史記 / 蕭相国世家
語在淮陰侯事中。漢王引兵東定三秦,何以丞相留收巴蜀,填撫諭告,使給軍食。漢二年,漢王與諸侯擊楚,何守關中,侍太子,治櫟陽。為法令約束,立宗廟社稷宮室縣邑,輒奏上,可,許以從事;即不及奏上,輒以便宜施行,上來以聞。關中事計戶口轉漕給軍,漢王數失軍遁去,何常興關中卒,輒補缺。上以此專屬任何關中事。漢三年,漢王與項羽相距京索之間,上數使使勞苦丞相。鮑生謂丞相曰:「王暴衣露蓋,數使使勞苦君者,有疑君心也。為君計,莫若遣君子孫昆弟能勝兵者悉詣軍所,上必益信君。」於是何從其計,漢王大說。漢五年,既殺項羽,定天下,論功行封。群臣爭功,歲餘功不決。高祖以蕭何功最盛,封為酇侯,所食邑多。功臣皆曰:「臣等身被堅執銳,多者百餘戰,少者數十合,攻城掠地,大小各有差。今蕭何未嘗有汗馬之勞,徒持文墨議論,不戰,顧反居臣等上,何也?」高帝曰:「諸君知獵乎?」曰:「知之。」
新字:語在淮陰侯事中。漢王引兵東定三秦,何以丞相留収巴蜀,填撫諭告,使給軍食。漢二年,漢王与諸侯撃楚,何守関中,侍太子,治櫟陽。為法令約束,立宗廟社稷宮室県邑,輒奏上,可,許以従事;即不及奏上,輒以便宜施行,上来以聞。関中事計戸口転漕給軍,漢王数失軍遁去,何常興関中卒,輒補欠。上以此専属任何関中事。漢三年,漢王与項羽相距京索之間,上数使使労苦丞相。鮑生謂丞相曰:「王暴衣露蓋,数使使労苦君者,有疑君心也。為君計,莫若遣君子孫昆弟能勝兵者悉詣軍所,上必益信君。」於是何従其計,漢王大説。漢五年,既殺項羽,定天下,論功行封。群臣争功,歳余功不決。高祖以蕭何功最盛,封為酇侯,所食邑多。功臣皆曰:「臣等身被堅執鋭,多者百余戦,少者数十合,攻城掠地,大小各有差。今蕭何未嘗有汗馬之労,徒持文墨議論,不戦,顧反居臣等上,何也?」高帝曰:「諸君知猟乎?」曰:「知之。」
書き下し
語は淮陰侯の事の中に在り。漢王兵を引きて東のかた三秦を定む、何丞相を以て留まりて巴蜀を収め、填撫諭告し、軍食に給せしむ。漢二年、漢王諸侯と楚を撃つ、何関中を守り、太子に侍し、櫟陽を治む。法令約束を為り、宗廟社稷宮室県邑を立て、輒ち奏上し、可とせらるれば、許して以て事に従ふ。即し奏上するに及ばざれば、輒ち便宜を以て施行し、上来たれば以て聞す。関中の事は戸口を計りて転漕して軍に給す、漢王数々軍を失ひて遁れ去る、何常に関中の卒を興し、輒ち缺を補ふ。上此を以て専ら何に関中の事を属任す。漢三年、漢王項羽と京索の間に相距ぐ、上数々使をして丞相を労苦せしむ。鮑生丞相に謂ひて曰く、「王衣を暴し蓋を露す、数々使をして君を労苦せしむる者は、君を疑ふの心有るなり。君の為に計るに、君の子孫昆弟の能く兵に勝ふる者を遣はして悉く軍所に詣らしむるに若くは莫し、上必ず益々君を信ぜん」と。是に於て何其の計に従ふ、漢王大いに説ぶ。漢五年、既に項羽を殺し、天下を定め、功を論じて封を行ふ。群臣功を争ひ、歳余にして功決せず。高祖蕭何の功最も盛んなるを以て、封じて酇侯と為し、食む所の邑多し。功臣皆曰く、「臣等身は堅を被り鋭を執り、多き者は百余戦、少なき者は数十合、城を攻め地を掠むること、大小各々差有り。今蕭何未だ嘗て汗馬の労有らず、徒だ文墨を持して議論し、戦はず、顧て反りて臣等の上に居るは、何ぞや」と。高帝曰く、「諸君猟を知るか」と。曰く、「之を知る」と。
現代語訳
