史記 / 范雎蔡沢列伝
范睢曰:「汝罪有幾?」曰:「擢賈之發以續賈之罪,尚未足。」范睢曰:「汝罪有三耳。昔者楚昭王時而申包胥為楚卻吳軍,楚王封之以荊五千戶,包胥辭不受,為丘墓之寄於荊也。今睢之先人丘墓亦在魏,公前以睢為有外心於齊而惡睢於魏齊,公之罪一也。當魏齊辱我於廁中,公不止,罪二也。更醉而溺我,公其何忍乎?罪三矣。然公之所以得無死者,以綈袍戀戀,有故人之意,故釋公。」乃謝罷。入言之昭王,罷歸須賈。須賈辭於范睢,范睢大供具,盡請諸侯使,與坐堂上,食飲甚設。而坐須賈於堂下,置莝豆其前,令兩黥徒夾而馬食之。數曰:「為我告魏王,急持魏齊頭來!不然者,我且屠大梁。」須賈歸,以告魏齊。魏齊恐,亡走趙。
新字:范睢曰:「汝罪有幾?」曰:「擢賈之発以続賈之罪,尚未足。」范睢曰:「汝罪有三耳。昔者楚昭王時而申包胥為楚却呉軍,楚王封之以荊五千戸,包胥辞不受,為丘墓之寄於荊也。今睢之先人丘墓亦在魏,公前以睢為有外心於斉而悪睢於魏斉,公之罪一也。当魏斉辱我於廁中,公不止,罪二也。更酔而溺我,公其何忍乎?罪三矣。然公之所以得無死者,以綈袍恋恋,有故人之意,故釈公。」乃謝罷。入言之昭王,罷帰須賈。須賈辞於范睢,范睢大供具,尽請諸侯使,与坐堂上,食飲甚設。而坐須賈於堂下,置莝豆其前,令両黥徒夾而馬食之。数曰:「為我告魏王,急持魏斉頭来!不然者,我且屠大梁。」須賈帰,以告魏斉。魏斉恐,亡走趙。
書き下し
范睢曰く、「汝の罪幾ばくか有る」と。曰く、「賈の髪を擢きて以て賈の罪を続くるも、尚ほ未だ足らず」と。范睢曰く、「汝の罪は三有るのみ。昔者楚の昭王の時にして申包胥楚の為に呉の軍を卻く、楚王これを封ずるに荊の五千戸を以てす、包胥辞して受けず、丘墓の荊に寄するが為なり。今、睢の先人の丘墓もまた魏に在り、公前に睢を以て斉に外心有りと為して睢を魏斉に悪しくす、公の罪一なり。魏斉の我を厠中に辱むるに当たり、公止めず、罪二なり。更々酔ひて我に溺す、公それ何ぞ忍びんや、罪三なり。然れども公の死無きを得る所以の者は、綈袍の恋恋として、故人の意有るを以てなり、故に公を釈す」と。乃ち謝して罷む。入りてこれを昭王に言ひ、須賈を罷め帰す。須賈、范睢に辞す、范睢大いに供具し、尽く諸侯の使ひを請ひ、与に堂上に坐し、食飲甚だ設く。而して須賈を堂下に坐せしめ、莝豆をその前に置き、両黥徒をして夾みて馬のごとくこれを食はしむ。数めて曰く、「我が為に魏王に告げよ、急ぎ魏斉の頭を持ちて来たれ。然らずんば、我且に大梁を屠らんとす」と。須賈帰り、以て魏斉に告ぐ。魏斉恐れ、亡げて趙に走る。
現代語訳
范睢は言った。「おまえの罪はいくつあるか。」須賈は言った。「私の髪を一本一本抜いて罪を数えても、なお足りない。」范睢は言った。「おまえの罪は三つだけだ。昔、楚の昭王の時代に、申包胥は楚のために呉の軍を退けた。楚王は荊(楚)の五千戸を与えて封じようとしたが、包胥は辞退して受けなかった。先祖の墓が楚の地にあったからだ。いま私の先祖の墓もまた魏にある。それなのにおまえは以前、私が斉に通じる二心を抱いていると思い込み、魏斉に私のことを悪く言った。これがおまえの第一の罪だ。魏斉が便所の中で私を辱めたとき、おまえは止めなかった。これが第二の罪だ。酔った客たちが代わる代わる私に小便をかけたのを、おまえはどうして平気で見ていられたのか。これが第三の罪だ。しかしおまえが死なずにすむのは、あの厚絹の綿入れに、昔なじみを思う情がこもっていたからだ。だからおまえを許してやる。」そう言って須賈を下がらせた。范睢は宮中に入って昭王にこのことを話し、須賈の使者としての用を済ませずに帰らせることにした。須賈が范睢に別れを告げに行くと、范睢は盛大な宴を設け、諸侯の使者をすべて招いて、共に座敷の上に座らせ、豪華な料理と酒でもてなした。一方で須賈を座敷の下に座らせ、刻んだ藁と豆を前に置き、入れ墨の刑を受けた罪人二人に両脇から押さえさせて、馬のようにそれを食べさせた。そして責めて言った。「私のために魏王に伝えよ。急いで魏斉の首を持って来い。さもなければ、私は大梁の民を皆殺しにするぞ。」須賈は帰って、このことを魏斉に告げた。魏斉は恐れて、趙へ逃げた。
解説

