史記 / 范雎蔡沢列伝
須賈大驚,自知見賣,乃肉袒厀行,因門下人謝罪。於是范睢盛帷帳,待者甚眾,見之。須賈頓首言死罪,曰:「賈不意君能自致於青雲之上,賈不敢復讀天下之書,不敢復與天下之事。賈有湯鑊之罪,請自屏於胡貉之地,唯君死生之!」
新字:須賈大驚,自知見売,乃肉袒厀行,因門下人謝罪。於是范睢盛帷帳,待者甚衆,見之。須賈頓首言死罪,曰:「賈不意君能自致於青雲之上,賈不敢復読天下之書,不敢復与天下之事。賈有湯鑊之罪,請自屏於胡貉之地,唯君死生之!」
書き下し
須賈大いに驚き、自ら売らるるを知り、乃ち肉袒厀行し、門下の人に因りて罪を謝す。是に於いて范睢帷帳を盛んにし、待する者甚だ衆くして、これに見ゆ。須賈頓首して死罪を言ひて曰く、「賈は君の能く自ら青雲の上に致さんとは意はざりき。賈は敢へてまた天下の書を読まず、敢へてまた天下の事に与らず。賈は湯鑊の罪有り、請ふ自ら胡貉の地に屏けられん、唯だ君これを死生せよ」と。
現代語訳
須賈は大いに驚き、自分がだまされたと知って、肌脱ぎになり膝で進み、門番を通じて罪を詫びた。そこで范睢は幕や帳を盛大に張りめぐらせ、大勢の侍者を控えさせて、須賈に会った。須賈は頭を地に打ちつけて、死罪に値すると言った。「私はあなたが自力で青雲の上にまで昇られるとは思いもしなかった。私はもう二度と天下の書物を読まず、二度と天下の事に関わらない。私は釜ゆでの刑に値する罪を犯した。どうか自ら北方の胡や貉の地へ退けてほしい。生かすも殺すも、あなたのお心次第だ。」
解説
宰相張禄が范雎その人だと知った須賈が、ひれ伏して命乞いをする短い段です。須賈は肌脱ぎになって膝で進み、門番を通じて謝罪しました。范雎は幕を張りめぐらせ、大勢の侍者を控えさせて権勢を見せつけたうえで須賈に会います。須賈は「あなたが青雲の上に昇るとは思いもしなかった。もう書物も読まず、天下の事にも関わらない。釜ゆでに値する罪だ。北の辺境へ追放されてもよい」と、ひたすら許しを請いました。かつて范雎を疑って魏斉に告げ口し、便所で辱められる原因を作った人物が、立場を逆転されて命を相手に委ねるという、因果応報を絵に描いたような場面です。司馬遷は范雎の受けた屈辱を詳しく書いたうえで、この逆転を丁寧に描いています。人の運命がどう変わるかは誰にもわからず、今の立場で人をどう扱ったかが、いつか自分の身に返ってくることを考えさせる場面です。
関連する章句
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史記 范雎蔡沢列伝范睢曰く、「汝の罪幾ばくか有る」と。曰く、「賈の髪を擢きて以て賈の罪を続くるも、尚ほ未だ足らず」と。范睢曰く、「汝の罪は三有るのみ。昔者楚の昭王の時にして申包胥楚の為に呉の軍を卻く、楚王これを封ずるに荊の五千戸を以てす、包胥辞して受けず、丘墓の荊に寄するが為なり。今、睢の先人の丘墓もまた魏に在り、公前に睢を以て斉に外心有りと為して睢を魏斉に悪しくす、公の罪一なり。魏斉の我を厠中に辱むるに当たり、公止めず、罪二なり。更々酔ひて我に溺す、公それ何ぞ忍びんや、罪三なり。然れども公の死無きを得る所以の者は、綈袍の恋恋として、故人の意有るを以てなり、故に公を釈す」と。乃ち謝して罷む。入りてこれを昭王に言ひ、須賈を罷め帰す。須賈、范睢に辞す、范睢大いに供具し、尽く諸侯の使ひを請ひ、与に堂上に坐し、食飲甚だ設く。而して須賈を堂下に坐せしめ、莝豆をその前に置き、両黥徒をして夾みて馬のごとくこれを食はしむ。数めて曰く、「我が為に魏王に告げよ、急ぎ魏斉の頭を持ちて来たれ。然らずんば、我且に大梁を屠らんとす」と。須賈帰り、以て魏斉に告ぐ。魏斉恐れ、亡げて趙に走る。