(このことは)淮陰侯(韓信)の伝の中に記してある。漢王が兵を率いて東へ三秦を平定すると、蕭何は丞相として後方に留まって巴・蜀を治め、民を鎮め安んじ、布告を出して教え諭し、軍の食糧を供給させた。漢二年、漢王が諸侯とともに楚を攻めると、蕭何は関中を守り、太子に仕え、櫟陽(れきよう)で政務を執った。法令や規則を定め、宗廟・社稷・宮殿・県や邑を設け、そのたびに上奏し、許可されればそのとおり実行した。もし上奏が間に合わないときは、そのつど臨機応変に実施し、漢王が来たときに報告した。関中では戸籍を調べて人口を把握し、物資を水陸で運んで軍に供給した。漢王はたびたび軍を失って逃げ去ったが、蕭何はいつも関中の兵を徴発して、そのたびに欠員を補った。漢王はこれによって関中のことを専ら蕭何に任せた。漢三年、漢王は項羽と京・索の間で対峙していたが、たびたび使者を遣わして丞相の労をねぎらった。鮑生(ほうせい)が丞相に言った。「王は野ざらしで戦の苦労をしながら、たびたび使者をよこしてあなたをねぎらうのは、あなたを疑う心があるからだ。あなたのために考えるなら、あなたの子や孫、兄弟で兵役に堪える者をすべて軍の陣地に送り出すのが最善だ。そうすれば王はますますあなたを信頼するだろう」。そこで蕭何がその策に従うと、漢王は大いに喜んだ。漢五年、項羽を殺して天下を平定すると、功績を論じて領地を与えることになった。群臣は手柄を争い、一年余りたっても功績の順位が決まらなかった。高祖は蕭何の功績が最も大きいとして、酇侯(さんこう)に封じ、与えた領地も多かった。功臣たちはみな言った。「我々は自ら鎧を着て鋭い武器を手にし、多い者は百余回、少ない者でも数十回戦い、城を攻め土地を奪ってきた。手柄の大小にはそれぞれ差がある。ところが蕭何は戦場で馬を走らせて汗を流したこともなく、ただ筆を執って議論していただけで戦っていない。それなのにかえって我々の上に位置するのはどういうわけか」。高帝は言った。「諸君は狩りを知っているか」。功臣たちは言った。「知っている」。
解説
関連する章句
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史記 蕭相国世家列侯畢く已に封を受け、位次を奏するに及び、皆曰く、「平陽侯曹参は身に七十創を被り、城を攻め地を掠め、功最も多し、宜しく第一なるべし」と。上已に功臣を橈め、多く蕭何を封じ、位次に至りては未だ以て複た之を難ずる有らず、然れども心に何を第一にせんと欲す。関内侯鄂君進みて曰く、「群臣の議皆誤れり。夫れ曹参は野戦略地の功有りと雖も、此れ特だ一時の事なり。夫れ上楚と相距ぐこと五歳、常に軍を失ひ衆を亡ひ、身を逃れて遁るる者数々なり。然れども蕭何常に関中より軍を遣はして其の処を補ふ、上の詔令して召す所に非ずして、数万の衆上の乏絶に会する者数々なり。夫れ漢楚と滎陽を相守ること数年、軍に見糧無し、蕭何関中より転漕し、食を給して乏しからず。陛下数々山東を亡ふと雖も、蕭何常に関中を全うして以て陛下を待つ、此れ万世の功なり。今曹参等百数を亡ふと雖も、何ぞ漢に缺けん。漢之を得るも必ずしも待ちて以て全からず。奈何ぞ一旦の功を以て万世の功に加へんと欲するや。蕭何第一、曹参之に次ぐ」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち蕭何に令し、剣を帯び履をはきて殿に上り、朝に入りて趨らざることを賜ふ。上曰く、「吾聞く、賢を進むる者は上賞を受くと。蕭何の功高しと雖も、鄂君を得て乃ち益々明らかなり」と。是に於て鄂君の故の食む所の関内侯の邑に因りて封じて安平侯と為す。是の日、悉く何の父子兄弟十余人を封じ、皆食邑有り。乃ち何を益封すること二千戸、帝の嘗て咸陽に繇せし時何我を送るに独り銭二を贏せしを以てなり。漢十一年、陳豨反き、高祖自ら将ゐ、邯鄲に至る。未だ罷まず、淮陰侯関中に反かんと謀る、呂后蕭何の計を用ひ、淮陰侯を誅す、語は淮陰の事の中に在り。上已に淮陰侯の誅を聞き、使をして丞相何を拝して相国と為さしめ、益封すること五千戸、卒五百人一都尉をして相国の衛と為さしむ。諸君皆賀す、召平独り弔す。
