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史記 / 陳杞世家

孔寧、儀行父皆奔楚,靈公太子午奔晉。徵舒自立為陳侯。徵舒,故陳大夫也。夏姬,御叔之妻,舒之母也。成公元年冬,楚莊王為夏徵舒殺靈公,率諸侯伐陳。謂陳曰:「無驚,吾誅徵舒而已。」

新字:孔寧、儀行父皆奔楚,霊公太子午奔晋。徴舒自立為陳侯。徴舒,故陳大夫也。夏姫,御叔之妻,舒之母也。成公元年冬,楚荘王為夏徴舒殺霊公,率諸侯伐陳。謂陳曰:「無驚,吾誅徴舒而已。」

書き下し

孔寧・儀行父皆楚に奔り、霊公の太子午晋に奔る。徴舒自立して陳侯と為る。徴舒は、故の陳の大夫なり。夏姫は、御叔の妻にして、舒の母なり。成公の元年冬、楚の荘王夏徴舒の霊公を殺しし為に、諸侯を率ゐて陳を伐つ。陳に謂ひて曰く、「驚くこと無かれ。吾徴舒を誅するのみ」と。

現代語訳

孔寧と儀行父はどちらも楚に逃げ、霊公の太子の午は晋に逃げた。夏徴舒は自ら立って陳侯となった。徴舒はもとは陳の大夫である。夏姫は御叔の妻で、徴舒の母である。成公の元年の冬、楚の荘王は、夏徴舒が霊公を殺したことを理由に、諸侯を率いて陳を攻めた。荘王は陳の人々に告げた。「驚くことはない。私は徴舒を討つだけだ」。

解説

陳の霊公が大夫の夏徴舒に殺された事件の後始末を語る短い段です。霊公は臣下の孔寧・儀行父とともに、夏徴舒の母・夏姫と通じ、そのことを徴舒の前でからかったために殺されました。その経緯は直前の段に記されており、ここでは事件の後、霊公と一緒に夏姫と通じていた二人の臣下は楚へ、太子は晋へ逃げ、徴舒が自ら君主の座に就いたことが語られます。これに対し楚の荘王は「弑逆の罪を討つ」という大義を掲げて諸侯を率い、「驚くな、討つのは徴舒だけだ」と陳の民を安心させました。荘王は春秋五覇の一人に数えられる名君で、この後いったん陳を併合しかけて臣下に諫められ、陳を再興したことで知られます。大義名分を明らかにし、関係のない人々の不安を取り除いてから動くやり方は、組織の中で問題のある人物に対処するときにも参考になる進め方でしょう。

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