師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 韓信盧綰列伝

高后時,盧綰妻子亡降漢,會高后病,不能見,舍燕邸,為欲置酒見之。高祖竟崩,不得見。盧綰妻亦病死。孝景中六年,盧綰孫他之,以東胡王降,封為亞谷侯。

新字:高后時,盧綰妻子亡降漢,会高后病,不能見,舎燕邸,為欲置酒見之。高祖竟崩,不得見。盧綰妻亦病死。孝景中六年,盧綰孫他之,以東胡王降,封為亜谷侯。

書き下し

高后の時、盧綰の妻子亡げて漢に降る。会ま高后病み、見ること能はず、燕邸に舎せしめ、為に酒を置きて之に見えんと欲す。高祖竟に崩じ、見ることを得ず。盧綰の妻も亦病みて死す。孝景の中六年、盧綰の孫他之、東胡王を以て降り、封ぜられて亜谷侯と為る。

現代語訳

高后(呂后)の時代、盧綰の妻子が匈奴から逃れて漢に降ってきた。ちょうど高后が病気で会うことができず、燕王の都の屋敷に住まわせ、酒宴を設けて会おうとした。しかし(原文は「高祖」に作るが、文脈からは高后が)ついに崩御して、会うことはできなかった。盧綰の妻もまた病死した。孝景帝の中六年、盧綰の孫の他之(たし)が東胡王として漢に降り、亜谷侯に封ぜられた。

解説

盧綰伝の結びです。盧綰が匈奴で死んだ後、その妻子は漢に逃げ帰りました。夫を追い詰める側にいた呂后がこの妻子を燕邸に住まわせ、酒宴を設けて会おうとしていたというのは、意外な後日談です。呂后も晩年には、高祖の幼なじみの家族に何か思うところがあったのかもしれません。しかし呂后の死で面会はかなわず、妻も病死しました。さらに景帝の時代には孫の他之が東胡王の身分で降り、侯に封ぜられて家名がつながります。韓王信の子孫が漢に戻って侯となったのと同じく、父祖が背いた家も数代後には迎え入れられています。司馬遷は、一代の失敗で家の物語を終わらせず、その先まで記しました。過去に対立した相手やその関係者とも、時を置けば関係を結び直せることがあります。一度切れた縁の扱い方を考えさせる一段です。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る