史記 / 蕭相国世家
高帝曰、諸君猟を知るか。夫れ猟は、獣兔を追殺する者は狗なり、而して蹤を発して獣の処を指示する者は人なり。今諸君徒だ能く走獣を得るのみ、功狗なり。蕭何のごときに至りては、蹤を発して指示す、功人なり。且つ諸君独り身を以て我に随ふ、多き者両三人なり。今蕭何は宗を挙げて数十人皆我に随ふ、功忘る可からざるなり。群臣皆敢へて言ふ莫し。
書き下し
高帝曰く、「諸君猟を知るか。夫れ猟は、獣兔を追殺する者は狗なり、而して蹤を発して獣の処を指示する者は人なり。今諸君徒だ能く走獣を得るのみ、功狗なり。蕭何のごときに至りては、蹤を発して指示す、功人なり。且つ諸君独り身を以て我に随ふ、多き者両三人なり。今蕭何は宗を挙げて数十人皆我に随ふ、功忘る可からざるなり」と。群臣皆敢へて言ふ莫し。
現代語訳
「前線で手柄を立てる者と、全体を見て方向を指し示す者——後者の貢献こそ、忘れてはならない」——高祖が、蕭何を功臣第一とした理由を、狩りにたとえて説いた、有名な一段です。天下統一の後、功績に応じて、恩賞を与える段になりました。ところが、高祖が、戦場で戦ったわけでもない、内政担当の蕭何を、功臣第一に据えたため、武将たちは、猛烈に反発します。「我々は、身に甲冑をまとい、命がけで、多い者は百回以上も、戦い、城を攻め、土地を奪ってきました。それなのに、蕭何は、汗馬の労(戦場での労苦)もなく、ただ、筆と墨で、書類仕事や議論をしていただけ。戦ってもいない。それが、なぜ、我々より、上に来るのですか(顧反居臣等上、何也)」と。これに対し、高祖は、狩りのたとえで、答えました。「諸君は、狩りを、知っているか。狩りにおいて、獲物である獣や兔を、追いかけ、仕留めるのは、猟犬(狗)だ。しかし——獲物の、隠れている場所を、見つけ出し、猟犬に、『あそこだ』と、指し示すのは、(猟犬ではなく、)人(猟師)だ。今、諸君は、(前線で)獲物を、追いかけて仕留める、(いわば、)『功狗(手柄を立てた猟犬)』にすぎない。しかし、蕭何は、(全体を見渡し、)獲物の在り処を見つけ、方向を指し示す、『功人(手柄を立てた猟師)』なのだ(至如蕭何、發蹤指示、功人也)」と。前線で手柄を立てる者と、全体を見て、戦略を立て、方向を指し示す者とでは、後者の貢献こそが、より根本的で、大きい、というのです。さらに高祖は、加えました。「それに、諸君は、(家族のうち、)せいぜい二、三人が、私に従っただけだ。しかし、蕭何は、一族数十人を、挙げて、皆、私に従わせた。その(全面的な貢献の)功は、忘れられない」と。武将たちは、返す言葉が、ありませんでした。ここに、貢献の評価についての教訓があります。第一に、前線で、目に見える手柄を立てる者(功狗)だけでなく、全体を見渡し、戦略を立て、方向を指し示し、皆が働ける土台を作る者(功人)の貢献こそ、より根本的で、大きいということ。派手な成果を上げる者ばかりが、評価されがちだが、それを、後ろで支え、方向づける、目立たない貢献を、見落としてはならない。第二に、そうした「縁の下の力持ち」「全体を方向づける」役割の価値を、正しく評価し、報いること。第三に、目に見える戦功だけでなく、全面的な、深いコミットメント(蕭何の一族総出)も、評価に値するということ。組織や評価で、前線の目に見える手柄だけでなく全体を方向づけ土台を作る者の根本的な貢献を見落とさないこと、縁の下の力持ちや全体を方向づける役割の価値を正しく評価し報いること、そして深いコミットメントも評価に値すると理解すること——「功人と功狗」の逸話は、貢献を正しく評価することの大切さを教えます。