史記 / 趙世家
還歸,行賞,大赦,置酒酺五日,封長子章爲代安陽君。章素侈,心不服其弟所立。主父又使田不禮相章也。李兌謂肥義曰:「公子章彊壯而志驕,黨衆而欲大,殆有私乎?田不禮之爲人也,忍殺而驕。二人相得,必有謀陰賊起,一出身徼幸。夫小人有欲,輕慮淺謀,徒見其利而不顧其害,同類相推,倶入禍門。以吾觀之,必不久矣。子任重而勢大,亂之所始,禍之所集也,子必先患。仁者愛萬物而智者備禍於未形,不仁不智,何以爲國?子奚不稱疾毋出,傳政於公子成?毋爲怨府,毋爲禍梯。」肥義曰:「不可,昔者主父以王屬義也,曰:『毋變而度,毋異而慮,堅守一心,以歿而世。』義再拜受命而籍之。今畏不禮之難而忘吾籍,變孰大焉。進受嚴命,退而不全,負孰甚焉。變負之臣,不容於刑。諺曰『死者復生,生者不愧』。吾言已在前矣,吾欲全吾言,安得全吾身!且夫貞臣也難至而節見,忠臣也累至而行明。子則有賜而忠我矣,雖然,吾有語在前者也,終不敢失。」李兌曰:「諾,子勉之矣!吾見子已今年耳。」涕泣而出。李兌數見公子成,以備田不禮之事。異日肥義謂信期曰:「公子與田不禮甚可憂也。其於義也聲善而實惡,此爲人也不子不臣。
新字:還帰,行賞,大赦,置酒酺五日,封長子章為代安陽君。章素侈,心不服其弟所立。主父又使田不礼相章也。李兌謂肥義曰:「公子章彊壮而志驕,党衆而欲大,殆有私乎?田不礼之為人也,忍殺而驕。二人相得,必有謀陰賊起,一出身徼幸。夫小人有欲,軽慮浅謀,徒見其利而不顧其害,同類相推,倶入禍門。以吾観之,必不久矣。子任重而勢大,乱之所始,禍之所集也,子必先患。仁者愛万物而智者備禍於未形,不仁不智,何以為国?子奚不称疾毋出,伝政於公子成?毋為怨府,毋為禍梯。」肥義曰:「不可,昔者主父以王属義也,曰:『毋変而度,毋異而慮,堅守一心,以歿而世。』義再拝受命而籍之。今畏不礼之難而忘吾籍,変孰大焉。進受厳命,退而不全,負孰甚焉。変負之臣,不容於刑。諺曰『死者復生,生者不愧』。吾言已在前矣,吾欲全吾言,安得全吾身!且夫貞臣也難至而節見,忠臣也累至而行明。子則有賜而忠我矣,雖然,吾有語在前者也,終不敢失。」李兌曰:「諾,子勉之矣!吾見子已今年耳。」涕泣而出。李兌数見公子成,以備田不礼之事。異日肥義謂信期曰:「公子与田不礼甚可憂也。其於義也声善而実悪,此為人也不子不臣。
書き下し
還り帰りて、賞を行ひ、大赦し、酒を置きて酺すること五日。長子章を封じて代の安陽君と為す。章素より侈り、心に其の弟の立つ所に服せず。主父又田不礼をして章に相たらしむ。李兌、肥義に謂ひて曰く、「公子章は彊壮にして志驕り、党衆くして欲大なり。殆ど私有らんか。田不礼の人と為りや、忍殺にして驕る。二人相得ば、必ず謀有りて陰賊起こり、一たび身を出して徼幸せん。夫れ小人は欲有れば、慮を軽んじ謀を浅くし、徒だ其の利を見て其の害を顧みず。同類相推し、倶に禍門に入る。吾を以て之を観るに、必ず久しからざらん。子は任重くして勢大なり。乱の始まる所、禍の集まる所なり。子必ず先づ患へん。仁者は万物を愛し、而して智者は禍を未形に備ふ。不仁不智にして、何を以てか国を為さん。子奚ぞ疾と称して出づる毋く、政を公子成に伝へざる。怨府と為る毋かれ、禍梯と為る毋かれ」と。肥義曰く、「不可なり。昔者主父王を以て義に属して曰く、『而の度を変ずる毋かれ、而の慮を異にする毋かれ。一心を堅守し、以て而の世を歿へよ』と。義再拝して命を受けて之を籍す。今不礼の難を畏れて吾が籍を忘るるは、変孰れか焉より大ならん。進みては厳命を受け、退きては全うせざるは、負孰れか焉より甚だしからん。変負の臣は、刑に容れられず。諺に曰く『死者復た生くとも、生者愧ぢず』と。