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史記 范雎蔡沢列伝范睢(はんしょ)は、魏人なり、字は叔。諸侯に游説し、魏王に事へんと欲するも、家貧しくして以て自ら資する無し、乃ち先づ魏の中大夫須賈に事ふ。須賈、魏の昭王の為に斉に使ひす、范睢従ふ。留まること数月、未だ報を得ず。斉の襄王、睢の弁口を聞き、乃ち人をして睢に金十斤及び牛酒を賜はしむ、睢辞謝して敢へて受けず。須賈これを知り、大いに怒り、以為へらく睢は魏国の陰事を持して斉に告ぐ、故にこの饋を得たりと。睢をしてその牛酒を受けしめ、その金を還さしむ。既に帰り、心に睢を怒り、以て魏の相に告ぐ。魏の相は魏の諸公子にして、魏斉と曰ふ。魏斉大いに怒り、舎人をして睢を笞撃せしめ、脅を折り歯を摺く。睢詳りて死す、即ち巻くに簀を以てし、厠中に置く。賓客の飲む者酔ひ、更々睢に溺す、故らに僇辱して以て後を懲らし、妄言する者無からしむ。睢、簀中より守者に謂ひて曰く、「公能く我を出ださば、我必ず厚く公に謝せん」と。守者乃ち簀中の死人を出だし棄てんことを請ふ。魏斉酔ひて、曰く、「可なり」と。范睢出づるを得たり。後に魏斉悔い、また召してこれを求む。魏人鄭安平これを聞き、乃ち遂に范睢を操りて亡げ、伏匿し、名姓を更めて張禄と曰ふ。
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史記 蘇秦列伝蘇秦は、東周雒陽の人なり。東のかた斉に師に事へ、之を鬼谷先生に習ふ。出游すること数歳、大いに困しみて帰る。兄弟嫂妹妻妾、竊かに皆之を笑ひて曰く、「周人の俗、産業を治め、工商に力め、什二を逐ふを以て務めと為す。今子は本を釈てて口舌を事とし、困しむは、亦た宜ならずや」と。蘇秦之を聞きて慚ぢ、自ら傷み、乃ち室を閉ぢて出でず、其の書を出だして遍く之を観る。曰く、「夫れ士、業已に首を屈して書を受くるも、以て尊栄を取る能はずんば、多しと雖も亦た奚を以て為さん」と。是に於いて周書陰符を得、伏して之を読む。期年、以て揣摩を出だし、曰く、「此れ以て当世の君に説く可し」と。
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史記 范雎蔡沢列伝若し夫れ窮辱の事、死亡の患ひは、臣敢へて畏れざるなり。臣死して秦治まらば、是れ臣の死は生に賢れり」と。秦王跽きて曰く、「先生是れ何の言ぞや。夫れ秦国は辟遠にして、寡人は愚不肖なり。先生乃ち幸ひに辱くも此に至る、是れ天、寡人を以て先生を慁はしめて先王の宗廟を存せしむるなり。寡人命を先生に受くるを得るは、是れ天の先王を幸ひして、その孤を棄てざる所以なり。先生柰何ぞ是くの若く言ふや。事小大と無く、上は太后に及び、下は大臣に至るまで、願はくは先生悉く以て寡人に教へ、寡人を疑ふこと無かれ」と。范睢拝す、秦王もまた拝す。范睢曰く、「大王の国は、四塞以て固めと為す。北に甘泉・谷口有り、南は涇・渭を帯び、右は隴・蜀、左は関・阪、奮撃百万、戦車千乗。利あれば則ち出でて攻め、利あらざれば則ち入りて守る。此れ王者の地なり。民は私闘に怯にして公戦に勇なり、此れ王者の民なり。王、此の二者を并せてこれを有す。夫れ秦卒の勇、車騎の衆きを以て、以て諸侯を治むるは、譬へば韓盧を施ちて蹇兎を搏つが若し、霸王の業致すべきなり。而るに群臣その位に当たる莫し。今に至るまで関を閉づること十五年、敢へて兵を山東に窺はざる者は、是れ穣侯の秦の為に謀ること忠ならずして、大王の計に失ふ所有ればなり」と。秦王跽きて曰く、「寡人願はくは失計を聞かん」と。然れども左右竊かに聴く者多し、范睢恐れ、未だ敢へて内を言はず、先づ外事を言ひ、以て秦王の俯仰を観る。
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