史記 / 平原君虞卿列伝
虞卿者,遊説之士也。躡蹻檐簦説趙孝成王。一見,賜黃金百鎰,白璧一雙;再見,爲趙上卿,故號爲虞卿。秦趙戰於長平,趙不勝,亡一都尉。趙王召樓昌與虞卿曰:「軍戰不勝,尉復死,寡人使束甲而趨之,何如?」樓昌曰:「無益也,不如發重使爲媾。」虞卿曰:「昌言媾者,以爲不媾軍必破也。而制媾者在秦。且王之論秦也,欲破趙之軍乎,不邪?」王曰:「秦不遺餘力矣,必且欲破趙軍。」虞卿曰:「王聽臣,發使出重寶以附楚、魏,楚、魏欲得王之重寶,必內吾使。趙使入楚、魏,秦必疑天下之合從,且必恐。如此,則媾乃可爲也。」趙王不聽,與平陽君爲媾,發鄭朱入秦。秦內之。趙王召虞卿曰:「寡人使平陽君爲媾於秦,秦已內鄭朱矣,卿之爲奚如?」虞卿對曰:「王不得媾,軍必破矣。天下賀戰者皆在秦矣。鄭朱,貴人也,入秦,秦王與應侯必顯重以示天下。楚、魏以趙爲媾,必不救王。秦知天下不救王,則媾不可得成也。」應侯果顯鄭朱以示天下賀戰勝者,終不肯媾。長平大敗,遂圍邯鄲,爲天下笑。秦既解邯鄲圍,而趙王入朝,使趙郝約事於秦,割六縣而媾。
新字:虞卿者,遊説之士也。躡蹻檐簦説趙孝成王。一見,賜黄金百鎰,白璧一双;再見,為趙上卿,故号為虞卿。秦趙戦於長平,趙不勝,亡一都尉。趙王召楼昌与虞卿曰:「軍戦不勝,尉復死,寡人使束甲而趨之,何如?」楼昌曰:「無益也,不如発重使為媾。」虞卿曰:「昌言媾者,以為不媾軍必破也。而制媾者在秦。且王之論秦也,欲破趙之軍乎,不邪?」王曰:「秦不遺余力矣,必且欲破趙軍。」虞卿曰:「王聴臣,発使出重宝以附楚、魏,楚、魏欲得王之重宝,必内吾使。趙使入楚、魏,秦必疑天下之合従,且必恐。如此,則媾乃可為也。」趙王不聴,与平陽君為媾,発鄭朱入秦。秦内之。趙王召虞卿曰:「寡人使平陽君為媾於秦,秦已内鄭朱矣,卿之為奚如?」虞卿対曰:「王不得媾,軍必破矣。天下賀戦者皆在秦矣。鄭朱,貴人也,入秦,秦王与応侯必顕重以示天下。楚、魏以趙為媾,必不救王。秦知天下不救王,則媾不可得成也。」応侯果顕鄭朱以示天下賀戦勝者,終不肯媾。長平大敗,遂囲邯鄲,為天下笑。秦既解邯鄲囲,而趙王入朝,使趙郝約事於秦,割六県而媾。
書き下し
虞卿は、遊説の士なり。蹻を躡み簦を檐ひて趙の孝成王に説く。一たび見えて、黄金百鎰・白璧一双を賜はる。再び見えて、趙の上卿と為る、故に号して虞卿と為す。秦・趙、長平に戦ひ、趙勝たず、一都尉を亡ふ。趙王、楼昌と虞卿とを召して曰く、「軍戦ひて勝たず、尉また死す。寡人、甲を束ねてこれに趨かしめんとす、何如」と。楼昌曰く、「益無きなり。重使を発して媾を為すに如かず」と。虞卿曰く、「昌の媾を言ふ者は、以為へらく媾せずんば軍必ず破れんと。而して媾を制する者は秦に在り。且つ王の秦を論ずるや、趙の軍を破らんと欲するか、不や」と。王曰く、「秦は余力を遺さず、必ず且に趙の軍を破らんと欲す」と。虞卿曰く、「王、臣に聴き、使ひを発し重宝を出だして以て楚・魏に附けよ。楚・魏は王の重宝を得んと欲し、必ず吾が使ひを内れん。趙の使ひ楚・魏に入らば、秦必ず天下の合従を疑ひ、且つ必ず恐れん。此くの如くんば、則ち媾乃ち為すべきなり」と。