史記 / 陳杞世家
十四年,靈公與其大夫孔寧、儀行父皆通於夏姬,衷其衣以戲於朝。泄冶諫曰:「君臣淫亂,民何效焉?」靈公以告二子,二子請殺泄冶,公弗禁,遂殺泄冶。十五年,靈公與二子飲於夏氏。公戲二子曰:「徵舒似汝。」二子曰:「亦似公。」徵舒怒。靈公罷酒出,徵舒伏弩廏門射殺靈公。
新字:十四年,霊公与其大夫孔寧、儀行父皆通於夏姫,衷其衣以戯於朝。泄冶諫曰:「君臣淫乱,民何効焉?」霊公以告二子,二子請殺泄冶,公弗禁,遂殺泄冶。十五年,霊公与二子飲於夏氏。公戯二子曰:「徴舒似汝。」二子曰:「亦似公。」徴舒怒。霊公罷酒出,徴舒伏弩廏門射殺霊公。
書き下し
靈公其の大夫孔寧・儀行父と皆夏姬に通じ、其の衣を衷にして以て朝に戯る。泄冶諫めて曰く、「君臣淫乱すれば、民何をか效はん」と。靈公以て二子に告ぐ、二子泄冶を殺さんことを請ふ、公禁ぜず、遂に泄冶を殺す。十五年、靈公二子と夏氏に飲む。公二子に戯れて曰く、「徵舒汝に似たり」と。二子曰く、「亦た公に似たり」と。徵舒怒る。靈公酒を罷めて出づ、徵舒弩を廏門に伏せて靈公を射殺す。
現代語訳
靈公は大夫の孔寧・儀行父とともに、みな夏姬と通じ、その下着を肌に着けて朝廷でふざけていた。泄冶が諫めて言った。「君臣が淫らに乱れれば、民は何を手本にすればよいのですか」。靈公はこれを二人に告げた。二人は泄冶を殺したいと願い出た。公が禁じなかったので、ついに泄冶は殺された。十五年、靈公は二人とともに夏氏の家で酒を飲んだ。公は二人にふざけて言った。「徵舒はお前に似ているな」。二人は言った。「公にも似ておりますよ」。徵舒は怒った。靈公が酒宴を切り上げて出ると、徵舒は厩の門に弩を伏せておいて、靈公を射殺した。
解説

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説苑・君道陳の霊公、行い僻にして言失す。泄冶曰く、「陳其れ亡びんとす。吾しばしば君を諫むるも、君吾に聴かずして愈々威儀を失う。夫れ上の下を化するは、猶お風の草を靡かすがごとし。東風なれば則ち草靡きて西し、西風なれば則ち草靡きて東す。風の由る所に在りて草之が為に靡く。是の故に人君の動きは慎まざるべからざるなり。夫れ曲木を樹うる者、悪んぞ直影を得ん。人君其の行いを直くせず、其の言を敬わざる者は、未だ能く帝王の号を保ち、顕令の名を垂るる者有らざるなり。易に曰く、『夫れ君子其の室に居りて、其の言を出だすに善ければ、則ち千里の外之に応ず、況んや其の邇き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善からざれば、則ち千里の外之に違う、況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わる。行いは邇きより発して、遠きに見わる。言行は君子の枢機なり、枢機の発するや、栄辱の主なり、君子の天地を動かす所以、慎まざるべけんや』と。天地動きて万物変化す。詩に曰く、『爾の出だす話を慎み、爾の威儀を敬め、柔嘉ならざる無かれ』と。此を之れ謂うなり。今君是れを慎まずして縦恣す、亡びずんば必ず弑せられん」と。霊公之を聞き、泄冶を以て妖言を為すと為して之を殺す、後果たして徴舒に弑せらる。
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史記 陳杞世家孔寧・儀行父皆楚に奔り、霊公の太子午晋に奔る。徴舒自立して陳侯と為る。徴舒は、故の陳の大夫なり。夏姫は、御叔の妻にして、舒の母なり。成公の元年冬、楚の荘王夏徴舒の霊公を殺しし為に、諸侯を率ゐて陳を伐つ。陳に謂ひて曰く、「驚くこと無かれ。吾徴舒を誅するのみ」と。
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『春秋左氏伝』宣公九年 洩冶の諫め春、王の使來りて聘を徵(もと)む。夏、孟獻子周に聘す。王以って禮有りと為し、厚く之に賄(おく)る。秋、根牟を取る、易きを言ふなり。滕の昭公卒す。扈に會す、不睦を討ずるなり。陳侯會せず。晉の荀林父諸侯の師を以って陳を伐つ。晉侯扈に卒す、乃ち還る。冬、宋人滕を圍む、其の喪に因るなり。陳の靈公孔寧・儀行父と、夏姬に通じ、皆其の衵服(じつぷく)を衷(き)て以って朝に戲る。洩冶諫めて曰く、「公卿淫を宣(あらは)さば、民效ふ無し。且つ聞こえ令(よ)からず。君其れ之を納めよ」と。公曰く、「吾能く改めん」と。公二子に告ぐ。二子之を殺さんと請ふ。公禁ぜず。遂に洩冶を殺す。孔子曰く、「詩に云ふ、『民の辟(へき)多き、自ら辟を立つる無かれ』と。其れ洩冶の謂か」と。楚子厲の役の為の故に、鄭を伐つ。晉の郤缺鄭を救ふ。鄭伯楚師を柳棼に敗る。國人皆喜ぶ。唯だ子良憂へて曰く、「是れ國の災ひなり。吾死すること日無からん」と。
