史記 / 魏公子列伝
侯生謂公子曰:「臣所過屠者朱亥,此子賢者,世莫能知,故隱屠間耳。」公子往數請之,朱亥故不復謝,公子怪之。魏安釐王二十年,秦昭王已破趙長平軍,又進兵圍邯鄲。公子姊為趙惠文王弟平原君夫人,數遺魏王及公子書,請救於魏。魏王使將軍晉鄙將十萬眾救趙。秦王使使者告魏王曰:「吾攻趙旦暮且下,而諸侯敢救者,已拔趙,必移兵先擊之。」魏王恐,使人止晉鄙,
新字:侯生謂公子曰:「臣所過屠者朱亥,此子賢者,世莫能知,故隠屠間耳。」公子往数請之,朱亥故不復謝,公子怪之。魏安釐王二十年,秦昭王已破趙長平軍,又進兵囲邯鄲。公子姊為趙恵文王弟平原君夫人,数遺魏王及公子書,請救於魏。魏王使将軍晋鄙将十万衆救趙。秦王使使者告魏王曰:「吾攻趙旦暮且下,而諸侯敢救者,已抜趙,必移兵先撃之。」魏王恐,使人止晋鄙,
書き下し
侯生、公子に謂ひて曰く、「臣の過りし所の屠者朱亥は、此の子賢者なり、世能く知る莫し、故に屠閒に隠るるのみ」と。公子往きて数々これを請ふも、朱亥故らに復た謝せず、公子これを怪しむ。魏の安釐王の二十年、秦の昭王已に趙の長平の軍を破り、また兵を進めて邯鄲を囲む。公子の姊は趙の恵文王の弟平原君の夫人為り、数々魏王及び公子に書を遺り、救ひを魏に請ふ。魏王、将軍晋鄙をして十万の衆を将ゐて趙を救はしむ。秦王、使者をして魏王に告げしめて曰く、「吾趙を攻む、旦暮に且に下らんとす、而して諸侯の敢へて救ふ者は、已に趙を抜かば、必ず兵を移して先づこれを撃たん」と。魏王恐れ、人をして晋鄙を止めしめ、
現代語訳
侯生は公子に言った。「私が立ち寄った肉屋の朱亥は、賢者だ。世の中に彼を知る者がいないので、肉屋の間に隠れているだけなのだ。」公子は出かけて行ってたびたび朱亥を招いたが、朱亥はわざと一度も礼を返しに来なかったので、公子は不思議に思った。魏の安釐王の二十年、秦の昭王はすでに趙の長平の軍を破り、さらに兵を進めて邯鄲を包囲した。公子の姉は趙の恵文王の弟の平原君の夫人であったので、たびたび魏王と公子に手紙を送り、魏に救援を求めた。魏王は将軍晋鄙に十万の兵を率いさせて趙を救わせた。秦王は使者を送って魏王に告げさせた。「わしは趙を攻めており、朝か晩のうちに落とすつもりだ。諸侯でもしあえて趙を救う者がいれば、趙を落とした後、必ず兵を移して真っ先にその国を攻撃する。」魏王は恐れて、人をやって晋鄙を止めさせ、
解説
関連する章句
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史記 魏公子列伝公子行く、侯生曰く、「将は外に在りては、主の令も受けざる所有り、以て国家に便ならしむ。公子即ち符を合はするも、晋鄙公子に兵を授けずしてまたこれを請はば、事必ず危ふし。臣の客の屠者朱亥、与に倶にすべし、此の人は力士なり。晋鄙聴かば、大いに善し。聴かずんば、これを撃たしむべし」と。是に於いて公子泣く。侯生曰く、「公子死を畏るるか、何ぞ泣くや」と。公子曰く、「晋鄙は嚄唶の宿将なり、往くも恐らくは聴かず、必ず当にこれを殺すべし、是を以て泣くのみ。豈に死を畏れんや」と。是に於いて公子朱亥に請ふ。朱亥笑ひて曰く、「臣は乃ち市井に刀を鼓する屠者なり、而るに公子親ら数々これを存す。報謝せざる所以の者は、以為へらく小礼は用ふる所無しと。今公子急有り、此れ乃ち臣の命を效すの秋なり」と。遂に公子と倶にす。公子過りて侯生に謝す。侯生曰く、「臣宜しく従ふべきも、老いて能はず。請ふ公子の行く日を数へ、以て晋鄙の軍に至るの日、北郷して自剄し、以て公子を送らん」と。公子遂に行く。鄴に至り、魏王の令を矯めて晋鄙に代はらんとす。晋鄙符を合はせ、これを疑ひ、手を挙げて公子を視て曰く、「今、吾十万の衆を擁し、境上に屯す、国の重任なり。今単車にて来たりてこれに代はる、何如ぞや」と。聴くこと無からんと欲す。朱亥、四十斤の鉄椎を袖にし、晋鄙を椎殺す。公子遂に晋鄙の軍に将たり。兵を勒して令を軍中に下して曰く、「父子倶に軍中に在らば、父は帰れ。兄弟倶に軍中に在らば、兄は帰れ。独子にして兄弟無きは、帰りて養へ」と。選兵八万人を得、兵を進めて秦の軍を撃つ。秦の軍解きて去り、遂に邯鄲を救ひ、趙を存す。趙王及び平原君自ら公子を界に迎へ、平原君は籣矢を負ひて公子の為に先引す。趙王再拝して曰く、「古より賢人未だ公子に及ぶ者有らざるなり」と。此の時に当たりて、平原君敢へて自ら人に比せず。公子、侯生と決す、軍に至る、侯生果たして北郷して自剄す。
