史記 / 刺客列伝
負劍,遂拔以撃荊軻,斷其左股。荊軻廢,乃引其匕首以擿秦王,不中,中桐柱。秦王復撃軻,軻被八創。軻自知事不就,倚柱而笑,箕踞以罵曰:「事所以不成者,以欲生劫之,必得約契以報太子也。」於是左右既前殺軻,秦王不怡者良久。已而論功,賞群臣及當坐者各有差,而賜夏無且黃金二百溢,曰:「無且愛我,乃以藥囊提荊軻也。」於是秦王大怒,益發兵詣趙,詔王翦軍以伐燕。十月而拔薊城。燕王喜、太子丹等盡率其精兵東保於遼東。秦將李信追撃燕王急,代王嘉乃遺燕王喜書曰:「秦所以尤追燕急者,以太子丹故也。今王誠殺丹獻之秦王,秦王必解,而社稷幸得血食。」其後李信追丹,丹匿衍水中,燕王乃使使斬太子丹,欲獻之秦。秦復進兵攻之。後五年,秦卒滅燕,虜燕王喜。其明年,秦并天下,立號爲皇帝。於是秦逐太子丹、荊軻之客,皆亡。
新字:負剣,遂抜以撃荊軻,断其左股。荊軻廃,乃引其匕首以擿秦王,不中,中桐柱。秦王復撃軻,軻被八創。軻自知事不就,倚柱而笑,箕踞以罵曰:「事所以不成者,以欲生劫之,必得約契以報太子也。」於是左右既前殺軻,秦王不怡者良久。已而論功,賞群臣及当坐者各有差,而賜夏無且黄金二百溢,曰:「無且愛我,乃以薬嚢提荊軻也。」於是秦王大怒,益発兵詣趙,詔王翦軍以伐燕。十月而抜薊城。燕王喜、太子丹等尽率其精兵東保於遼東。秦将李信追撃燕王急,代王嘉乃遺燕王喜書曰:「秦所以尤追燕急者,以太子丹故也。今王誠殺丹献之秦王,秦王必解,而社稷幸得血食。」其後李信追丹,丹匿衍水中,燕王乃使使斬太子丹,欲献之秦。秦復進兵攻之。後五年,秦卒滅燕,虜燕王喜。其明年,秦并天下,立号為皇帝。於是秦逐太子丹、荊軻之客,皆亡。
書き下し
剣を負ひ、遂に抜きて以て荊軻を撃ち、其の左股を断つ。荊軻廃れ、乃ち其の匕首を引きて以て秦王に擿つ。中らず、桐柱に中つ。秦王復た軻を撃つ。軻八創を被る。軻自ら事の就らざるを知り、柱に倚りて笑ひ、箕踞して以て罵りて曰く、「事の成らざりし所以の者は、生きながら之を劫かし、必ず約契を得て以て太子に報ぜんと欲せしを以てなり」と。是に於て左右既に前みて軻を殺す。秦王怡ばざる者良久し。已にして功を論じ、群臣及び当に坐すべき者を賞すること各々差有り。而して夏無且に黄金二百溢を賜ひて曰く、「無且我を愛す。乃ち薬嚢を以て荊軻に提てり」と。是に於て秦王大いに怒り、益々兵を発して趙に詣らしめ、王翦の軍に詔して以て燕を伐たしむ。十月にして薊城を抜く。燕王喜・太子丹等尽く其の精兵を率ゐて東のかた遼東に保つ。秦将李信燕王を追撃すること急なり。代王嘉乃ち燕王喜に書を遺りて曰く、「秦の尤も燕を追ふこと急なる所以の者は、太子丹の故を以てなり。今王誠に丹を殺して之を秦王に献ぜば、秦王必ず解けん。而して社稷幸ひに血食するを得ん」と。其の後李信丹を追ふ。丹衍水の中に匿る。燕王乃ち使をして太子丹を斬らしめ、之を秦に献ぜんと欲す。秦復た兵を進めて之を攻む。後五年、秦卒に燕を滅ぼし、燕王喜を虜にす。其の明年、秦天下を并せ、号を立てて皇帝と為す。是に於て秦、太子丹・荊軻の客を逐ふ。皆亡ぐ。
現代語訳
秦王は剣を背に回し、ようやく抜いて荊軻に斬りつけ、その左の太ももを断ち切った。荊軻は倒れて動けなくなり、手にした匕首を秦王めがけて投げつけたが、当たらず、桐の柱に突き刺さった。秦王はさらに荊軻を斬りつけ、荊軻は八か所の傷を負った。荊軻は事が成らなかったことを悟ると、柱に寄りかかって笑い、両足を投げ出して座り、罵って言った。「事が成らなかったのは、生かしたまま脅し、必ず約束を取りつけて太子に報告しようとしたからだ」。そこで側近たちが進み出て荊軻を殺した。秦王は長いあいだ不機嫌であった。