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史記 蕭相国世家高帝曰く、「諸君猟を知るか。夫れ猟は、獣兔を追殺する者は狗なり、而して蹤を発して獣の処を指示する者は人なり。今諸君徒だ能く走獣を得るのみ、功狗なり。蕭何のごときに至りては、蹤を発して指示す、功人なり。且つ諸君独り身を以て我に随ふ、多き者両三人なり。今蕭何は宗を挙げて数十人皆我に随ふ、功忘る可からざるなり」と。群臣皆敢へて言ふ莫し。
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史記 蕭相国世家蕭相国何は、沛の豊の人なり。文無害なるを以て沛の主吏掾と為る。高祖布衣為りし時、何数々吏事を以て高祖を護る。高祖亭長と為るや、常に之を左右す。高祖吏を以て咸陽に繇するに、吏皆銭三を送奉す、何独り五を以てす。秦の御史の郡を監する者与に事に従ひ、常に之を辨ず。何乃ち泗水の卒史の事を給し、第一なり。秦の御史入りて言ひて何を徴せんと欲す、何固く請ひ、行くこと毋きを得たり。高祖起ちて沛公と為るに及び、何常に丞と為りて事を督す。
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史記 蕭相国世家太史公曰く、「蕭相国何秦の時に於て刀筆の吏為り、錄錄として未だ奇節有らず。漢興るに及び、日月の末光に依り、何謹みて管籥を守り、民の秦法に疾むに因り、流れに順ひて之と更始す。淮陰・黥布等皆誅滅を以てするも、而して何の勳爛たり。位群臣に冠たり、声後世に施く」と。
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史記 蕭相国世家項王諸侯と与に咸陽を屠り焼きて去る。何、韓信を進言し、漢王信を以て大将軍と為す。
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史記 蕭相国世家上布の軍を罷めて帰る、民道を遮り行きて上書し、相国賤く民の田宅数千万を彊買すと言ふ。上至る、相国謁す。上笑ひて曰く、「夫れ相国乃ち民を利す」と。民の上る所の書皆以て相国に与へて、曰く、「君自ら民に謝せよ」と。相国因りて民の為に請ひて曰く、「長安の地狭し、上林の中空地多く、棄てらる、願はくは民をして入りて田するを得しめ、槁を収めて禽獣の食と為すこと毋からしめん」と。上大いに怒りて曰く、「相国多く賈人の財物を受け、乃ち為に吾が苑を請ふ」と。乃ち相国を廷尉に下し、械して之を繫ぐ。数日にして、王衛尉侍し、前みて問ひて曰く、「相国何の大罪ありて、陛下之を系ぐこと暴なるや」と。上曰く、「吾聞く、李斯秦の皇帝に相たり、善有れば主に帰し、悪有れば自ら与ると。今相国多く賈豎の金を受けて民の為に吾が苑を請ひ、以て自ら民に媚ぶ、故に系ぎて之を治む」と。王衛尉曰く、「夫れ職事苟も民に便有りて之を請ふは、真に宰相の事なり、陛下奈何ぞ乃ち相国の賈人の銭を受くるを疑ふや。且つ陛下楚を距ぐこと数歳、陳豨・黥布反き、陛下自ら将ゐて往く、是の時に当たり、相国関中を守る、足を揺らせば則ち関以西は陛下の有に非ず。相国此の時を以て利を為さず、今乃ち賈人の金を利せんや。且つ秦は其の過ちを聞かざるを以て天下を亡ぼす、李斯の過ちを分かつは、又何ぞ法るに足らんや。陛下何ぞ宰相を疑ふことの浅きや」と。高帝懌ばず。是の日、使をして節を持して赦して相国を出さしむ。相国年老い、素より恭謹なり、入りて、徒跣して謝す。高帝曰く、「相国休めよ。相国民の為に苑を請ふ、吾許さず、我は桀紂の主為るに過ぎず、而して相国は賢相為り。吾故に相国を系ぎしは、百姓をして吾が過ちを聞かしめんと欲すればなり」と。何素より曹参と相能からず、何の病むに及び、孝恵自ら臨みて相国の病を視、因りて問ひて曰く、「君即し百歳の後、誰か君に代はるべき者ぞ」と。対へて曰く、「臣を知るは主に如くは莫し」と。孝恵曰く、「曹参は何如」と。
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