趙王聴かず、平陽君と媾を為し、鄭朱を発して秦に入れしむ。秦これを内る。趙王、虞卿を召して曰く、「寡人、平陽君をして媾を秦に為さしむ、秦已に鄭朱を内れたり、卿の為は奚如」と。虞卿対へて曰く、「王、媾を得ずして、軍必ず破れん。天下の戦ひを賀する者は皆秦に在り。鄭朱は貴人なり、秦に入らば、秦王と応侯と必ず顕重して以て天下に示さん。楚・魏は趙を以て媾を為すと為し、必ず王を救はず。秦、天下の王を救はざるを知らば、則ち媾は得て成るべからざるなり」と。応侯果たして鄭朱を顕かにして以て天下の戦勝を賀する者に示し、終に媾を肯んぜず。長平大いに敗れ、遂に邯鄲を囲まれ、天下の笑ひと為る。秦既に邯鄲の囲みを解き、而して趙王入朝し、趙郝をして事を秦に約せしめ、六県を割きて媾せんとす。
現代語訳
虞卿は遊説の士である。草鞋をはき、長柄の笠を担いで趙の孝成王に説いた。一度会うと黄金百鎰と白い璧一対を賜り、二度会うと趙の上卿となった。それで虞卿と呼ばれた。秦と趙が長平で戦ったとき、趙は勝てず、一人の都尉を失った。趙王は楼昌と虞卿を呼んで言った。「戦っても勝てず、都尉まで戦死した。わしは兵に鎧を束ねさせて(身軽にして)突撃させようと思うが、どうか。」楼昌は言った。「益はない。重臣を使者に立てて和睦を結ぶのがよい。」虞卿は言った。「楼昌が和睦を言うのは、和睦しなければ軍が必ず破れると考えているからだ。しかし和睦を決める主導権は秦にある。それに王は秦の考えをどう見ておられるか。趙の軍を破ろうとしているのか、そうではないのか。」王は言った。「秦は力を出し尽くしている。必ず趙の軍を破ろうとしているのだ。」虞卿は言った。「王は私の言うことを聞いて、使者を出し、貴重な宝物を贈って楚と魏に取り入るべきだ。楚と魏は王の宝物を欲しがって、必ず我が使者を迎え入れるだろう。趙の使者が楚や魏に入れば、秦は必ず天下が合従するのではないかと疑い、恐れるに違いない。そうなって初めて和睦ができるのだ。」趙王は聞き入れず、平陽君と相談して和睦を進め、鄭朱を秦に遣わした。秦は鄭朱を迎え入れた。趙王は虞卿を呼んで言った。「わしは平陽君に秦との和睦を進めさせたが、秦はもう鄭朱を受け入れた。そなたはどう見るか。」虞卿は答えた。「王は和睦を得られず、軍は必ず破れるだろう。天下で戦勝を祝う使者はみな秦に集まっている。鄭朱は身分の高い人だから、秦に入れば、秦王と応侯は必ず彼を大いにもてなして天下に見せつけるだろう。楚や魏は趙が秦と和睦したと思って、決して王を救わない。秦は天下が王を救わないと知れば、和睦を成立させるはずがない。」はたして応侯は鄭朱を目立つようにもてなして、戦勝を祝いに来た天下の使者たちに見せつけ、ついに和睦に応じなかった。趙は長平で大敗し、そのまま邯鄲を包囲されて、天下の笑いものになった。秦が邯鄲の包囲を解いた後、趙王は秦に入朝しようとし、趙郝に秦との約束を取りまとめさせ、六つの県を割いて和睦しようとした。
解説
この章句が説くこと
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