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史記 / 刺客列伝

其後二百二十餘年秦有荊軻之事。荊軻者,衞人也。其先乃齊人,徙於衞,衞人謂之慶卿。而之燕,燕人謂之荊卿。荊卿好讀書撃劍,以術説衞元君,衞元君不用。其後秦伐魏,置東郡,徙衞元君之支屬於野王。荊軻嘗游過楡次,與蓋聶論劍,蓋聶怒而目之。荊軻出,人或言復召荊卿。蓋聶曰:「曩者吾與論劍有不稱者,吾目之;試往,是宜去,不敢留。」使使往之主人,荊卿則已駕而去楡次矣。使者還報,蓋聶曰:「固去也,吾曩者目攝之!」荊軻游於邯鄲,魯句踐與荊軻博,爭道,魯句踐怒而叱之,荊軻嘿而逃去,遂不復會。荊軻既至燕,愛燕之狗屠及善撃筑者髙漸離。荊軻嗜酒,日與狗屠及髙漸離飲於燕市,酒酣以往,髙漸離撃筑,荊軻和而歌於市中,相樂也,已而相泣,旁若無人者。荊軻雖游於酒人乎,然其爲人沈深好書;其所游諸侯,盡與其賢豪長者相結。其之燕,燕之處士田光先生亦善待之,知其非庸人也。居頃之,會燕太子丹質秦亡歸燕。燕太子丹者,故嘗質於趙,而秦王政生於趙,其少時與丹驩。及政立爲秦王,而丹質於秦。秦王之遇燕太子丹不善,故丹怨而亡歸。歸而求爲報秦王者,國小,力不能。

新字:其後二百二十余年秦有荊軻之事。荊軻者,衛人也。其先乃斉人,徙於衛,衛人謂之慶卿。而之燕,燕人謂之荊卿。荊卿好読書撃剣,以術説衛元君,衛元君不用。其後秦伐魏,置東郡,徙衛元君之支属於野王。荊軻嘗游過楡次,与蓋聶論剣,蓋聶怒而目之。荊軻出,人或言復召荊卿。蓋聶曰:「曩者吾与論剣有不称者,吾目之;試往,是宜去,不敢留。」使使往之主人,荊卿則已駕而去楡次矣。使者還報,蓋聶曰:「固去也,吾曩者目摂之!」荊軻游於邯鄲,魯句践与荊軻博,争道,魯句践怒而叱之,荊軻嘿而逃去,遂不復会。荊軻既至燕,愛燕之狗屠及善撃筑者高漸離。荊軻嗜酒,日与狗屠及高漸離飲於燕市,酒酣以往,高漸離撃筑,荊軻和而歌於市中,相楽也,已而相泣,旁若無人者。荊軻雖游於酒人乎,然其為人沈深好書;其所游諸侯,尽与其賢豪長者相結。其之燕,燕之処士田光先生亦善待之,知其非庸人也。居頃之,会燕太子丹質秦亡帰燕。燕太子丹者,故嘗質於趙,而秦王政生於趙,其少時与丹驩。及政立為秦王,而丹質於秦。秦王之遇燕太子丹不善,故丹怨而亡帰。帰而求為報秦王者,国小,力不能。

書き下し

其の後二百二十余年にして秦に荊軻の事有り。荊軻は、衛人なり。其の先は乃ち斉人にして、衛に徙る。衛人之を慶卿と謂ふ。而して燕に之く。燕人之を荊卿と謂ふ。荊卿書を読み剣を撃つを好む。術を以て衛の元君に説く。衛の元君用ひず。其の後秦魏を伐ち、東郡を置き、衛の元君の支属を野王に徙す。荊軻嘗て游びて楡次を過ぎ、蓋聶と剣を論ず。蓋聶怒りて之を目す。荊軻出づ。人或いは復た荊卿を召さんことを言ふ。蓋聶曰く、「曩者吾与に剣を論じて称はざる者有り。吾之を目せり。試みに往け。是れ宜しく去るべし。敢て留まらず」と。使をして往きて之を主人に之かしむれば、荊卿は則ち已に駕して楡次を去れり。使者還りて報ず。蓋聶曰く、「固より去れり。吾曩者目して之を攝せり」と。荊軻邯鄲に游ぶ。魯句践、荊軻と博し、道を争ふ。魯句践怒りて之を叱す。荊軻嘿して逃げ去り、遂に復た会はず。荊軻既に燕に至り、燕の狗屠及び善く筑を撃つ者高漸離を愛す。荊軻酒を嗜み、日に狗屠及び高漸離と燕の市に飲む。酒酣にして以往、高漸離筑を撃ち、荊軻和して市中に歌ひ、相楽しむ。已にして相泣き、旁らに人無き者の若し。荊軻は酒人に游ぶと雖も、然れども其の人と為り沈深にして書を好む。其の游ぶ所の諸侯、尽く其の賢豪長者と相結ぶ。其の燕に之くや、燕の処士田光先生も亦善く之を待し、其の庸人に非ざるを知る。居ること頃之、会々燕の太子丹秦に質たりて亡げて燕に帰る。燕の太子丹は、故嘗て趙に質たり。而して秦王政は趙に生まれ、其の少き時丹と驩ぶ。政立ちて秦王と為るに及び、而して丹は秦に質たり。秦王の燕の太子丹を遇すること善からず。故に丹怨みて亡げ帰る。帰りて秦王に報ずる者を求むるも、国小にして力能はず。

