史記 / 魏其武安侯列伝
丞相嘗使籍福請魏其城南田。魏其大望曰:「老僕雖棄,將軍雖貴,寧可以勢奪乎!」不許。灌夫聞,怒,罵籍福。籍福惡兩人有郤,乃謾自好謝丞相曰:「魏其老且死,易忍,且待之。」已而武安聞魏其、灌夫實怒不予田,亦怒曰:「魏其子嘗殺人,蚡活之。蚡事魏其無所不可,何愛數頃田?且灌夫何與也?吾不敢複求田。」武安由此大怨灌夫、
新字:丞相嘗使籍福請魏其城南田。魏其大望曰:「老僕雖棄,将軍雖貴,寧可以勢奪乎!」不許。灌夫聞,怒,罵籍福。籍福悪両人有郤,乃謾自好謝丞相曰:「魏其老且死,易忍,且待之。」已而武安聞魏其、灌夫実怒不予田,亦怒曰:「魏其子嘗殺人,蚡活之。蚡事魏其無所不可,何愛数頃田?且灌夫何与也?吾不敢複求田。」武安由此大怨灌夫、
書き下し
丞相嘗て籍福をして魏其の城南の田を請はしむ。魏其大いに望みて曰く、「老僕棄てらると雖も、将軍貴しと雖も、寧ぞ勢を以て奪ふべけんや」と。許さず。灌夫聞きて、怒り、籍福を罵る。籍福両人の郤有るを悪み、乃ち謾りて自ら好くして丞相に謝して曰く、「魏其は老いて且に死せんとす。忍び易し。且く之を待て」と。已にして武安魏其・灌夫の実は怒りて田を予へざるを聞き、亦怒りて曰く、「魏其の子嘗て人を殺す。蚡之を活かす。蚡魏其に事へて可ならざる所無し。何ぞ数頃の田を愛しまん。且つ灌夫何ぞ与らん。吾敢へて復た田を求めず」と。武安此に由りて大いに灌夫・
現代語訳
丞相はかつて籍福を遣わして、魏其侯の長安城南の田地を譲ってくれるよう求めた。魏其侯は大いに恨んで言った。「年老いたわたしは見捨てられたとはいえ、また将軍がいくら貴いとはいえ、権勢で奪い取ってよいものか」。そして承知しなかった。灌夫はこれを聞いて怒り、籍福をののしった。籍福は二人の仲がこじれるのを嫌い、偽って自分で取り繕い、丞相にわびて言った。「魏其侯は年老いて、もうすぐ死ぬであろう。我慢するのはたやすい。しばらく待たれよ」。まもなく武安侯は、魏其侯と灌夫が実は怒って田地を譲らなかったのだと聞き、自分も怒って言った。「魏其侯の子はかつて人を殺したが、わたしが命を救ってやった。わたしは魏其侯に仕えて、何でもしてやった。どうして数頃ばかりの田地を惜しむのか。それに灌夫が何の関わりがあるのか。わたしはもう二度と田地を求めない」。武安侯はこのことで灌夫と
解説
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史記 魏其武安侯列伝魏其侯大いに媿ぢ、資を為して賓客をして請はしむるも、能く解く莫し。武安の吏皆耳目と為り、諸灌氏皆亡げ匿れ、夫系がれて、遂に武安の陰事を告言するを得ず。魏其身を鋭くして為に灌夫を救ふ。夫人魏其を諫めて曰く、「灌将軍罪を丞相に得、太后の家と忤ふ。寧ぞ救ふべけんや」と。魏其侯曰く、「侯は我より之を得、我より之を捐つ。恨む所無し。且つ終に灌仲孺をして独り死し、嬰独り生きしめず」と。乃ち其の家に匿れて、竊かに出でて上書す。立ちどころに召し入れらる。具に灌夫の酔飽の事を言ひ、誅するに足らずとす。上之を然りとし、魏其に食を賜ひ、曰く、「東朝にて之を廷弁せよ」と。魏其東朝に之き、盛んに灌夫の善を推し、其の酔飽して過を得たるに、乃ち丞相他事を以て之を誣罪すと言ふ。武安又盛んに灌夫の為す所の横恣にして、罪逆不道なるを毀る。魏其度るに奈何ともすべからず、因りて丞相の短を言ふ。