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国語・周語中「周の秩官に之有りて曰く、『敵国の賓至れば、関尹以て告げ、行理節を以て之を逆え、候人導を為し、卿出でて郊労し、門尹門を除し、宗祝祀を執り、司里館を授け、司徒徒を具え、司空塗を視、司寇姦を詰(ただ)し、虞人材を入れ、甸人薪を積み、火師燎を監し、水師濯(たく)を監し、膳宰饔(よう)を致し、廩人餼を献じ、司馬芻(すう)を陳べ、工人車を展(しら)べ、百官物を以て至り、賓入ること帰るが如し。是の故に小大懐愛せざる莫し。其の貴国の賓至れば、則ち班を以て一等を加え、益(ますます)虔む。王吏に至りては、則ち皆官正事に莅み、上卿之を監す。若し王巡守せば、則ち君親ら之を監す』と。今朝(ちょう)不才なりと雖も、周に分族有り、王命を承けて以て過賓と為りて陳に於いてす。而るに司事至る莫し、是れ先王の官を蔑ろにするなり。 「先王の令に之有りて曰く、『天道は善を賞して淫を罰す。故に凡そ我が造(な)せる国は、非彝(ひい)に従う無く、慆淫(とういん)に即く無く、各爾の典を守り、以て天休を承けよ』と。今陳侯胤続(いんぞく)の常を念わず、其の伉儷(こうれい)妃嬪を棄てて、其の卿佐を帥いて以て夏氏に淫す、亦姓を嬻(けが)さずや。陳は、我が大姫の後なり。袞冕(こんべん)を棄てて南冠して以て出ず、亦彝を簡(おろそ)かにせずや。是れ又先王の令を犯すなり。 「昔先王の教えは、懋(つと)めて其の徳に帥(したが)うも、猶お殞越(いんえつ)せんことを恐る。若し其の教えを廃して其の制を棄て、其の官を蔑ろにして其の令を犯さば、将に何を以て国を守らんとするか。大国の閒に居りて、此の四者無し、其れ能く久しからんや」と。 六年、単子楚に如く。八年、陳侯夏氏に殺さる。九年、楚子陳に入る。
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説苑・復恩楚人黿を鄭の霊公に献ず、公子家公子宋の食指の動くを見て、公子家に謂ひて曰く、「我是くの如くんば必ず異味を嘗めん」と。食に及びて大夫黿を食するに、公子宋を召して与へず、公子宋怒り、指を鼎に染め、之を嘗めて出づ、公怒りて之を殺さんと欲す、公子宋公子家と先んじて遂に霊公を殺す。子夏曰く、「春秋は、君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらざる者を記すなり、此れ一日の事に非ざるなり、漸有りて以て焉に至るなり」と。
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『春秋左氏伝』宣公十年 徴舒、汝に似たり春、公齊に如く。齊侯我が服するを以っての故に、濟西の田を歸す。夏、齊の惠公卒す。崔杼惠公に寵有り、高・國其の偪(せま)るを畏るるなり。公卒して之を逐ふ。衞に奔る。書して「崔氏」と曰ふは、其の罪に非ざるなり。且つ告ぐるに族を以ってし、名を以ってせず。凡そ諸侯の大夫違(さ)るときは、諸侯に告げて曰く、「某氏の守臣某、宗廟を守るを失ふ、敢へて告ぐ」と。玉帛の使ひ有る所の者には則ち告げ、然らざれば則ち否。公齊に如きて喪に奔る。陳の靈公孔寧・儀行父と、夏氏に酒を飲む。公行父に謂ひて曰く、「徵舒汝に似たり」と。對へて曰く、「亦た君に似たり」と。徵舒之を病む。公出づ。其の廄より射て之を殺す。二子楚に奔る。滕人晉を恃みて宋に事へず。六月、宋師滕を伐つ。鄭楚と平らぐ。諸侯の師鄭を伐ち、成を取りて還る。秋、劉康公來りて報聘す。師邾を伐ち、繹を取る。季文子初めて齊に聘す。冬、子家齊に如く、邾を伐ちし故なり。國武子來りて報聘す。楚子鄭を伐つ。晉の士會鄭を救ひ、楚師を潁北に逐ふ。諸侯の師鄭を戍る。鄭の子家卒す。鄭人幽公の亂を討じ、子家の棺を斲(けづ)りて其の族を逐ひ、幽公を改葬し、之に諡して靈と曰ふ。