞相をなじった。魏其侯はそこで灌夫を支えて退出させ、丞相にわびた。丞相は結局夜まで飲み、大いに楽しんで帰っていった。
解説
関連する章句
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史記 魏其武安侯列伝魏其を怨む。元光四年春、丞相言ふ、灌夫の家潁川に在りて、横なること甚だしく、民之に苦しむと。案ぜんことを請ふ。上曰く、「此れ丞相の事なり。何ぞ請はん」と。灌夫も亦丞相の陰事を持す。姦利を為し、淮南王の金を受けて与に語言せしこと。賓客間に居り、遂に止みて、倶に解く。夏、丞相燕王の女を取りて夫人と為す。太后の詔有りて、列侯宗室を召して皆往きて賀せしむ。魏其侯灌夫に過り、与に倶にせんと欲す。夫謝して曰く、「夫数々酒失を以て丞相に過を得たり。丞相今者又夫と郤有り」と。魏其曰く、「事已に解けたり」と。彊ひて与に倶にす。飲酒酣にして、武安起ちて寿を為す。坐皆席を避けて伏す。已にして魏其侯寿を為すに、独り故人のみ席を避くるのみにて、余は半ば席に膝まづく。灌夫説ばず。起ちて酒を行らし、武安に至る。武安膝席して曰く、「觴を満たす能はず」と。夫怒り、因りて嘻笑して曰く、「将軍は貴人なり。之を属せよ」と。時に武安肯ぜず。酒を行らして次に臨汝侯に至る。臨汝侯方に程不識と耳語し、又席を避けず。夫怒りを発する所無く、乃ち臨汝侯を罵りて曰く、「生平程不識を毀りて一銭に直らずとす。今日長者寿を為すに、乃ち女児の呫囁して耳語するに効ふ」と。武安灌夫に謂ひて曰く、「程・李は倶に東西宮の衛尉なり。今衆もて程将軍を辱む。仲孺独り李将軍の為に地せざるか」と。灌夫曰く、「今日頭を斬られ匈を陥さるるとも、何ぞ程・李を知らんや」と。坐乃ち起ちて衣を更へ、稍稍去る。魏其侯去り、灌夫を麾きて出でしむ。武安遂に怒りて曰く、「此れ吾灌夫を驕らせしの罪なり」と。乃ち騎をして灌夫を留めしむ。灌夫出でんと欲するも得ず。籍福起ちて為に謝し、灌夫の項を案じて謝せしむ。夫愈々怒り、謝するを肯ぜず。武安乃ち騎を麾きて夫を縛りて伝舎に置き、長史を召して曰く、「今日宗室を召すは、詔有り」と。灌夫の坐を罵りて不敬なるを劾し、居室に系ぐ。遂に其の前事を按じ、吏を遣はして曹を分かちて諸々の灌氏の支属を逐捕せしめ、皆棄市の罪を得たり。
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史記 魏其武安侯列伝魏其侯大いに媿ぢ、資を為して賓客をして請はしむるも、能く解く莫し。武安の吏皆耳目と為り、諸灌氏皆亡げ匿れ、夫系がれて、遂に武安の陰事を告言するを得ず。魏其身を鋭くして為に灌夫を救ふ。夫人魏其を諫めて曰く、「灌将軍罪を丞相に得、太后の家と忤ふ。寧ぞ救ふべけんや」と。魏其侯曰く、「侯は我より之を得、我より之を捐つ。恨む所無し。且つ終に灌仲孺をして独り死し、嬰独り生きしめず」と。乃ち其の家に匿れて、竊かに出でて上書す。立ちどころに召し入れらる。具に灌夫の酔飽の事を言ひ、誅するに足らずとす。上之を然りとし、魏其に食を賜ひ、曰く、「東朝にて之を廷弁せよ」と。魏其東朝に之き、盛んに灌夫の善を推し、其の酔飽して過を得たるに、乃ち丞相他事を以て之を誣罪すと言ふ。武安又盛んに灌夫の為す所の横恣にして、罪逆不道なるを毀る。魏其度るに奈何ともすべからず、因りて丞相の短を言ふ。武安曰く、「天下幸ひにして安楽無事なり。蚡肺腑為るを得、好む所は音楽狗馬田宅なり。蚡の愛する所は倡優巧匠の属なり。魏其・灌夫の日夜天下の豪桀壮士を招聚して与に論議し、腹誹して心謗し、天を仰ぎ視ずして地に俯して画し、両宮の間を辟倪し、天下の変有らんことを幸ひとして、大功有らんと欲するに如かず。臣乃ち魏其等の為す所を知らず」と。是に於て上朝臣に問ふ、「両人孰れか是なる」と。御史大夫韓安国曰く、「魏其言ふ、灌夫の父事に死し、身戟を荷ひて不測の呉の軍に馳せ入り、身に数十創を被り、名三軍に冠たり。此れ天下の壮士なり。大悪有るに非ず。杯酒を争ふのみ。他の過を引きて以て誅するに足らずと。魏其の言是なり。丞相も亦言ふ、灌夫は姦猾に通じ、細民を侵し、家は巨万を累ね、潁川に横恣し、宗室を凌轢し、骨肉を侵犯すと。此れ所謂『枝は本より大きく、脛は股より大きければ、折れずんば必ず披く』なり。丞相の言も亦是なり。唯明主之を裁け」と。
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