史記 / 管蔡世家
伯陽三年,國人有夢眾君子立于社宮,謀欲亡曹;曹叔振鐸止之,請待公孫彊,許之。旦,求之曹,無此人。夢者戒其子曰:「我亡,爾聞公孫彊為政,必去曹,無離曹禍。」及伯陽即位,好田弋之事。六年,曹野人公孫彊亦好田弋,獲白鴈而獻之,且言田弋之說,因訪政事。伯陽大說之,有寵,使為司城以聽政。夢者之子乃亡去。公孫彊言霸說於曹伯。十四年,曹伯從之,乃背晉干宋。宋景公伐之,晉人不救。十五年,宋滅曹,執曹伯陽及公孫彊以歸而殺之。曹遂絕其祀。
新字:伯陽三年,国人有夢衆君子立于社宮,謀欲亡曹;曹叔振鐸止之,請待公孫彊,許之。旦,求之曹,無此人。夢者戒其子曰:「我亡,爾聞公孫彊為政,必去曹,無離曹禍。」及伯陽即位,好田弋之事。六年,曹野人公孫彊亦好田弋,獲白鴈而献之,且言田弋之説,因訪政事。伯陽大説之,有寵,使為司城以聴政。夢者之子乃亡去。公孫彊言覇説於曹伯。十四年,曹伯従之,乃背晋干宋。宋景公伐之,晋人不救。十五年,宋滅曹,執曹伯陽及公孫彊以帰而殺之。曹遂絶其祀。
書き下し
伯陽の三年、国人夢みる有り、衆君子社宮に立ち、曹を亡ぼさんと謀る。曹叔振鐸之を止め、公孫彊を待たんことを請ふ。之を許す。旦に、之を曹に求むるも、此の人無し。夢みし者其の子を戒めて曰く、「我亡き後、爾公孫彊政を為すと聞かば、必ず曹を去り、曹の禍に離(かか)ること無かれ」と。伯陽即位するに及び、田弋の事を好む。六年、曹の野人公孫彊も亦た田弋を好み、白鴈を獲て之を献じ、且つ田弋の説を言ひ、因りて政事を訪ふ。伯陽大いに之を説び、寵有り、司城と為して以て政を聴かしむ。夢みし者の子乃ち亡げ去る。公孫彊覇の説を曹伯に言ふ。十四年、曹伯之に従ひ、乃ち晋に背きて宋を干(をか)す。宋の景公之を伐つ。晋人救はず。十五年、宋曹を滅ぼし、曹伯陽及び公孫彊を執へて以て帰りて之を殺す。曹遂に其の祀を絶つ。
現代語訳
伯陽の三年、国の人で夢を見た者がいた。夢の中で大勢の君子たちが社の宮に立ち、曹を滅ぼそうと相談していた。すると始祖の曹叔振鐸がそれを止め、公孫彊という者が現れるまで待ってほしいと頼み、君子たちはそれを許した。朝になってその者を曹の国中で探したが、そういう人はいなかった。夢を見た者は息子に言い聞かせた。「私が死んだあと、公孫彊という者が政治を執るようになったと聞いたら、必ず曹を去って、曹の災いに巻き込まれないようにせよ」。伯陽は即位すると狩猟を好んだ。六年、曹の在野の者である公孫彊もまた狩猟を好み、白い雁を捕らえて献上し、狩猟の話をし、そのついでに政治についても語った。伯陽は大いに喜んで彼を寵愛し、司城(土木を司る官)に任じて政治を任せた。夢を見た者の息子はそこで国を去った。公孫彊は曹伯に覇者となる策を説いた。十四年、曹伯はこれに従い、晋に背いて宋を侵した。宋の景公が曹を攻めたが、晋は救わなかった。十五年、宋は曹を滅ぼし、曹伯陽と公孫彊を捕らえて連れ帰り、殺した。曹はこうして祭祀が絶えた。
解説
関連する章句
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史記 管蔡世家太史公曰く、「余曹の共公の僖負羈を用ゐずして、乃ち軒に乗る者三百人なるを尋ぬ、唯だ徳の建たざるを知る。公孫彊の厥の政を修めざるがごとくんば、叔鐸の祀忽ち諸を」と。