武安曰く、「天下幸ひにして安楽無事なり。蚡肺腑為るを得、好む所は音楽狗馬田宅なり。蚡の愛する所は倡優巧匠の属なり。魏其・灌夫の日夜天下の豪桀壮士を招聚して与に論議し、腹誹して心謗し、天を仰ぎ視ずして地に俯して画し、両宮の間を辟倪し、天下の変有らんことを幸ひとして、大功有らんと欲するに如かず。臣乃ち魏其等の為す所を知らず」と。是に於て上朝臣に問ふ、「両人孰れか是なる」と。御史大夫韓安国曰く、「魏其言ふ、灌夫の父事に死し、身戟を荷ひて不測の呉の軍に馳せ入り、身に数十創を被り、名三軍に冠たり。此れ天下の壮士なり。大悪有るに非ず。杯酒を争ふのみ。他の過を引きて以て誅するに足らずと。魏其の言是なり。丞相も亦言ふ、灌夫は姦猾に通じ、細民を侵し、家は巨万を累ね、潁川に横恣し、宗室を凌轢し、骨肉を侵犯すと。此れ所謂『枝は本より大きく、脛は股より大きければ、折れずんば必ず披く』なり。丞相の言も亦是なり。唯明主之を裁け」と。
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史記 魏其武安侯列伝詔書独り魏其の家に蔵し、家丞封ず。乃ち魏其を先帝の詔を矯むと劾し、罪棄市に当たる。五年十月、悉く灌夫及び家属を論ず。魏其良久しくして乃ち聞く。聞きて即ち恚り、痱を病み、食はずして死せんと欲す。或ひと上に魏其を殺すに意無しと聞く。魏其復た食ひ、病を治む。議定まりて死せざらんとす。乃ち蜚語の悪言を為して上に聞する有り。故に十二月の晦を以て論じて渭城に棄市す。其の春、武安侯病み、専ら服謝罪を呼ぶ。巫の鬼を視る者をして之を視しむるに、魏其・灌夫共に守りて、之を殺さんと欲するを見る。竟に死す。子恬嗣ぐ。元朔三年、武安侯襜褕を衣て宮に入るに坐し、不敬なり。淮南王安の謀反覚れ、治む。王前に朝す。武安侯太尉為り。時に王を覇上に迎へ、王に謂ひて曰く、「上未だ太子有らず。大王最も賢にして、高祖の孫なり。即し宮車晏駕せば、大王に非ずして立つるは当に誰なるべき」と。淮南王大いに喜び、厚く金財物を遺る。上魏其の時より武安を直とせず。特だ太后の為の故なるのみ。淮南王の金の事を聞くに及び、上曰く、「武安侯をして在らしめば、族せん」と。
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史記 魏其武安侯列伝陂池田園、宗族賓客権利を為し、潁川に横なり。潁川の児乃ち之を歌ひて曰く、「潁水清ければ、灌氏寧く、潁水濁れば、灌氏族せらる」と。灌夫家居して富むと雖も、然れども勢を失ひ、卿相侍中の賓客益々衰ふ。魏其侯の勢を失ふに及び、亦灌夫に倚りて生平之を慕ひて後に之を棄てし者を引縄批根せんと欲す。灌夫も亦魏其に倚りて列侯宗室に通じて名高を為す。両人相為に引重し、其の游ぶこと父子の如く然り。相得て驩ぶこと甚だしく、厭くこと無く、相知ることの晩きを恨むなり。灌夫服有りて、丞相に過ぎる。丞相従容として曰く、「吾仲孺と魏其侯に過らんと欲するも、会々仲孺服有り」と。灌夫曰く、「将軍乃ち肯へて幸ひに臨みて魏其侯を況はば、夫安んぞ敢へて服を以て解と為さん。請ふ、魏其侯に語りて帳具せしめん。将軍旦日蚤く臨め」と。武安許諾す。灌夫具に魏其侯に語ること武安侯に謂ふ所の如し。魏其其の夫人と益々牛酒を市ひ、夜灑埽し、早に帳具して旦に至る。平明、門下をして候伺せしむ。日中に至るも、丞相来らず。魏其灌夫に謂ひて曰く、「丞相豈に之を忘れたるか」と。