史記 / 蕭相国世家
項王與諸侯屠燒咸陽而去。漢王所以具知天下阸塞,戶口多少,彊弱之處,民所疾苦者,以何具得秦圖書也。何進言韓信,漢王以信為大將軍。
新字:項王与諸侯屠焼咸陽而去。漢王所以具知天下阸塞,戸口多少,彊弱之処,民所疾苦者,以何具得秦図書也。何進言韓信,漢王以信為大将軍。
書き下し
項王諸侯と与に咸陽を屠り焼きて去る。何、韓信を進言し、漢王信を以て大将軍と為す。
現代語訳
項王は諸侯とともに咸陽を虐殺し焼き払って去った。蕭何は韓信を推挙し、漢王は韓信を大将軍とした。
解説
「自分より優れた才能を持つ人材を見出し、惜しみなく、上に推挙する」——蕭何が、無名の韓信を、大将軍に抜擢させた逸話を描いた一段です。蕭何は、(前段で見たように、秦の記録を確保するなど、)自らも、卓越した才能を持つ、名臣でした。しかし、彼の、もう一つの、際立った功績は——自分より、(ある分野で)優れた才能を持つ人材を、見出し、惜しみなく、推挙したことにありました。その最大の例が、韓信です。韓信は、当時、まだ、世に知られぬ、無名の一兵卒にすぎませんでした。(一度は、その才を認められず、劉邦のもとを去ろうとした韓信を、蕭何は、自ら追いかけて連れ戻した、という「蕭何、月下に韓信を追う」の逸話も、有名です。)蕭何は、この、無名の韓信の中に、(用兵にかけては、当代随一の、)並外れた軍事の才能を、見抜いていました。そして、劉邦に、強く、こう進言したのです。「韓信こそ、天下を取るために、なくてはならぬ人材です。彼を、大将軍に、してください」と。(自分の地位を脅かすかもしれない、優れた才能を、恐れて遠ざけるのではなく、)むしろ、積極的に、その才を、天下のために、活かそうとしたのです。劉邦は、この進言を容れ、無名の韓信を、一挙に、全軍を統べる、大将軍に抜擢しました。この、蕭何の推挙による、韓信の登用が、後の、漢の天下取りの、決定的な力となったのです。ここに、人材推挙についての教訓があります。第一に、自分より、(ある分野で)優れた才能を持つ人材を、(自分の地位を脅かすと恐れて遠ざけるのではなく、)見出し、惜しみなく、上に推挙することの、度量。蕭何は、軍事の才では、自分をはるかに上回る韓信を、恐れるどころか、積極的に、世に押し出した。第二に、真に組織のことを考える者は、誰が功績を挙げるか(自分か、他人か)ではなく、組織全体にとって、最善の人材配置は何か、を、優先するということ。蕭何にとって、大事なのは、天下取りの成功であり、そのために最も必要な韓信を、活かすことだった。第三に、まだ世に知られぬ、無名の人材の中に、その真価を見抜く眼を持つこと。組織や人事で、自分より優れた才能を持つ人材を恐れず見出して惜しみなく推挙すること、誰が功績を挙げるかより組織全体にとって最善の人材配置を優先すること、そして無名の人材の中に真価を見抜く眼を持つこと——蕭何が韓信を推挙した逸話は、優れた人材を活かすことを何より優先する度量を教えます。
この章句が説くこと
蕭何韓信を進言自分より優れた人材を推挙地位を脅かす才を恐れない組織全体の最善を優先無名の人材の真価を見抜く
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