やがて功績を論じ、群臣や罪に問われるべき者たちをそれぞれ等級をつけて賞したり罰したりした。そして夏無且には黄金二百溢を与えて言った。「無且は私を大切に思ってくれた。だから薬袋を荊軻に投げつけたのだ」。こうして秦王は大いに怒り、さらに兵を趙の地へ増派し、王翦の軍に詔して燕を討たせた。十か月で燕の都の薊城を落とした。燕王喜と太子丹らは精兵をすべて率いて東の遼東にこもった。秦の将軍李信は燕王を激しく追撃した。代王嘉はそこで燕王喜に手紙を送って言った。「秦がとりわけ激しく燕を追撃するのは、太子丹のためだ。いま王がまことに丹を殺して秦王に献上すれば、秦王の怒りはきっと解け、国家もさいわい存続できるだろう」。その後、李信が丹を追うと、丹は衍水の中に身を隠した。燕王はそこで使者に太子丹を斬らせ、その首を秦に献上しようとした。しかし秦はまた兵を進めて燕を攻めた。五年後、秦はついに燕を滅ぼし、燕王喜を捕虜にした。その翌年、秦は天下を統一し、皇帝の号を定めた。そこで秦は太子丹や荊軻の食客たちを追及したので、みな逃亡した。
解説
関連する章句
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史記 刺客列伝太子再拝して跪き、膝行して流涕し、頃有りて後に言ひて曰く、「丹の田先生に言ふ毋かれと誡めし所以の者は、以て大事の謀を成さんと欲すればなり。今田先生死を以て言はざるを明らかにす。豈に丹の心ならんや」と。荊軻坐定まる。太子席を避けて頓首して曰く、「田先生、丹の不肖を知らず、前に至るを得しめ、敢て道ふ所有らしむ。此れ天の燕を哀れみて其の孤を棄てざる所以なり。今秦に貪利の心有りて、欲足るべからざるなり。天下の地を尽くし、海内の王者を臣とするに非ずんば、其の意厭かず。今秦已に韓王を虜にし、尽く其の地を納る。又兵を挙げて南のかた楚を伐ち、北のかた趙に臨む。王翦数十万の衆を将ゐて漳・鄴に距り、而して李信太原・雲中に出づ。趙秦を支ふる能はず、必ず入りて臣たらん。入りて臣たらば則ち禍燕に至らん。燕は小弱にして、数々兵に困しむ。今計るに国を挙ぐるも以て秦に当たるに足らず。諸侯秦に服し、敢て合従する莫し。丹の私計愚かなるも、以為へらく誠に天下の勇士を得て秦に使ひせしめ、闚ふに重利を以てせば、秦王貪なれば、其の勢必ず願ふ所を得ん。誠に秦王を劫かして、悉く諸侯の侵地を反さしむること、曹沫の斉の桓公に与けるが若くならば、則ち大いに善し。則ち不可ならば、因りて之を刺殺せん。彼の秦の大将は兵を外に擅にして内に乱有らば、則ち君臣相疑ひ、其の間を以て諸侯合従するを得て、其の秦を破ること必せり。此れ丹の上願なり。而も命を委ぬる所を知らず。唯だ荊卿意を留めよ」と。之を久しくして、荊軻曰く、「此れ国の大事なり。臣駑下にして、恐らくは任使するに足らず」と。太子前みて頓首し、固く譲る毋からんことを請ふ。然る後に許諾す。是に於て荊卿を尊びて上卿と為し、上舎に舎す。太子日に門下に造り、太牢の具を供し、異物間々進め、車騎美女、荊軻の欲する所を恣にし、以て其の意に順適す。之を久しくして、荊軻未だ行く意有らず。
