史記 / 劉敬叔孫通列伝
今陛下起豐沛,收卒三千人,以之徑往而卷蜀漢,定三秦,與項羽戰滎陽,爭成皋之口,大戰七十,小戰四十,使天下之民肝腦涂地,父子暴骨中野,不可勝數,哭泣之聲未絕,傷痍者未起,而欲比隆於成康之時,臣竊以為不侔也。且夫秦地被山帶河,四塞以為固,卒然有急,百萬之眾可具也。因秦之故,資甚美膏腴之地,此所謂天府者也。陛下入關而都之,山東雖亂,秦之故地可全而有也。夫與人鬬,不搤其亢,拊其背,未能全其勝也。今陛下入關而都,案秦之故地,此亦搤天下之亢而拊其背也。」
新字:今陛下起豊沛,収卒三千人,以之径往而巻蜀漢,定三秦,与項羽戦滎陽,争成皋之口,大戦七十,小戦四十,使天下之民肝脳涂地,父子暴骨中野,不可勝数,哭泣之声未絶,傷痍者未起,而欲比隆於成康之時,臣窃以為不侔也。且夫秦地被山帯河,四塞以為固,卒然有急,百万之衆可具也。因秦之故,資甚美膏腴之地,此所謂天府者也。陛下入関而都之,山東雖乱,秦之故地可全而有也。夫与人闘,不搤其亢,拊其背,未能全其勝也。今陛下入関而都,案秦之故地,此亦搤天下之亢而拊其背也。」
書き下し
今陛下豐沛より起ち、卒三千人を收め、之を以て徑ちに往きて蜀漢を卷き、三秦を定め、項羽と滎陽に戰ひ、成皋の口を爭ひ、大戰七十、小戰四十、天下の民をして肝腦地に塗れ、父子骨を中野に暴さしむること、勝げて數ふべからず。哭泣の聲未だ絕えず、傷痍の者未だ起たず。而るに隆を成康の時に比べんと欲す。臣竊かに以て侔(ひと)しからずと為すなり。且つ夫れ秦の地は山を被り河を帶び、四塞以て固めと為す。卒然として急有らば、百萬の眾具ふべきなり。秦の故に因り、甚だ美にして膏腴の地に資る。此れ所謂天府なる者なり。陛下關に入りて之に都せば、山東亂ると雖も、秦の故地全くして有つべきなり。夫れ人と鬬ふに、其の亢(のど)を搤(おさ)へ、其の背を拊(う)たざれば、未だ其の勝ちを全うする能はざるなり。今陛下關に入りて都し、秦の故地を案ずれば、此れ亦天下の亢を搤へて其の背を拊つなり」と。
現代語訳
「いま陛下は豊・沛から兵を挙げ、兵卒三千人を集めて、それを率いてまっすぐ蜀・漢中を席巻し、三秦(関中の三王国)を平定し、項羽と滎陽で戦い、成皋の要衝を奪い合いました。大きな戦いが七十、小さな戦いが四十に及び、天下の民の肝や脳を地にまみれさせ、父子の骨を野にさらさせたことは数えきれません。泣き叫ぶ声はまだ絶えず、傷ついた者はまだ起き上がれずにいる。それなのに、周の成王・康王の治世と盛んさを比べようとなさる。わたしはひそかに、それは釣り合わないと考える。そのうえ秦の地(関中)は山に囲まれ黄河を帯のように巡らし、四方が関所でふさがれて守りが固い。にわかに事が起これば百万の兵をそろえることができる。秦がもともと持っていた地の利に拠り、非常に豊かで肥えた土地を資源とする。これがいわゆる天府(天然の倉)というものだ。陛下が関中に入ってここに都を置かれれば、山東(函谷関より東)が乱れても、秦の旧領はそっくり保つことができる。そもそも人と格闘するとき、相手ののどを押さえ背中を打たなければ、完全に勝つことはできません。いま陛下が関中に入って都を置き、秦の旧領を押さえれば、これもまた天下ののどを押さえて背中を打つことになるのだ。」
解説
関連する章句
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『新序』善謀第十今陛下豐に起こり沛を擊ち、卒三千人を收む。之を以て徑ちに往きて蜀漢を卷き、三秦を定む。項羽と大戰すること七十、小戰すること四十。天下の民をして肝腦地に塗れ、父子骨を中野に暴さしむること、勝げて數う可からず。哭泣の聲未だ絶えず、傷夷せる者未だ起きず。而るに北のかた成康周公の時よりも隆んならんと欲す。臣竊かに以爲えらく侔しからざるなり、と。且つ夫れ秦の地は山を被り河を帶び、四塞以て固と爲す。卒然として急有らば、百萬の衆具う可し。秦の故に因る。資甚だ美なり。膏腴の地、此れ天府と謂う。陛下關に入りて都せば、山東亂ると雖も、秦の故地全くして有つ可きなり。夫れ人と鬭いて其の亢を搤め、其の背を拊たずんば、未だ全く勝たざるなり、と。
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『長短経』覇図今、陛下、豊沛に起こり、卒三千人を収め、之を以て径ちに往きて蜀漢を巻き、三秦を定め、項籍と滎陽に戦い、成皋の口を争う。大戦七十、小戦四十。天下の民をして肝脳地に塗れ、父子、骨を中野に暴さしむること、勝げて数う可からず。哭泣の声、未だ絶えず、傷夷の卒、未だ起たず。而るに隆きを成康の時に比せんと欲す。臣、竊かに以て侔しからずと為す。
