史記 / 范雎蔡沢列伝
收穰侯之印,使歸陶,因使縣官給車牛以徙,千乘有餘。到關,關閱其寶器,寶器珍怪多於王室。秦封范睢以應,號為應侯。當是時,秦昭王四十一年也。范睢既相秦,秦號曰張祿,而魏不知,以為范睢已死久矣。魏聞秦且東伐韓、魏,魏使須賈於秦。范睢聞之,為微行,敝衣閒步之邸,見須賈。須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有說於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢說乎!」須賈曰:「今叔何事?」范睢曰「臣為人庸賃。」須賈意哀之,留與坐飲食,曰:「范叔一寒如此哉!」乃取其一綈袍以賜之。須賈因問曰:「秦相張君,公知之乎?吾聞幸於王,天下之事皆決於相君。今吾事之去留在張君。孺子豈有客習於相君者哉?」范睢曰:「主人翁習知之。唯睢亦得謁,睢請為見君於張君。」須賈曰:「吾馬病,車軸折,非大車駟馬,吾固不出。」范睢曰:「願為君借大車駟馬於主人翁。」范睢歸取大車駟馬,為須賈御之,入秦相府。府中望見,有識者皆避匿。須賈怪之。至相舍門,謂須賈曰:「待我,我為君先入通於相君。」須賈待門下,持車良久,問門下曰:「范叔不出,何也?」門下曰:「無范叔。」須賈曰:「鄉者與我載而入者。」門下曰:「乃吾相張君也。」
新字:収穰侯之印,使帰陶,因使県官給車牛以徙,千乗有余。到関,関閲其宝器,宝器珍怪多於王室。秦封范睢以応,号為応侯。当是時,秦昭王四十一年也。范睢既相秦,秦号曰張禄,而魏不知,以為范睢已死久矣。魏聞秦且東伐韓、魏,魏使須賈於秦。范睢聞之,為微行,敝衣閒歩之邸,見須賈。須賈見之而驚曰:「范叔固無恙乎!」范睢曰:「然。」須賈笑曰:「范叔有説於秦邪?」曰:「不也。睢前日得過於魏相,故亡逃至此,安敢説乎!」須賈曰:「今叔何事?」范睢曰「臣為人庸賃。」須賈意哀之,留与坐飲食,曰:「范叔一寒如此哉!」乃取其一綈袍以賜之。須賈因問曰:「秦相張君,公知之乎?吾聞幸於王,天下之事皆決於相君。今吾事之去留在張君。孺子豈有客習於相君者哉?」范睢曰:「主人翁習知之。唯睢亦得謁,睢請為見君於張君。」須賈曰:「吾馬病,車軸折,非大車駟馬,吾固不出。」范睢曰:「願為君借大車駟馬於主人翁。」范睢帰取大車駟馬,為須賈御之,入秦相府。府中望見,有識者皆避匿。須賈怪之。至相舎門,謂須賈曰:「待我,我為君先入通於相君。」須賈待門下,持車良久,問門下曰:「范叔不出,何也?」門下曰:「無范叔。」須賈曰:「郷者与我載而入者。」門下曰:「乃吾相張君也。」
書き下し
穣侯の印を収め、陶に帰らしめ、因りて県官をして車牛を給して以て徙らしむ、千乗有余。関に到り、関その宝器を閲す、宝器珍怪は王室より多し。秦、范睢を封ずるに応を以てし、号して応侯と為す。是の時に当たり、秦の昭王の四十一年なり。范睢既に秦に相たり、秦は号して張禄と曰ひ、而して魏は知らず、以為へらく范睢已に死すること久しと。魏、秦の且に東のかた韓・魏を伐たんとするを聞き、魏、須賈を秦に使はす。范睢これを聞き、為に微行し、敝衣して閒歩して邸に之き、須賈に見ゆ。須賈これを見て驚きて曰く、「范叔固より恙無きか」と。范睢曰く、「然り」と。須賈笑ひて曰く、「范叔は秦に説く有るか」と。曰く、「不なり。睢は前日魏の相に過を得、故に亡げ逃れて此に至る、安んぞ敢へて説かんや」と。須賈曰く、「今叔は何をか事とする」と。范睢曰く、「臣は人の為に庸賃す」と。須賈意にこれを哀れみ、留めて与に坐して飲食し、曰く、「范叔の一寒此くの如きかな」と。乃ちその一綈袍を取りて以てこれに賜ふ。須賈因りて問ひて曰く、「秦の相張君、公これを知るか。吾聞く、王に幸せられ、天下の事皆相君に決すと。今吾の事の去留は張君に在り。孺子豈に客の相君に習ふ者有らんや」と。范睢曰く、「主人翁習くこれを知る。唯だ睢もまた謁を得たり、睢請ふ君の為に張君に見えしめん」と。須賈曰く、「吾が馬病み、車軸折る、大車駟馬に非ずんば、吾固より出でず」と。范睢曰く、「願はくは君の為に大車駟馬を主人翁に借らん」と。范睢帰りて大車駟馬を取り、須賈の為にこれを御し、秦の相府に入る。府中望見し、識る有る者皆避け匿る。須賈これを怪しむ。相舎の門に至り、須賈に謂ひて曰く、「我を待て、我君の為に先づ入りて相君に通ぜん」と。須賈門下に待ち、車を持すること良久しくして、門下に問ひて曰く、「范叔出でざるは何ぞや」と。門下曰く、「范叔無し」と。須賈曰く、「郷者我と載りて入りし者なり」と。門下曰く、「乃ち吾が相張君なり」と。