吾が言已に前に在り。吾吾が言を全うせんと欲す。安んぞ吾が身を全うするを得んや。且つ夫れ貞臣は難至りて節見はれ、忠臣は累至りて行ひ明らかなり。子則ち賜有りて我に忠なり。然りと雖も、吾に語の前に在る者有り、終に敢へて失はず」と。李兌曰く、「諾、子之を勉めよ。吾子を見ること已だ今年のみ」と。涕泣して出づ。李兌数々公子成に見え、以て田不礼の事に備ふ。異日肥義信期に謂ひて曰く、「公子と田不礼と甚だ憂ふべし。其の義に於けるや声善くして実悪し。此れ人と為りや子ならず臣ならず。
現代語訳
主父は帰還すると、論功行賞を行い、大赦を出し、酒宴を開いて五日間祝った。長子の章(しょう)を代の安陽君に封じた。章はもともと驕り高ぶっていて、弟が王に立ったことに内心納得していなかった。主父はさらに田不礼(でんふれい)を章の宰相につけた。李兌(りだ)が肥義に言った。「公子章は体が強く血気盛んで、志は驕っており、仲間が多く野心も大きい。何か私的な企みがあるのではないか。田不礼という男は、人を平気で殺す残忍さを持ち、しかも驕っている。この二人が組めば、必ず陰謀を企んで反乱を起こし、身を投げ出して一か八かの賭けに出るだろう。小人は欲があると、考えは浅はかで計略も浅く、ただ利益だけを見て害を顧みない。同類が互いに押し上げ合い、一緒に禍の門に入っていく。わたしの見るところ、長くはもつまい。あなたは責任が重く権勢も大きい。乱が始まり禍が集まる所に立っている。あなたが真っ先に災いに遭うだろう。仁者は万物を愛し、知者は禍がまだ形に現れないうちに備える。仁でも知でもなければ、どうして国を治められよう。あなたはなぜ病と称して出仕をやめ、政務を公子成に譲らないのか。恨みの集まる倉になってはならない。禍の階段になってはならない」。肥義は言った。「それはできない。以前、主父は王をわたしに託してこう言われた。『おまえの態度を変えるな、おまえの考えを変えるな。一心を固く守り、生涯を終えよ』。わたしは再拝してご命令を受け、それを書き記した。今、田不礼の乱を恐れて、書き記した誓いを忘れるなら、これ以上の変節はない。朝廷に進んでは厳命を受けながら、退いてはそれを全うしないなら、これ以上の背信はない。変節し背信する臣は、刑罰を免れない。諺に『死者が生き返っても、生きている者が恥じることはない(約束を守り抜いていれば、死者に顔向けできる)』とある。わたしの言葉はもう先に誓ってある。わたしは自分の言葉を全うしたい。どうして自分の身を全うすることなど考えられよう。それに、貞節な臣は難事に遭ってこそ節義が現れ、忠臣は災いが重なってこそ行いが明らかになる。あなたはわたしを思って忠告してくれた。しかし、わたしには先に誓った言葉があり、決してそれを破るわけにはいかない」。李兌は言った。「分かった。どうか務めを果たされよ。あなたに会えるのも今年限りだろう」。そして涙を流して出て行った。李兌はたびたび公子成に会い、田不礼の乱に備えた。別の日、肥義は信期(しんき)に言った。「公子章と田不礼のことはたいへん憂慮すべきだ。彼らは義については口先ではよいことを言うが、実際は悪い。その人柄は子としても臣としても道を外れている。
解説
関連する章句