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史記 范雎蔡沢列伝須賈大いに驚き、自ら売らるるを知り、乃ち肉袒厀行し、門下の人に因りて罪を謝す。是に於いて范睢帷帳を盛んにし、待する者甚だ衆くして、これに見ゆ。須賈頓首して死罪を言ひて曰く、「賈は君の能く自ら青雲の上に致さんとは意はざりき。賈は敢へてまた天下の書を読まず、敢へてまた天下の事に与らず。賈は湯鑊の罪有り、請ふ自ら胡貉の地に屏けられん、唯だ君これを死生せよ」と。
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史記 范雎蔡沢列伝范睢(はんしょ)は、魏人なり、字は叔。諸侯に游説し、魏王に事へんと欲するも、家貧しくして以て自ら資する無し、乃ち先づ魏の中大夫須賈に事ふ。須賈、魏の昭王の為に斉に使ひす、范睢従ふ。留まること数月、未だ報を得ず。斉の襄王、睢の弁口を聞き、乃ち人をして睢に金十斤及び牛酒を賜はしむ、睢辞謝して敢へて受けず。須賈これを知り、大いに怒り、以為へらく睢は魏国の陰事を持して斉に告ぐ、故にこの饋を得たりと。睢をしてその牛酒を受けしめ、その金を還さしむ。既に帰り、心に睢を怒り、以て魏の相に告ぐ。魏の相は魏の諸公子にして、魏斉と曰ふ。魏斉大いに怒り、舎人をして睢を笞撃せしめ、脅を折り歯を摺く。睢詳りて死す、即ち巻くに簀を以てし、厠中に置く。賓客の飲む者酔ひ、更々睢に溺す、故らに僇辱して以て後を懲らし、妄言する者無からしむ。睢、簀中より守者に謂ひて曰く、「公能く我を出ださば、我必ず厚く公に謝せん」と。守者乃ち簀中の死人を出だし棄てんことを請ふ。魏斉酔ひて、曰く、「可なり」と。范睢出づるを得たり。後に魏斉悔い、また召してこれを求む。魏人鄭安平これを聞き、乃ち遂に范睢を操りて亡げ、伏匿し、名姓を更めて張禄と曰ふ。
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史記 范雎蔡沢列伝穣侯の印を収め、陶に帰らしめ、因りて県官をして車牛を給して以て徙らしむ、千乗有余。関に到り、関その宝器を閲す、宝器珍怪は王室より多し。秦、范睢を封ずるに応を以てし、号して応侯と為す。是の時に当たり、秦の昭王の四十一年なり。范睢既に秦に相たり、秦は号して張禄と曰ひ、而して魏は知らず、以為へらく范睢已に死すること久しと。魏、秦の且に東のかた韓・魏を伐たんとするを聞き、魏、須賈を秦に使はす。范睢これを聞き、為に微行し、敝衣して閒歩して邸に之き、須賈に見ゆ。須賈これを見て驚きて曰く、「范叔固より恙無きか」と。范睢曰く、「然り」と。須賈笑ひて曰く、「范叔は秦に説く有るか」と。曰く、「不なり。睢は前日魏の相に過を得、故に亡げ逃れて此に至る、安んぞ敢へて説かんや」と。須賈曰く、「今叔は何をか事とする」と。范睢曰く、「臣は人の為に庸賃す」と。須賈意にこれを哀れみ、留めて与に坐して飲食し、曰く、「范叔の一寒此くの如きかな」と。乃ちその一綈袍を取りて以てこれに賜ふ。須賈因りて問ひて曰く、「秦の相張君、公これを知るか。吾聞く、王に幸せられ、天下の事皆相君に決すと。今吾の事の去留は張君に在り。孺子豈に客の相君に習ふ者有らんや」と。范睢曰く、「主人翁習くこれを知る。唯だ睢もまた謁を得たり、睢請ふ君の為に張君に見えしめん」と。須賈曰く、「吾が馬病み、車軸折る、大車駟馬に非ずんば、吾固より出でず」と。范睢曰く、「願はくは君の為に大車駟馬を主人翁に借らん」と。范睢帰りて大車駟馬を取り、須賈の為にこれを御し、秦の相府に入る。府中望見し、識る有る者皆避け匿る。須賈これを怪しむ。相舎の門に至り、須賈に謂ひて曰く、「我を待て、我君の為に先づ入りて相君に通ぜん」と。須賈門下に待ち、車を持すること良久しくして、門下に問ひて曰く、「范叔出でざるは何ぞや」と。門下曰く、「范叔無し」と。須賈曰く、「郷者我と載りて入りし者なり」と。門下曰く、「乃ち吾が相張君なり」と。