現代語訳
穣侯の宰相の印綬を取り上げ、封地の陶に帰らせ、役所に車と牛を支給させて移らせたが、その車は千台余りに上った。函谷関に着くと、関所で荷物の宝物を調べたが、宝物や珍品は王室の持ち物より多かった。秦は范睢を応に封じ、応侯と称した。このときは秦の昭王の四十一年であった。范睢は秦の宰相となったが、秦では張禄と呼ばれていたので、魏はそれを知らず、范睢はとうに死んだものと思っていた。魏は秦が東の韓・魏を討とうとしていると聞き、須賈を秦へ使者として送った。范睢はこれを聞くと、身分を隠してお忍びで出かけ、ぼろを着て歩いて宿舎へ行き、須賈に会った。須賈は范睢を見て驚いて言った。「范叔、無事でいたのか。」范睢は言った。「そうだ。」須賈は笑って言った。「范叔は秦で遊説でもしているのか。」范睢は言った。「いや。私は以前、魏の宰相に罪を得たので、逃げてここまで来た。どうして遊説などできよう。」須賈は言った。「いまは何をしているのか。」范睢は言った。「人に雇われて働いている。」須賈は内心哀れに思い、引き止めて一緒に座って飲み食いし、「范叔はこんなにも貧しく寒々としているのか」と言って、自分の厚絹の綿入れを一着取って与えた。須賈はそこで尋ねた。「秦の宰相の張君を、あなたは知っているか。王の寵愛を受け、天下の事はすべて宰相殿が決めていると聞く。いま私の用件がうまくいくかどうかは、張君にかかっている。あなたの知り合いに、宰相殿と親しい者はいないか。」范睢は言った。「私の主人がよく知っている。私もお目通りできる身だ。私があなたを張君に会わせてあげよう。」須賈は言った。「私の馬は病気で、車の軸も折れている。大きな車と四頭立ての馬でなければ、私は出かけられない。」范睢は言った。「あなたのために、主人から大きな車と四頭立ての馬を借りてこよう。」范睢は帰って大きな車と四頭立ての馬を用意し、須賈のために自ら御者となって、秦の宰相府に入った。府中の者はそれを遠くから見て、范睢を知っている者はみな避けて隠れた。須賈はそれを不思議に思った。宰相の官舎の門に着くと、范睢は須賈に言った。「ここで待っていてくれ。私が先に入って宰相殿に取り次ごう。」須賈は門の下で待ち、車を止めたまま長いこと待ったが、門番に尋ねた。「范叔が出てこないのはなぜか。」門番は言った。「范叔という者はいない。」須賈は言った。「さっき私と一緒に車に乗って入った者だ。」門番は言った。「あれは我が宰相の張君だ。」
解説
関連する章句
-
史記 范雎蔡沢列伝范睢(はんしょ)は、魏人なり、字は叔。諸侯に游説し、魏王に事へんと欲するも、家貧しくして以て自ら資する無し、乃ち先づ魏の中大夫須賈に事ふ。須賈、魏の昭王の為に斉に使ひす、范睢従ふ。留まること数月、未だ報を得ず。斉の襄王、睢の弁口を聞き、乃ち人をして睢に金十斤及び牛酒を賜はしむ、睢辞謝して敢へて受けず。須賈これを知り、大いに怒り、以為へらく睢は魏国の陰事を持して斉に告ぐ、故にこの饋を得たりと。睢をしてその牛酒を受けしめ、その金を還さしむ。既に帰り、心に睢を怒り、以て魏の相に告ぐ。魏の相は魏の諸公子にして、魏斉と曰ふ。魏斉大いに怒り、舎人をして睢を笞撃せしめ、脅を折り歯を摺く。睢詳りて死す、即ち巻くに簀を以てし、厠中に置く。賓客の飲む者酔ひ、更々睢に溺す、故らに僇辱して以て後を懲らし、妄言する者無からしむ。睢、簀中より守者に謂ひて曰く、「公能く我を出ださば、我必ず厚く公に謝せん」と。守者乃ち簀中の死人を出だし棄てんことを請ふ。魏斉酔ひて、曰く、「可なり」と。范睢出づるを得たり。後に魏斉悔い、また召してこれを求む。魏人鄭安平これを聞き、乃ち遂に范睢を操りて亡げ、伏匿し、名姓を更めて張禄と曰ふ。
-
史記 范雎蔡沢列伝此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。