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史記 魏公子列伝軍を留めて鄴に壁し、名は趙を救ふと為し、実は両端を持して以て観望す。平原君の使者の冠蓋魏に相属し、魏の公子を譲めて曰く、「勝の自ら附きて婚姻を為す所以の者は、公子の高義を以て、能く人の困しみに急にすと為せばなり。今、邯鄲旦暮に秦に降らんとして魏の救ひ至らず、安くにか公子の能く人の困しみに急にするに在らん。且つ公子縦ひ勝を軽んじ、これを棄てて秦に降らしむとも、独り公子の姊を憐れまざるか」と。公子これを患へ、数々魏王に請ひ、及び賓客辯士の王に説くこと万端なり。魏王秦を畏れ、終に公子に聴かず。公子自ら度るに終にこれを王に得る能はず、計るに独り生きて趙をして亡ばしめず、乃ち賓客に請ひ、車騎百余乗を約し、客を以て往きて秦の軍に赴き、趙と倶に死せんと欲す。行きて夷門を過ぎ、侯生に見え、具に秦の軍に死せんと欲する所以の状を告ぐ。辞決して行く、侯生曰く、「公子これを勉めよ、老臣は従ふ能はず」と。公子行くこと数里、心快からず、曰く、「吾の侯生を待する所以の者は備はれり、天下聞かざる莫し。今、吾且に死せんとして侯生曾ち一言半辞の我を送る無し、我豈に失ふ所有らんや」と。また車を引きて還り、侯生に問ふ。侯生笑ひて曰く、「臣固より公子の還るを知るなり」と。曰く、「公子士を喜み、名天下に聞こゆ。今難有り、他の端無くして秦の軍に赴かんと欲す、譬へば肉を以て餒虎に投ずるが若し、何の功かこれ有らん。尚ほ安んぞ客を事とせん。然れども公子臣を遇すること厚し、公子往きて臣送らず、是を以て公子これを恨みて復た返るを知るなり」と。公子再拝し、因りて問ふ。侯生乃ち人を屏けて閒語して曰く、「嬴聞く、晋鄙の兵符は常に王の臥内に在り、而して如姫最も幸せられ、王の臥内に出入す、力能くこれを竊まん。嬴聞く、如姫の父は人の殺す所と為り、如姫これを資すること三年、王より以下その父の仇に報ゆることを求めんと欲するも、能く得る莫し。如姫、公子の為に泣く、公子、客をしてその仇の頭を斬らしめ、敬んで如姫に進む。
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史記 魏公子列伝魏王、公子のその兵符を盗み、矯めて晋鄙を殺せしを怒る、公子もまた自ら知るなり。已に秦を卻けて趙を存し、将をしてその軍を将ゐて魏に帰らしめ、而して公子は独り客と趙に留まる。趙の孝成王、公子の晋鄙の兵を矯め奪ひて趙を存せしを徳とし、乃ち平原君と計り、五城を以て公子を封ぜんとす。公子これを聞き、意驕矜して自ら功とするの色有り。客に公子に説く有りて曰く、「物に忘るべからざる有り、或いは忘れざるべからざる有り。夫れ人の公子に徳有るは、公子忘るべからざるなり。公子の人に徳有るは、願はくは公子これを忘れよ。且つ魏王の令を矯め、晋鄙の兵を奪ひて以て趙を救ふは、趙に於いては則ち功有り、魏に於いては則ち未だ忠臣たらざるなり。公子乃ち自ら驕りてこれを功とす、竊かに公子の為に取らざるなり」と。是に於いて公子立ちどころに自ら責め、容るる所無きが若きに似たり。趙王、埽除して自ら迎へ、主人の礼を執り、公子を引きて西階に就かしむ。公子側行して辞譲し、東階より上る。自ら罪過を言ひ、以て魏に負き、趙に功無しとす。趙王侍酒して暮れに至るも、口に五城を献ずるに忍びず、公子の退譲するを以てなり。公子竟に趙に留まる。趙王、鄗を以て公子の湯沐の邑と為し、魏もまた信陵を以て復た公子に奉ず。公子趙に留まる。公子聞く、趙に処士毛公の博徒に蔵れ、薛公の売漿の家に蔵るる有りと。公子両人に見えんと欲す、両人自ら匿れて公子に見ゆるを肯んぜず。公子所在を聞き、乃ち閒歩して往きて此の両人に従ひて遊び、甚だ歓ぶ。平原君これを聞き、その夫人に謂ひて曰く、「始め吾、夫人の弟公子は天下に双び無しと聞く。今吾これを聞くに、乃ち妄りに博徒・売漿者に従ひて游ぶ、公子は妄人なるのみ」と。夫人以て公子に告ぐ。公子乃ち夫人に謝して去らんとして曰く、「始め吾、平原君の賢なるを聞く、故に魏王に負きて趙を救ひ、以て平原君に称ふ。平原君の遊ぶや、徒だ豪挙のみ、士を求めざるなり。