灌夫懌ばずして、曰く、「夫服を以て請ふ。宜しく往くべし」と。乃ち駕して、自ら往きて丞相を迎ふ。丞相は特に前に戯れて灌夫に許せしのみにて、殊に往くに意無し。夫の門に至るに及び、丞相尚ほ臥す。是に於て夫入りて見えて、曰く、「将軍昨日幸ひに魏其に過らんことを許す。魏其夫妻具を治め、旦より今に至るまで、未だ敢へて食を嘗めず」と。武安鄂きて謝して曰く、「吾昨日酔ひ、忽ち仲孺と言ひしを忘る」と。乃ち駕して往く。又徐行す。灌夫愈々益々怒る。飲酒酣なるに及び、夫起ちて舞ひて丞相に属す。丞相起たず。夫坐上より語りて之を侵す。魏其乃ち灌夫を扶けて去らしめ、丞相に謝す。丞相卒に飲みて夜に至り、驩を極めて去る。
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史記 魏其武安侯列伝魏其を怨む。元光四年春、丞相言ふ、灌夫の家潁川に在りて、横なること甚だしく、民之に苦しむと。案ぜんことを請ふ。上曰く、「此れ丞相の事なり。何ぞ請はん」と。灌夫も亦丞相の陰事を持す。姦利を為し、淮南王の金を受けて与に語言せしこと。賓客間に居り、遂に止みて、倶に解く。夏、丞相燕王の女を取りて夫人と為す。太后の詔有りて、列侯宗室を召して皆往きて賀せしむ。魏其侯灌夫に過り、与に倶にせんと欲す。夫謝して曰く、「夫数々酒失を以て丞相に過を得たり。丞相今者又夫と郤有り」と。魏其曰く、「事已に解けたり」と。彊ひて与に倶にす。飲酒酣にして、武安起ちて寿を為す。坐皆席を避けて伏す。已にして魏其侯寿を為すに、独り故人のみ席を避くるのみにて、余は半ば席に膝まづく。灌夫説ばず。起ちて酒を行らし、武安に至る。武安膝席して曰く、「觴を満たす能はず」と。夫怒り、因りて嘻笑して曰く、「将軍は貴人なり。之を属せよ」と。時に武安肯ぜず。酒を行らして次に臨汝侯に至る。臨汝侯方に程不識と耳語し、又席を避けず。夫怒りを発する所無く、乃ち臨汝侯を罵りて曰く、「生平程不識を毀りて一銭に直らずとす。今日長者寿を為すに、乃ち女児の呫囁して耳語するに効ふ」と。武安灌夫に謂ひて曰く、「程・李は倶に東西宮の衛尉なり。今衆もて程将軍を辱む。仲孺独り李将軍の為に地せざるか」と。灌夫曰く、「今日頭を斬られ匈を陥さるるとも、何ぞ程・李を知らんや」と。坐乃ち起ちて衣を更へ、稍稍去る。魏其侯去り、灌夫を麾きて出でしむ。武安遂に怒りて曰く、「此れ吾灌夫を驕らせしの罪なり」と。乃ち騎をして灌夫を留めしむ。灌夫出でんと欲するも得ず。籍福起ちて為に謝し、灌夫の項を案じて謝せしむ。夫愈々怒り、謝するを肯ぜず。武安乃ち騎を麾きて夫を縛りて伝舎に置き、長史を召して曰く、「今日宗室を召すは、詔有り」と。灌夫の坐を罵りて不敬なるを劾し、居室に系ぐ。遂に其の前事を按じ、吏を遣はして曹を分かちて諸々の灌氏の支属を逐捕せしめ、皆棄市の罪を得たり。
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史記 魏其武安侯列伝武安侯は職に任ぜずと雖も、王太后の故を以て、親幸せられ、数々事を言ひて多く効あり。天下の吏士の勢利に趨る者、皆魏其を去りて武安に帰す。武安日に益々横なり。建元六年、竇太后崩ず。丞相昌・御史大夫青翟喪事の辦ぜざるに坐して、免ぜらる。武安侯蚡を以て丞相と為し、大司農韓安国を以て御史大夫と為す。天下の士郡の諸侯愈々益々武安に附く。