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史記 趙世家吾之を聞くなり、姦臣朝に在るは、国の残なり。讒臣中に在るは、主の蠹なり。此の人貪にして欲大なり。内には主を得て外には暴を為す。令を矯めて慢を為し、以て一旦の命を擅にすること、為すに難からず。禍且に国に逮ばんとす。今吾之を憂へ、夜も寐ぬるを忘れ、饑ゑても食らふを忘る。盗賊の出入は備へざるべからず。今より以来、若し王を召す者有らば必ず吾が面を見よ。我将に先づ身を以て之に当たらんとす。故無くして王乃ち入れ」と。信期曰く、「善いかな、吾此を聞くことを得たり」と。四年、群臣を朝せしむ。安陽君も亦来り朝す。主父、王をして朝を聴かしめ、而して自ら旁より群臣宗室の礼を観窺す。其の長子章の傫然として、反りて北面して臣と為り、其の弟に詘するを見て、心に之を憐む。是に於て乃ち趙を分ちて章を代に王とせんと欲す。計未だ決せずして輟む。主父及び王沙丘に游び、宮を異にす。公子章即ち其の徒と田不礼とを以て乱を作し、詐りて主父の令を以て王を召す。肥義先づ入り、之を殺す。高信即ち王と戦ふ。公子成と李兌、国より至り、乃ち四邑の兵を起こして入りて難を距ぎ、公子章及び田不礼を殺し、其の党賊を滅ぼして王室を定む。公子成相と為り、安平君と号す。李兌司寇と為る。公子章の敗るるや、往きて主父に走る。主主之を開く。成・兌因りて主父の宮を囲む。公子章死す。公子成・李兌謀りて曰く、「章の故を以て主父を囲む。即し兵を解かば、吾が属夷せられん」と。乃ち遂に主父を囲む。宮中の人に令す「後れて出づる者は夷せん」と。宮中の人悉く出づ。主父出でんと欲するも得ず、又食を得ず、爵鷇を探りて之を食らふ。三月余にして沙丘の宮に餓死す。主父定めて死し、乃ち喪を発して諸侯に赴ぐ。是の時王少く、成・兌政を専らにし、誅を畏る。故に主父を囲む。
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史記 趙世家位尊くして功無く、奉厚くして労無く、而して重器を挟むこと多ければなり。今媼、長安君の位を尊くして、之を封ずるに膏腴の地を以てし、多く之に重器を与へて、今に及びて国に功有らしめず。一旦山陵崩れば、長安君何を以てか自ら趙に託せん。老臣以為へらく、媼の長安君の為に計ること短しと。故に以為へらく、之を愛すること燕后に若かずと」と。太后曰く、「諾。君の之を使ふ所を恣にせよ」と。是に於て長安君の為に車百乗を約し、斉に質とす。斉の兵乃ち出づ。子義之を聞きて曰く、「人主の子は、骨肉の親なり。猶ほ無功の尊、無労の奉を持して、金玉の重きを守ること能はず。而るを況んや予に於てをや」と。斉の安平君田単、趙の師に将として燕の中陽を攻め、之を抜く。又韓の注人を攻め、之を抜く。二年、恵文后卒す。田単相と為る。四年、王夢に偏裻の衣を衣、飛龍に乗りて天に上り、至らずして墜ち、金玉の積むこと山の如きを見る。明日、王筮史敢を召して之を占はしむ。曰く、「夢に偏裻の衣を衣る者は、残なり。飛龍に乗りて天に上り至らずして墜つる者は、気有りて実無きなり。金玉の積むこと山の如きを見る者は、憂ひなり」と。後三日、韓氏の上党の守馮亭の使者至りて曰く、「韓上党を守ること能はず、之を秦に入れんとす。其の吏民皆趙と為るに安んじ、秦と為るを欲せず。城市邑十七有り。願はくは再拝して之を趙に入れん。財めて王の吏民に賜ふ所を以てせよ」と。王大いに喜び、平陽君豹を召して之に告げて曰く、「馮亭、城市邑十七を入る。之を受くること何如」と。対へて曰く、「聖人は甚だ無故の利を禍とす」と。王曰く、「人吾が徳に懐く。何ぞ無故と謂はんや」と。対へて曰く、「夫れ秦は韓氏の地を蚕食し、中ごろ絶えて相通ぜしめず。固より自ら以為へらく坐して上党の地を受けんと。韓氏の秦に入れざる所以の者は、其の禍を趙に嫁せんと欲すればなり。
