鬼谷子 / 飛箝篇
引鉤箝之辭、飛而箝之。鉤箝之語、其說辭也、乍同乍異。其不可善者、或先徵之而後重累、或先重以累而後毁之、或以重累爲毁、或以毁爲重累。
新字:引鉤箝之辞、飛而箝之。鉤箝之語、其説辞也、乍同乍異。其不可善者、或先徴之而後重累、或先重以累而後毀之、或以重累為毀、或以毀為重累。
書き下し
鉤箝の辭を引き、飛ばして之を箝む。鉤箝の語は、其の說辭なり。乍ち同じく乍ち異なる。其の善くすべからざる者は、或いは先ず之を徵して後に重ね累ね、或いは先ず重ねて以て累ねて後に之を毁ち、或いは重累を以て毁と爲し、或いは毁を以て重累と爲す。
現代語訳
引っかけて挟む言葉を持ち出し、飛ばして相手を挟み込む。引っかけて挟む言葉とは、説くための言葉である。あるときは同じことを言い、あるときは違うことを言う。うまく扱えない相手に対しては、あるときは先に招いておいて後から重ねて圧をかけ、あるときは先に重ねて圧をかけてから貶め、あるときは重ねた圧をそのまま貶めとし、あるときは貶めをそのまま重ねた圧とする。
解説
飛箝とは、褒めて飛ばし、そこで挟み込むこと。「乍ち同じく乍ち異なる」——同意したかと思えば違うことを言う。相手の足場を定めさせない話し方です。後半は率直に言えば圧のかけ方の手順で、褒めてから落とす、落としてから持ち上げる、といった組み合わせが並びます。読んでいて気持ちのよい箇所ではありません。ただ、これを知っておく価値はあります。交渉の場でこの型を仕掛けられたとき、何が起きているのか名前がついていれば、乗らずに済むからです。技術は、使うためだけでなく、見破るためにも要ります。
この章句が説くこと
飛箝乍ち同じく乍ち異なる心理戦駆け引き交渉警戒
関連する章句
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孫子・始計篇利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らしめ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
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史記 孟嘗君列伝斉王、秦・楚の毀りに惑ひ、以為へらく孟嘗君は名その主より高くして斉国の権を擅にすと。遂に孟嘗君を廃す。諸客孟嘗君の廃せらるるを見て、皆去る。馮驩曰く、「臣に車一乗を借せ、以て秦に入るべき者、必ず君をして国に重くして奉邑益々広からしめん、可なるか」と。孟嘗君乃ち車幣を約してこれを遣る。馮驩乃ち西して秦王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざるは無し。軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざるは無し。此れ雄雌の国なり、勢ひ両立して雄たらず、雄たる者は天下を得ん」と。秦王跽きてこれに問ひて曰く、「何を以てせば秦をして雌と為ること無からしめて可ならん」と。馮驩曰く、「王もまた斉の孟嘗君を廃せるを知るか」と。秦王曰く、「これを聞く」と。馮驩曰く、「斉をして天下に重からしむる者は、孟嘗君なり。今、斉王毀りを以てこれを廃す、その心怨み、必ず斉に背かん。斉に背きて秦に入らば、則ち斉国の情、人事の誠、尽くこれを秦に委ね、斉の地得べきなり、豈に直だに雄たるのみならんや。君、急ぎ使ひをして幣を載せて陰かに孟嘗君を迎へしめよ、時を失ふべからざるなり。如し斉覚悟する有りて、また孟嘗君を用ひば、則ち雌雄の在る所未だ知るべからざるなり」と。秦王大いに悦び、乃ち車十乗・黄金百鎰を遣りて以て孟嘗君を迎へしむ。馮驩辞して以て先に行き、斉に至り、斉王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざる者は無し。軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざる者は無し。夫れ秦・斉は雄雌の国なり、秦彊ければ則ち斉弱し、此れ勢ひ両雄ならず。
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