武安は、貌侵にして、生まれながらにして貴きこと甚だし。又以為へらく、諸侯王多く長じ、上初めて即位し、春秋に富む。蚡肺腑を以て京師の相と為る。痛く節を折りて礼を以て之を詘するに非ずんば、天下粛まずと。是の時に当たり、丞相入りて事を奏すれば、坐語すること日を移し、言ふ所皆聴かる。人を薦むるに或いは家より起こして二千石に至る。権主上に移る。上乃ち曰く、「君の吏を除くこと已に尽くせりや未だしや。吾も亦吏を除かんと欲す」と。嘗て考工の地を請ひて宅を益さんとす。上怒りて曰く、「君何ぞ遂に武庫を取らざる」と。是の後乃ち退く。嘗て客を召して飲み、其の兄蓋侯を南郷に坐せしめ、自ら東郷に坐す。以為へらく漢の相は尊し、兄の故を以て私かに橈むべからずと。武安此に由りて滋々驕り、宅を治むること諸第に甲たり。田園は極めて膏腴にして、市して郡県の器物を買ふこと道に相属く。前堂には鐘鼓を羅ね、曲旃を立つ。後房の婦女は百を以て数ふ。諸侯の奉ずる金玉狗馬玩好、勝げて数ふべからず。魏其竇太后を失ひ、益々疏んぜられて用ひられず、勢無し。諸客稍稍自ら引きて怠傲す。唯灌将軍のみ独り故を失はず。魏其日に黙黙として志を得ず、
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史記 魏其武安侯列伝主爵都尉汲黯魏其を是とす。内史鄭当時魏其を是とするも、後に敢へて堅く対へず。余は皆敢へて対ふる莫し。上内史を怒りて曰く、「公平生数々魏其・武安の長短を言ふ。今日廷論するに、局趣して轅下の駒に効ふ。吾並びに若の属を斬らん」と。即ち罷めて起ちて入り、太后に食を上る。太后も亦已に人をして候伺せしめ、具に以て太后に告ぐ。太后怒りて、食はずして、曰く、「今我在るに、人皆吾が弟を藉く。我が百歳の後をして、皆之を魚肉にせしめん。且つ帝寧ぞ能く石人為らんや。此れ特だ帝在ればこそ、即ち録録たり。設し百歳の後ならば、是の属寧ぞ信ずべき者有らんや」と。上謝して曰く、「倶に宗室外家なり。故に之を廷弁せしむ。然らずんば、此れ一獄吏の決する所のみ」と。是の時郎中令石建上の為に別に両人の事を言ふ。武安已に朝を罷め、止車門を出で、韓御史大夫を召して載せ、怒りて曰く、「長孺と共に一老禿翁なり。何為れぞ首鼠両端なる」と。韓御史良久しくして丞相に謂ひて曰く、「君何ぞ自ら喜せざる。夫れ魏其君を毀らば、君当に冠を免ぎ印綬を解きて帰り、『臣肺腑を以て幸ひに罪を待つを得たるも、固より其の任に非ず。魏其の言は皆是なり』と曰ふべし。此の如くんば、上必ず君の譲る有るを多として、君を廃せざらん。魏其必ず内に愧ぢ、門を杜ぢ舌を齰みて自殺せん。今人君を毀り、君も亦人を毀る。譬へば賈豎・女子の言を争ふが如し。何ぞ其の大体無きや」と。武安謝罪して曰く、「争ふ時急にして、此に出づるを知らず」と。是に於て上御史をして魏其の灌夫を言ふ所を簿責せしむるに、頗る讎はず、欺謾なり。劾して都司空に系ぐ。孝景の時、魏其常に遺詔を受く、曰く「事に便ならざる有らば、便宜を以て上に論ぜよ」と。系がるるに及び、灌夫の罪族に至り、事日に急にして、諸公敢へて復た明らかに上に言ふ莫し。魏其乃ち昆弟の子をして上書して之を言はしめ、幸ひに復た召見せらるるを得んとす。書上に奏せらるるも、尚書を案ずるに大行に遺詔無し。

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