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史記 秦始皇本紀秦王還り、太原・上郡より帰る。始皇帝の母太后崩ず。趙の公子嘉其の宗数百人を率ゐて代に之き、自ら立ちて代王と為り、東のかた燕と兵を合せ、上谷に軍す。大いに饑う。二十年、燕の太子丹秦の兵の国に至らんことを患ひ、恐れて、荊軻をして秦王を刺さしむ。秦王之を覚り、軻を体解して以て徇へ、而して王翦・辛勝をして燕を攻めしむ。燕・代兵を発して秦の軍を撃つ。秦の軍燕を易水の西に破る。二十一年、王賁荊を攻む。乃ち益卒を発して王翦の軍に詣らしめ、遂に燕の太子の軍を破り、燕の薊城を取り、太子丹の首を得たり。燕王東のかた遼東を収めて之に王たり。王翦病と謝して老いて帰る。新鄭反く。昌平君郢に徙る。大いに雪雨ふり、深さ二尺五寸。二十二年、王賁魏を攻め、河溝を引きて大梁に灌ぐ。大梁の城壊れ、其の王降らんことを請ふ。尽く其の地を取る。二十三年、秦王復た王翦を召し、彊ひて之を起こし、将として荊を撃たしむ。陳以南を取りて平輿に至り、荊王を虜にす。秦王游びて郢陳に至る。荊の将項燕昌平君を立てて荊王と為し、秦に淮南に反く。二十四年、王翦・蒙武荊を攻め、荊の軍を破る。昌平君死し、項燕遂に自殺す。二十五年、大いに兵を興し、王賁をして将たらしめ、燕の遼東を攻め、燕王喜を得たり。還りて代を攻め、代王嘉を虜にす。王翦遂に荊の江南の地を定め、越君を降し、会稽郡を置く。五月、天下大いに酺す。二十六年、斉王建其の相后勝と兵を発して其の西界を守り、秦に通ぜず。秦将軍王賁をして燕より南して斉を攻めしめ、斉王建を得たり。秦王初めて天下を并せ、丞相・御史に令して曰く、「異日韓王地を納れ璽を効し、藩臣と為らんことを請ふ。已にして約に倍き、趙・魏と合従して秦に畔く。故に兵を興して之を誅し、其の王を虜にす。寡人以為へらく善し、庶幾はくは兵革を息めんと。
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史記 燕召公世家楽間趙に奔る。廉頗之を逐ふこと五百余里、其の国を囲む。燕人和を請ふも、趙人許さず、必ず将渠をして和に処らしめんとす。燕、将渠を相として以て和に処らしむ。趙将渠に聴き、燕の囲みを解く。六年、秦東周を滅ぼし、三川郡を置く。七年、秦趙の楡次三十七城を抜き、秦大原郡を置く。九年、秦王政初めて即位す。十年、趙廉頗をして将として繁陽を攻めしめ、之を抜く。趙の孝成王卒し、悼襄王立つ。楽乗をして廉頗に代はらしむ。廉頗聴かず、楽乗を攻む。楽乗走り、廉頗大梁に奔る。十二年、趙李牧をして燕を攻めしめ、武遂・方城を抜く。劇辛故(もと)趙に居り、龐煖と善し。已にして亡げて燕に走る。燕、趙の数々秦に困しみ、而して廉頗去り、龐煖をして将たらしむるを見て、趙の獘に因りて之を攻めんと欲す。劇辛に問ふ。辛曰く、「龐煖は与し易きのみ」と。燕劇辛をして将として趙を撃たしむ。趙龐煖をして之を撃たしめ、燕の軍二万を取り、劇辛を殺す。秦魏の二十城を抜き、東郡を置く。十九年、秦趙の鄴九城を抜く。趙の悼襄王卒す。二十三年、太子丹秦に質たり、亡げて燕に帰る。二十五年、秦韓王安を虜にして滅ぼし、潁川郡を置く。二十七年、秦趙王遷を虜にし、趙を滅ぼす。趙の公子嘉自立して代王と為る。燕、秦の且に六国を滅ぼさんとし、秦の兵易水に臨み、禍且に燕に至らんとするを見る。太子丹陰かに壮士二十人を養ひ、荊軻をして督亢の地図を秦に献ぜしめ、因りて秦王を襲刺せんとす。秦王覚り、軻を殺し、将軍王翦をして燕を撃たしむ。二十九年、秦攻めて我が薊を抜く。燕王亡げ、徙りて遼東に居り、丹を斬りて以て秦に献ず。三十年、秦魏を滅ぼす。三十三年、秦遼東を抜き、燕王喜を虜にし、卒に燕を滅ぼす。是の歳、秦の将王賁も亦た代王嘉を虜にす。