現代語訳

それから二百二十年余りのちに、秦で荊軻の事件が起きた。荊軻は衛の人である。その先祖は斉の人で、衛に移り住んだ。衛の人は彼を慶卿と呼んだ。のちに燕に行くと、燕の人は彼を荊卿と呼んだ。荊卿は読書と剣術を好んだ。治国の術をもって衛の元君に説いたが、衛の元君は用いなかった。その後、秦が魏を討って東郡を置き、衛の元君の一族を野王に移した。荊軻はかつて旅の途中で楡次に立ち寄り、蓋聶と剣術について論じ合ったことがある。蓋聶は怒って荊軻をにらみつけた。荊軻は出ていった。ある人がもう一度荊卿を呼び戻してはどうかと言うと、蓋聶は言った。「さきほど剣術を論じ合ったとき、あの男の言うことに気に入らないところがあったので、にらみつけてやった。試しに行ってみるがいい。きっと去っているはずで、とどまってはいないだろう」。使いを荊軻の宿の主人のもとへやると、荊卿はもう車に乗って楡次を去っていた。使いが戻って報告すると、蓋聶は言った。「やはり去ったか。さっきにらんで震え上がらせてやったからな」。荊軻が邯鄲に滞在していたとき、魯句践と双六をして、駒の進め方で争いになった。魯句践が怒って荊軻を怒鳴りつけると、荊軻は黙って逃げ去り、二度と会わなかった。荊軻は燕に着くと、燕の犬の屠殺人や、筑(琴に似た楽器)の名手高漸離と親しくなった。荊軻は酒好きで、毎日犬の屠殺人や高漸離と燕の市場で酒を飲んだ。酔いが回ると、高漸離が筑を打ち鳴らし、荊軻がそれに合わせて市場の真ん中で歌い、楽しみ合った。やがて互いに泣き出し、まるでそばに誰もいないかのように振る舞った。荊軻は酒飲み仲間と遊んではいたが、その人柄は落ち着いていて思慮深く、書物を好んだ。遊歴した諸侯の国々では、どこでもその地の賢者や豪傑、有徳の人と交わりを結んだ。燕に行くと、燕の在野の士である田光先生も荊軻を厚くもてなし、ただ者ではないと見抜いていた。しばらくして、ちょうど燕の太子丹が、秦に人質になっていたところから逃げて燕に帰ってきた。燕の太子丹は、以前に趙に人質になっていたことがあり、秦王政は趙で生まれたので、幼いころ丹と仲がよかった。政が即位して秦王になると、丹は秦に人質として送られた。秦王は燕の太子丹を冷たく扱ったので、丹は恨んで逃げ帰った。帰国すると秦王に仕返しをしてくれる者を探したが、燕は小国で、その力がなかった。

解説

刺客列伝の中心、荊軻の話の書き出しです。荊軻は衛の人で、読書と剣術を好みましたが、衛の君主には用いられませんでした。司馬遷は冒頭で、剣の達人蓋聶ににらまれて黙って去り、博打で魯句践に怒鳴られても言い返さずに立ち去る荊軻の姿を描きます。臆病にも見えますが、つまらない争いで命を賭けない慎重さとも読めます。燕では犬の屠殺人や筑の名手高漸離と市場で酒を飲み、歌っては泣く奔放な日々を送りつつ、人柄は沈着で書を好み、各地の賢者と交わっていました。一方、秦王政と幼なじみでありながら人質として冷遇された燕の太子丹は、恨みを抱いて帰国し、復讐の手段を探していました。この二つの線がやがて交わります。小さな挑発に乗らない人は、ときに周りから軽く見られますが、力を注ぐべき場面を見極めていることが多いものです。

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