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『長短経』君徳〔議に曰く、子、衛の霊公の無道を言う。康子曰く「夫れ是くの如くんば、奚為れぞ喪びざる」と。孔子曰く「仲叔圉は賓客を治め、祝駝は宗廟を治め、王孫賈は軍旅を治む。夫れ是くの如くんば、奚ぞ其れ喪びん」と。此れ有徳に委任するの美を言うなり。田単、斉に相たり。淄水を過ぐ。老人有り、淄を渉りて寒ゆ。田単、裘を解きて之に衣す。襄王之を悪みて曰く「田単の厚施は、将に以て我が国を取らんと欲するか。早く図らずんば、恐らくは之に後れん」と。此れ有徳に委任するの悪を言うなり。故に斉侯、陳氏の厚徳を悪む。晏子、斉侯に謂いて曰く「礼に在り、家施は国に及ばず、大夫は公利を収めず。以て之を止む可し」と。斉の襄、田単の厚施を悪む。貫珠なる者、襄王に謂いて曰く「王は単の善を嘉するに如かず。令して曰く『寡人は人の飢うるを憂うるなり。単、収めて之を食わしむ。寡人は人の寒ゆるを憂うるなり。単、裘を解きて之に衣す。寡人の意に称う』と。単に是の善有りて王之を嘉す。単の善を善しとするは、亦た王の善なり」と。
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史記 魏世家如耳、成陵君に見えて曰く、『昔者魏趙を伐ち、羊腸を断ち、閼与を抜き、趙を約斬し、趙分れて二と為る。亡びざる所以の者は、魏従の主為ればなり。今衛已に亡ぶるに迫り、将に西のかた事を秦に請はんとす。其の秦を以て衛を醳かんよりは、魏を以て衛を醳くに如かず。衛の魏を徳とすること必ず終に窮まり無からん』と。成陵君曰く、『諾』と。如耳、魏王に見えて曰く、『臣衛に謁する有り。衛は故周室の別なり。其れ小国と称すれども、宝器多し。今国難に迫られて宝器出でざる者は、其の心以為へらく、衛を攻め衛を醳くは王を以て主と為さずと。故に宝器出づと雖も必ず王に入らざらん。臣窃かに之を料るに、先に衛を醳かんと言ふ者は必ず衛に受くる者なり』と。如耳出で、成陵君入り、其の言を以て魏王に見ゆ。魏王其の説を聴き、其の兵を罷め、成陵君を免じ、終身見えず。九年、秦王と臨晋に会す。張儀・魏章皆魏に帰す。魏の相田需死す。楚、張儀・犀首・薛公を害す。楚の相昭魚、蘇代に謂ひて曰く、『田需死す。吾張儀・犀首・薛公の一人魏に相たる者有らんことを恐るるなり』と。代曰く、『然らば相は誰を欲して君之を便とする』と。昭魚曰く、『吾太子の自ら相たらんことを欲す』と。代曰く、『請ふ君の為に北し、必ず之を相たらしめん』と。昭魚曰く、『奈何』と。対へて曰く、『君其れ梁王と為れ。代請ふ君に説かん』と。昭魚曰く、『奈何』と。対へて曰く、『代や楚より来る。昭魚甚だ憂ひて曰く、「田需死す。吾張儀・犀首・薛公の一人魏に相たる者有らんことを恐るるなり」と。代曰く、「梁王は長主なり。必ず張儀を相とせず。張儀相たらば、必ず秦を右にして魏を左にせん。犀首相たらば、必ず韓を右にして魏を左にせん。薛公相たらば、必ず斉を右にして魏を左にせん。梁王は長主なり。必ず便とせざるなり」と。王曰く、「然らば則ち寡人孰をか相とせん」と。代曰く、「太子の自ら相たるに若くは莫し。