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史記 范雎蔡沢列伝平原君の所に匿る。范睢既に相たり、王稽、范睢に謂ひて曰く、「事に知るべからざる者三有り、柰何ともせざる者もまた三有り。宮車一日晏駕す、是れ事の知るべからざる者一なり。君卒然として館舎を捐つ、是れ事の知るべからざる者二なり。臣をして卒然として溝壑を填めしむ、是れ事の知るべからざる者三なり。宮車一日晏駕せば、君臣を恨むと雖も、柰何ともすべき無し。君卒然として館舎を捐てば、君臣を恨むと雖も、また柰何ともすべき無し。臣をして卒然として溝壑を填めしめば、君臣を恨むと雖も、また柰何ともすべき無し」と。范睢懌ばず、乃ち入りて王に言ひて曰く、「王稽の忠に非ずんば、能く臣を函谷関に内るる莫し。大王の賢聖に非ずんば、能く臣を貴くする莫し。今、臣の官は相に至り、爵は列侯に在り、王稽の官は尚ほ謁者に止まる、その臣を内るるの意に非ざるなり」と。昭王、王稽を召し、拝して河東の守と為し、三歳上計せず。また鄭安平を任じ、昭王以て将軍と為す。范睢是に於いて家の財物を散じ、尽く以て嘗て困戹せし所の者に報ゆ。一飯の徳も必ず償ひ、睚眥の怨みも必ず報ゆ。范睢秦に相たること二年、秦の昭王の四十二年、東のかた韓の少曲・高平を伐ち、これを抜く。秦の昭王、魏斉の平原君の所に在るを聞き、范睢の為に必ずその仇に報いんと欲し、乃ち詳りて好き書を為りて平原君に遺りて曰く、「寡人、君の高義を聞く、願はくは君と布衣の友と為らん。君幸ひに寡人に過らば、寡人願はくは君と十日の飲を為さん」と。平原君、秦を畏れ、且つ以て然りと為して、秦に入りて昭王に見ゆ。昭王、平原君と飲むこと数日、昭王平原君に謂ひて曰く、「昔、周の文王は呂尚を得て以て太公と為し、斉の桓公は管夷吾を得て以て仲父と為す。今、范君もまた寡人の叔父なり。
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史記 范雎蔡沢列伝范君の仇は君の家に在り、願はくは人をして帰りてその頭を取りて来たらしめよ。然らずんば、吾君を関より出ださず」と。平原君曰く、「貴くして交はりを為すは、賤しきが為なり。富みて交はりを為すは、貧しきが為なり。夫れ魏斉は勝の友なり、在るとも固より出ださざるなり、今また臣の所に在らず」と。昭王乃ち趙王に書を遺りて曰く、「王の弟秦に在り、范君の仇魏斉は平原君の家に在り。王、人をして疾くその頭を持ちて来たらしめよ。然らずんば、吾兵を挙げて趙を伐ち、また王の弟を関より出ださず」と。趙の孝成王乃ち卒を発して平原君の家を囲む。急なり、魏斉夜亡げ出で、趙の相虞卿に見ゆ。虞卿度るに趙王は終に説くべからず、乃ちその相印を解き、魏斉と亡げ、閒行し、諸侯の以て急に抵るべき者莫きを念ひ、乃ちまた大梁に走り、信陵君に因りて以て楚に走らんと欲す。信陵君これを聞き、秦を畏れ、猶予して未だ見ゆるを肯んぜずして曰く、「虞卿は何如なる人ぞ」と。時に侯嬴旁らに在りて曰く、「人は固より未だ知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり。夫れ虞卿は屩を躡み簦を檐ひ、一たび趙王に見えて、白璧一双・黄金百鎰を賜はる。再び見えて、拝して上卿と為る。三たび見えて、卒に相印を受け、万戸侯に封ぜらる。此の時に当たりて、天下争ひてこれを知る。夫れ魏斉は窮困して虞卿に過る、虞卿は敢へて爵禄の尊きを重んぜず、相印を解き、万戸侯を捐てて閒行す。士の窮に急にして公子に帰す、公子曰く『何如なる人ぞ』と。人は固より知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり」と。信陵君大いに慚ぢ、駕して野に如きてこれを迎ふ。魏斉、信陵君の初めこれに見ゆるを難るを聞き、怒りて自剄す。趙王これを聞き、卒にその頭を取りて秦に予ふ。秦の昭王乃ち平原君を出だして趙に帰す。昭王の四十三年、秦韓の汾陘を攻め、これを抜き、因りて河上の広武に城く。後五年、昭王、応侯の謀を用ひ、反閒を縦にして趙を売る。趙その故を以て、馬服子をして廉頗に代はりて将たらしむ。
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史記 范雎蔡沢列伝此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。