-
史記 范雎蔡沢列伝須賈大いに驚き、自ら売らるるを知り、乃ち肉袒厀行し、門下の人に因りて罪を謝す。是に於いて范睢帷帳を盛んにし、待する者甚だ衆くして、これに見ゆ。須賈頓首して死罪を言ひて曰く、「賈は君の能く自ら青雲の上に致さんとは意はざりき。賈は敢へてまた天下の書を読まず、敢へてまた天下の事に与らず。賈は湯鑊の罪有り、請ふ自ら胡貉の地に屏けられん、唯だ君これを死生せよ」と。
-
史記 范雎蔡沢列伝范睢曰く、「汝の罪幾ばくか有る」と。曰く、「賈の髪を擢きて以て賈の罪を続くるも、尚ほ未だ足らず」と。范睢曰く、「汝の罪は三有るのみ。昔者楚の昭王の時にして申包胥楚の為に呉の軍を卻く、楚王これを封ずるに荊の五千戸を以てす、包胥辞して受けず、丘墓の荊に寄するが為なり。今、睢の先人の丘墓もまた魏に在り、公前に睢を以て斉に外心有りと為して睢を魏斉に悪しくす、公の罪一なり。魏斉の我を厠中に辱むるに当たり、公止めず、罪二なり。更々酔ひて我に溺す、公それ何ぞ忍びんや、罪三なり。然れども公の死無きを得る所以の者は、綈袍の恋恋として、故人の意有るを以てなり、故に公を釈す」と。乃ち謝して罷む。入りてこれを昭王に言ひ、須賈を罷め帰す。須賈、范睢に辞す、范睢大いに供具し、尽く諸侯の使ひを請ひ、与に堂上に坐し、食飲甚だ設く。而して須賈を堂下に坐せしめ、莝豆をその前に置き、両黥徒をして夾みて馬のごとくこれを食はしむ。数めて曰く、「我が為に魏王に告げよ、急ぎ魏斉の頭を持ちて来たれ。然らずんば、我且に大梁を屠らんとす」と。須賈帰り、以て魏斉に告ぐ。魏斉恐れ、亡げて趙に走る。
-
史記 范雎蔡沢列伝平原君の所に匿る。范睢既に相たり、王稽、范睢に謂ひて曰く、「事に知るべからざる者三有り、柰何ともせざる者もまた三有り。宮車一日晏駕す、是れ事の知るべからざる者一なり。君卒然として館舎を捐つ、是れ事の知るべからざる者二なり。臣をして卒然として溝壑を填めしむ、是れ事の知るべからざる者三なり。宮車一日晏駕せば、君臣を恨むと雖も、柰何ともすべき無し。君卒然として館舎を捐てば、君臣を恨むと雖も、また柰何ともすべき無し。臣をして卒然として溝壑を填めしめば、君臣を恨むと雖も、また柰何ともすべき無し」と。范睢懌ばず、乃ち入りて王に言ひて曰く、「王稽の忠に非ずんば、能く臣を函谷関に内るる莫し。大王の賢聖に非ずんば、能く臣を貴くする莫し。今、臣の官は相に至り、爵は列侯に在り、王稽の官は尚ほ謁者に止まる、その臣を内るるの意に非ざるなり」と。昭王、王稽を召し、拝して河東の守と為し、三歳上計せず。また鄭安平を任じ、昭王以て将軍と為す。范睢是に於いて家の財物を散じ、尽く以て嘗て困戹せし所の者に報ゆ。一飯の徳も必ず償ひ、睚眥の怨みも必ず報ゆ。范睢秦に相たること二年、秦の昭王の四十二年、東のかた韓の少曲・高平を伐ち、これを抜く。秦の昭王、魏斉の平原君の所に在るを聞き、范睢の為に必ずその仇に報いんと欲し、乃ち詳りて好き書を為りて平原君に遺りて曰く、「寡人、君の高義を聞く、願はくは君と布衣の友と為らん。君幸ひに寡人に過らば、寡人願はくは君と十日の飲を為さん」と。平原君、秦を畏れ、且つ以て然りと為して、秦に入りて昭王に見ゆ。昭王、平原君と飲むこと数日、昭王平原君に謂ひて曰く、「昔、周の文王は呂尚を得て以て太公と為し、斉の桓公は管夷吾を得て以て仲父と為す。今、范君もまた寡人の叔父なり。
-
史記 穰侯列伝昭王三十六年、相国穰侯客卿灶に言ひ、斉を伐ちて剛・壽を取り、以て其の陶邑を広めんと欲す。是に於いて魏人范睢自ら張祿先生と謂ひ、穰侯の斉を伐つを譏り、乃ち三晋を越えて以て斉を攻むるなりとし、此の時を以て秦の昭王に奸説す。昭王是に於いて范睢を用ふ。范睢言ふ、宣太后専制し、穰侯諸侯に権を擅にし、涇陽君・高陵君の属太だ侈にして、王室より富む、と。是に於いて秦の昭王悟り、乃ち相国を免じ、涇陽の属をして皆関を出でて封邑に就かしむ。穰侯関を出づるに、輜車千乗有余。穰侯陶に卒し、因りて焉に葬る。秦復た陶を収めて郡と為す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る