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史記 田叔列伝是の時石氏の九人二千石と為り、方に盛貴なり。田仁数々上書して之を言ふ。杜大夫及び石氏人をして謝せしめ、田少卿に謂ひて曰く、「吾敢へて語言有るに非ざるなり。願はくは少卿相誣汚すること無かれ」と。仁已に三河を刺し、三河の太守皆吏に下されて誅死す。仁還りて事を奏す。武帝説び、仁を以て能く彊御を畏れずと為し、仁を拝して丞相司直と為す。威天下に振ふ。其の後太子の兵事有るに逢ふ。丞相自ら兵を将ゐ、司直をして城門を主らしむ。司直以為へらく、太子は骨肉の親にして、父子の間は甚だしくは近づくを欲せずと。之を去りて諸陵に之き過ぐ。是の時武帝甘泉に在り、御史大夫暴君をして下りて丞相を責めしむ、「何為れぞ太子を縦す」と。丞相対へて言ふ、「司直をして城門を部守せしむるに太子を開けり」と。上書して以て聞し、司直を捕繋せんことを請ふ。司直吏に下され、誅死す。是の時任安北軍の使者護軍為り。太子車を北軍の南門の外に立て、任安を召し、節を与へて兵を発せしむ。安拝して節を受け、入りて、門を閉ぢて出でず。武帝之を聞き、以為へらく任安詳りを為すか、事に傅かざるは何ぞやと。任安北軍の銭官の小吏を笞辱す。小吏上書して之を言ひ、以為へらく太子の節を受け、「幸ひに我に其の鮮好なる者を与へよ」と言へりと。書上りて聞す。武帝曰く、「是れ老吏なり。兵事の起こるを見て、坐して成敗を観んと欲し、勝つ者を見て之に合従せんと欲す。両心有り。安は死に当たるの罪有ること甚だ衆きも、吾常に之を活かす。今詐りを懐き、不忠の心有り」と。安を吏に下し、誅死す。夫れ月満つれば則ち虧け、物盛んなれば則ち衰ふるは、天地の常なり。進むを知りて退くを知らず、久しく富貴に乗ずれば、禍積りて祟りを為す。故に范蠡の越を去り、辞して官位を受けず、名後世に伝はり、万歳忘れられざるは、豈に及ぶべけんや。後進の者慎みて之を戒めよ。
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史記 趙世家是に於て肥義侍す。王曰く、「簡・襄主の烈は、胡・翟の利を計る。人臣為る者は、寵せらるれば孝弟長幼順明の節有り、通ずれば民を補ひ主を益するの業有り。此の両者は臣の分なり。今吾襄主の跡を継ぎ、胡・翟の郷を開かんと欲するも、而も世を卒ふるまで見ざるなり。敵を弱むる為には、力を用ふること少なくして功多し。以て百姓の労を尽くすこと毋くして、往古の勲を序づべし。夫れ高世の功有る者は、遺俗の累を負ひ、独智の慮有る者は、驁民の怨みに任ず。今吾将に胡服騎射して以て百姓に教へんとす。而して世必ず寡人を議せん。奈何」と。肥義曰く、「臣聞く、疑事は功無く、疑行は名無しと。王既に遺俗に負くの慮を定めたり。殆ど天下の議を顧みること無からん。夫れ至徳を論ずる者は俗に和せず、大功を成す者は衆に謀らず。昔者舜は有苗に舞ひ、禹は裸国に袒ぐ。以て欲を養ひて志を楽しましむるに非ず、務めて以て徳を論じて功を約するなり。愚者は成事に闇く、智者は未形を睹る。則ち王何をか疑はん」と。王曰く、「吾胡服を疑はざるなり。吾天下の我を笑はんことを恐るるなり。狂夫の楽しみは、智者哀しむ。愚者の笑ふ所は、賢者察す。世に我に順ふ者有らば、胡服の功未だ知るべからざるなり。世を駆りて以て我を笑ふと雖も、胡地・中山は吾必ず之を有たん」と。是に於て遂に胡服す。王紲をして公子成に謂はしめて曰く、「寡人胡服して、将に以て朝せんとす。亦叔の之を服せんことを欲す。家は親に聴き、国は君に聴くは、古今の公行なり。子は親に反かず、臣は君に逆らはざるは、兄弟の通義なり。今寡人教へを作して服を易ふるに、而も叔服せずんば、吾天下の之を議せんことを恐るるなり。国を制するに常有り、民を利するを本と為す。政に従ふに経有り、令の行はるるを上と為す。徳を明らかにするには先づ賤に論じ、政を行ふには先づ貴に信ぜらる。
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