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史記 范雎蔡沢列伝范君の仇は君の家に在り、願はくは人をして帰りてその頭を取りて来たらしめよ。然らずんば、吾君を関より出ださず」と。平原君曰く、「貴くして交はりを為すは、賤しきが為なり。富みて交はりを為すは、貧しきが為なり。夫れ魏斉は勝の友なり、在るとも固より出ださざるなり、今また臣の所に在らず」と。昭王乃ち趙王に書を遺りて曰く、「王の弟秦に在り、范君の仇魏斉は平原君の家に在り。王、人をして疾くその頭を持ちて来たらしめよ。然らずんば、吾兵を挙げて趙を伐ち、また王の弟を関より出ださず」と。趙の孝成王乃ち卒を発して平原君の家を囲む。急なり、魏斉夜亡げ出で、趙の相虞卿に見ゆ。虞卿度るに趙王は終に説くべからず、乃ちその相印を解き、魏斉と亡げ、閒行し、諸侯の以て急に抵るべき者莫きを念ひ、乃ちまた大梁に走り、信陵君に因りて以て楚に走らんと欲す。信陵君これを聞き、秦を畏れ、猶予して未だ見ゆるを肯んぜずして曰く、「虞卿は何如なる人ぞ」と。時に侯嬴旁らに在りて曰く、「人は固より未だ知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり。夫れ虞卿は屩を躡み簦を檐ひ、一たび趙王に見えて、白璧一双・黄金百鎰を賜はる。再び見えて、拝して上卿と為る。三たび見えて、卒に相印を受け、万戸侯に封ぜらる。此の時に当たりて、天下争ひてこれを知る。夫れ魏斉は窮困して虞卿に過る、虞卿は敢へて爵禄の尊きを重んぜず、相印を解き、万戸侯を捐てて閒行す。士の窮に急にして公子に帰す、公子曰く『何如なる人ぞ』と。人は固より知り易からず、人を知ることもまた未だ易からざるなり」と。信陵君大いに慚ぢ、駕して野に如きてこれを迎ふ。魏斉、信陵君の初めこれに見ゆるを難るを聞き、怒りて自剄す。趙王これを聞き、卒にその頭を取りて秦に予ふ。秦の昭王乃ち平原君を出だして趙に帰す。昭王の四十三年、秦韓の汾陘を攻め、これを抜き、因りて河上の広武に城く。後五年、昭王、応侯の謀を用ひ、反閒を縦にして趙を売る。趙その故を以て、馬服子をして廉頗に代はりて将たらしむ。
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史記 魯仲連鄒陽列伝魯仲連は、斉人なり。奇偉俶儻の画策を好み、而して仕宦して職に任ずるを肯ぜず、好んで高節を持す。趙に游ぶ。趙の孝成王の時、秦王、白起をして趙の長平の軍を破らしむること前後四十余万、秦兵遂に東して邯鄲を囲む。趙王恐る。諸侯の救兵、敢て秦軍を撃つ莫し。魏の安釐王、将軍晋鄙をして趙を救はしむるも、秦を畏れ、蕩陰に止まりて進まず。魏王、客将軍新垣衍をして間より邯鄲に入らしめ、平原君に因りて趙王に謂はしめて曰く、「秦の急に趙を囲む所以の者は、前に斉の湣王と彊を争ひて帝と為り、已にして復た帝を帰せり。今、斉湣王已に益々弱く、方今唯だ秦のみ天下に雄たり。此れ必ずしも邯鄲を貪るに非ず、其の意は復た求めて帝と為らんと欲するなり。趙誠に使を発して秦の昭王を尊びて帝と為さば、秦必ず喜び、兵を罷めて去らん」と。平原君猶予して未だ決する所有らず。此の時、魯仲連適々趙に游び、秦の趙を囲むに会ひ、魏将の趙をして秦を尊びて帝と為さしめんと欲するを聞き、乃ち平原君に見えて曰く、
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史記 魏公子列伝公子趙に留まること十年帰らず。秦公子の趙に在るを聞き、日夜兵を出だして東のかた魏を伐つ。魏王之を患ひ、使をして往きて公子を請はしむ。公子其の之を怒るを恐れ、乃ち門下を誡む、「敢て魏王の使の為に通ずる者有らば死せしむ」と。賓客皆魏に背きて趙に之き、敢て公子に帰るを勧むる莫し。毛公・薛公両人往きて公子に見えて曰く、「公子の趙に重んぜられ、名諸侯に聞こゆる所以は、徒だ魏有るを以てなり。今秦魏を攻め、魏急にして公子恤へずんば、秦をして大梁を破りて先王の宗廟を夷がしめば、公子当に何の面目ありて天下に立つべきか」と。語未だ卒ふるに及ばず、公子立ちどころに色を変じ、車を告げて駕を趣し帰りて魏を救ふ。
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