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『新序』善謀第十高皇帝疑い、左右の大臣に問う。皆な山東の人なり。多く上に雒陽に都せんことを勸む。東に成皋有り西に肴・澠有り、河海に倍き、伊・洛に嚮かう。其の固も亦た恃むに足る。且つ周は數百年王たり、秦は二世にして亡ぶ。周に都するに如かず、と。留侯張子房曰く、雒陽此の固有りと雖も、國中小さく數百里に過ぎず。田地狹く、四面に敵を受く。此れ武を用うるの國に非ず。夫れ關中は左に肴・函、右に隴・蜀、沃野千里なり。南に巴蜀の饒有り、北に胡苑の利有り。三面に阻り、一隅を守り、東に向かいて諸侯を制す。諸侯安定せば、河・渭に漕輓して天下西のかた京師に給す。諸侯變有らば、流れに順いて下り、以て委輸するに足る。此れ所謂金城千里、天府の國なり。婁敬の說是なり、と。是に於いて高皇帝即日駕し、西のかた關中に都す。是に由りて國家安寧なり。彭越・陳豨・盧綰の謀、九江・燕・代の兵、及び吳楚の難、關東の兵、百萬の師と雖も、猶お以て害を爲す能わざる者は、仁德の惠を保ち、關中の固を守るに由るなり。國以て永く安し。婁敬・張子房の謀なり。上曰く、本ミ秦の地に都せんことを言いし者は、婁敬なり。婁なる者は乃ち劉なり、と。姓を劉氏に賜い、拜して郎中と爲す。號して奉春君と曰う。後に卒に建信侯と爲る。
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史記 劉敬叔孫通列伝高帝、群臣に問ふ。群臣皆山東の人なれば、爭ひて言ふ、周は王たること數百年、秦は二世にして即ち亡ぶ、周に都するに如かず、と。上疑ひて未だ決する能はず。留侯明らかに關に入るの便を言ふに及び、即日車駕西して關中に都す。是に於いて上曰く、「本と秦の地に都せんと言ひし者は婁敬なり。婁なる者は乃ち劉なり」と。姓を劉氏と賜ひ、拜して郎中と為し、號して奉春君と為す。
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史記 劉敬叔孫通列伝劉敬は、齊の人なり。漢の五年、隴西に戍(まも)らんとして、洛陽を過ぐ。高帝在り。婁敬、輓輅(ばんろ)を脱し、其の羊裘を衣て、齊人虞將軍に見えて曰く、「臣願はくは上に見えて便事を言はん」と。虞將軍之に鮮衣を與へんと欲す。婁敬曰く、「臣、帛を衣れば、帛を衣て見え、褐を衣れば、褐を衣て見えん。終に敢へて衣を易へず」と。是に於いて虞將軍入りて上に言ふ。上召して入れ見え、食を賜ふ。已にして婁敬に問ふ。婁敬説きて曰く、「陛下洛陽に都するは、豈に周室と隆を比べんと欲するか」と。上曰く、「然り」と。婁敬曰く、「陛下の天下を取るは周室と異なれり。周の先は后稷よりし、堯之を邰(たい)に封じ、德を積み善を累ぬること十有餘世なり。公劉は桀を避けて豳(ひん)に居る。太王は狄の伐つを以ての故に、豳を去り、馬箠(ばすい)を杖つきて岐に居る。國人爭ひて之に隨ふ。文王西伯と為るに及び、虞・芮の訟を斷じ、始めて命を受け、呂望・伯夷、海濱より來りて之に歸す。武王紂を伐つに、期せずして孟津の上に會する者八百諸侯、皆曰く、紂伐つべし、と。遂に殷を滅ぼす。成王位に即き、周公の屬之を傅相し、乃ち成周洛邑を營み、此を以て天下の中と為す。諸侯四方より貢職を納むるに、道里均し。德有れば則ち以て王たり易く、德無ければ則ち以て亡び易し。凡そ此に居る者は、周をして務めて德を以て人を致さしめんと欲し、阻險に依りて、後世をして驕奢にして以て民を虐げしむるを欲せざるなり。周の盛んなる時に及びては、天下和洽し、四夷風に鄉ひ、義を慕ひ德に懷き、附離して并びに天子に事へ、一卒をも屯せず、一士をも戰はしめずして、八夷大國の民賓服して、其の貢職を效さざる莫し。周の衰ふるに及びてや、分れて兩と為り、天下朝する莫く、周制する能はざるなり。其の德薄きに非ざるなり、而して形勢弱きなり。
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『長短経』覇図高祖、以て群臣に問う。群臣は皆な山東の人なり。争いて言う「周王七百年、秦は二世にして即ち滅ぶ。洛陽に都するに如かず。洛陽は東に成皋有り、西に崤・澠有り、河を背にし伊・雒に向かう。其の固きも亦た恃むに足るなり」と。留侯曰く「洛陽は此の固き有りと雖も、其の中小さく、数百里に過ぎず。地は薄く、四面より敵を受く。此れ武を用うるの国に非ざるなり。夫れ漢中は、左に崤・函、右に隴・蜀、沃野千里。南に巴蜀の饒有り、北に胡苑の利有り。三面を阻みて独り一面を守り、東のかた諸侯を制す。諸侯安定すれば、河・渭の漕輓、天下以て西のかた京師に給するに足る。諸侯に変有らば、流れに順いて下り、以て委輸するに足る。此れ所謂金城千里、天府の国なり。婁敬の説、是なり」と。是に於て高帝、即日駕して西し、関中に都す。〉
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