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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史記 刺客列伝秦将王翦趙を破り、趙王を虜にし、尽く其の地を収め入れ、兵を進めて北のかた地を略して燕の南界に至る。太子丹恐懼し、乃ち荊軻に請ひて曰く、「秦兵旦暮に易水を渡らば、則ち長く足下に侍せんと欲すと雖も、豈に得べけんや」と。荊軻曰く、「太子の言微くとも、臣之を謁せんと願へり。今行きて信毋くんば、則ち秦未だ親しむべからざるなり。夫の樊将軍は、秦王之を金千斤、邑万家に購ふ。誠に樊将軍の首と燕の督亢の地図とを得て、秦王に奉献せば、秦王必ず説びて臣に見えん。臣乃ち以て報ずる有るを得ん」と。太子曰く、「樊将軍は窮困して来りて丹に帰す。丹己の私を以て長者の意を傷つくるに忍びず。願はくは足下更に之を慮れ」と。荊軻、太子の忍びざるを知り、乃ち遂に私かに樊於期に見えて曰く、「秦の将軍を遇すること深しと謂ふべし。父母宗族皆戮没せらる。今聞く、将軍の首を金千斤、邑万家に購ふと。将に柰何せんとする」と。於期天を仰ぎて太息し流涕して曰く、「於期念ふ毎に、常に骨髄に痛む。顧だ計の出づる所を知らざるのみ」と。荊軻曰く、「今一言以て燕国の患ひを解き、将軍の仇を報ずべき者有り。何如」と。於期乃ち前みて曰く、「之を為すこと柰何」と。荊軻曰く、「願はくは将軍の首を得て以て秦王に献ぜん。秦王必ず喜びて臣に見えん。臣左手に其の袖を把り、右手に其の匈を揕さば、然らば則ち将軍の仇報いられて燕の陵がるるの愧ぢ除かれん。将軍豈に意有りや」と。樊於期偏袒搤捥して進みて曰く、「此れ臣の日夜切歯腐心する所なり。乃ち今教へを聞くを得たり」と。遂に自剄す。太子之を聞き、馳せ往き、尸に伏して哭し、極めて哀しむ。既已に柰何ともすべからず、乃ち遂に樊於期の首を盛り、之を函封す。
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史記 刺客列伝其の後二百二十余年にして秦に荊軻の事有り。荊軻は、衛人なり。其の先は乃ち斉人にして、衛に徙る。衛人之を慶卿と謂ふ。而して燕に之く。燕人之を荊卿と謂ふ。荊卿書を読み剣を撃つを好む。術を以て衛の元君に説く。衛の元君用ひず。其の後秦魏を伐ち、東郡を置き、衛の元君の支属を野王に徙す。荊軻嘗て游びて楡次を過ぎ、蓋聶と剣を論ず。蓋聶怒りて之を目す。荊軻出づ。人或いは復た荊卿を召さんことを言ふ。蓋聶曰く、「曩者吾与に剣を論じて称はざる者有り。吾之を目せり。試みに往け。是れ宜しく去るべし。敢て留まらず」と。使をして往きて之を主人に之かしむれば、荊卿は則ち已に駕して楡次を去れり。使者還りて報ず。蓋聶曰く、「固より去れり。吾曩者目して之を攝せり」と。荊軻邯鄲に游ぶ。魯句践、荊軻と博し、道を争ふ。魯句践怒りて之を叱す。荊軻嘿して逃げ去り、遂に復た会はず。荊軻既に燕に至り、燕の狗屠及び善く筑を撃つ者高漸離を愛す。荊軻酒を嗜み、日に狗屠及び高漸離と燕の市に飲む。酒酣にして以往、高漸離筑を撃ち、荊軻和して市中に歌ひ、相楽しむ。已にして相泣き、旁らに人無き者の若し。荊軻は酒人に游ぶと雖も、然れども其の人と為り沈深にして書を好む。其の游ぶ所の諸侯、尽く其の賢豪長者と相結ぶ。其の燕に之くや、燕の処士田光先生も亦善く之を待し、其の庸人に非ざるを知る。居ること頃之、会々燕の太子丹秦に質たりて亡げて燕に帰る。燕の太子丹は、故嘗て趙に質たり。而して秦王政は趙に生まれ、其の少き時丹と驩ぶ。政立ちて秦王と為るに及び、而して丹は秦に質たり。秦王の燕の太子丹を遇すること善からず。故に丹怨みて亡げ帰る。帰りて秦王に報ずる者を求むるも、国小にして力能はず。
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