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史記 管蔡世家荘公の二十三年、斉の桓公始めて覇たり。三十一年、荘公卒し、子の釐公夷立つ。釐公九年にして卒し、子の昭公班立つ。昭公の六年、斉の桓公蔡を敗り、遂に楚の召陵に至る。九年、昭公卒し、子の共公襄立つ。共公の十六年、初め、晋の公子重耳其の亡げて曹を過ぐるや、曹君礼無く、其の駢脅を観んと欲す。釐負羈諫むるも、聴かず。私かに重耳に善くす。二十一年、晋の文公重耳曹を伐ち、共公を虜にして以て帰り、軍をして釐負羈の宗族の閭に入ること毋からしむ。或ひと晋の文公に説きて曰く、「昔斉の桓公諸侯を会し、異姓を復す。今君曹君を囚へ、同姓を滅ぼさば、何を以て諸侯に令せん」と。晋乃ち復た共公を帰す。二十五年、晋の文公卒す。三十五年、共公卒し、子の文公寿立つ。文公二十三年にして卒し、子の宣公彊立つ。宣公十七年にして卒し、弟の成公負芻立つ。成公の三年、晋の厲公曹を伐ち、成公を虜にして以て帰り、已にして復た之を釈す。五年、晋の欒書・中行偃、程滑をして其の君厲公を弑せしむ。二十三年、成公卒し、子の武公勝立つ。武公の二十六年、楚の公子棄疾其の君霊王を弑して代はり立つ。二十七年、武公卒し、子の平公須立つ。平公四年にして卒し、子の悼公午立つ。是の歳、宋・衛・陳・鄭皆火あり。悼公の八年、宋の景公立つ。九年、悼公宋に朝す。宋之を囚ふ。曹其の弟野を立つ。是を声公と為す。悼公宋に死し、帰葬す。声公の五年、平公の弟通声公を弑して代はり立つ。是を隠公と為す。隠公の四年、声公の弟露隠公を弑して代はり立つ。是を靖公と為す。靖公四年にして卒し、子の伯陽立つ。
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史記 管蔡世家隠太子友は、霊侯の太子なり。平侯立ちて隠太子を殺す。故に平侯卒して隠太子の子東国平侯の子を攻めて代はり立つ。是を悼侯と為す。悼侯三年にして卒し、弟の昭侯申立つ。昭侯の十年、楚の昭王に朝し、美裘二を持し、其の一を昭王に献じて自ら其の一を衣る。楚の相子常之を欲するも、与へず。子常蔡侯を讒し、之を楚に留むること三年。蔡侯之を知り、乃ち其の裘を子常に献ず。子常之を受け、乃ち言ひて蔡侯を帰す。蔡侯帰りて晋に之き、晋と楚を伐たんことを請ふ。十三年春、衛の霊公と邵陵に会す。蔡侯私かに周の萇弘に以て衛に長たらんことを求む。衛史をして康叔の功徳を言はしめ、乃ち衛を長とす。夏、晋の為に沈を滅ぼす。楚怒り、蔡を攻む。蔡の昭侯其の子をして呉に質と為らしめ、以て共に楚を伐つ。冬、呉王闔閭と遂に楚を破りて郢に入る。蔡子常を怨む。子常恐れて鄭に奔る。十四年、呉去りて楚の昭王国を復す。十六年、楚の令尹其の民の為に泣きて以て蔡を謀る。蔡の昭侯懼る。二十六年、孔子蔡に如く。楚の昭王蔡を伐つ。蔡恐れ、急を呉に告ぐ。呉蔡の遠きが為に、遷りて以て自ら近づき、相救ふに易からんことを約す。昭侯私かに許し、大夫と計らず。呉人来たりて蔡を救ひ、因りて蔡を州来に遷す。二十八年、昭侯将に呉に朝せんとす。大夫其の復た遷さんことを恐れ、乃ち賊利をして昭侯を殺さしむ。已にして賊利を誅して以て過ちを解き、而して昭侯の子朔を立つ。是を成侯と為す。成侯の四年、宋曹を滅ぼす。十年、斉の田常其の君簡公を弑す。十三年、楚陳を滅ぼす。十九年、成侯卒し、子の声侯産立つ。声侯十五年にして卒し、子の元侯立つ。元侯六年にして卒し、子の侯斉立つ。侯斉の四年、楚の恵王蔡を滅ぼす。蔡侯斉亡げ、蔡遂に祀を絶つ。陳に後るること三十三年なり。
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戦国策・宋康王之時有雀生𪇥宋の康王の時、雀有りて𪇥を城の陬に生む。史をして之を占わしむるに、曰く、「小にして巨を生む、必ず天下に霸たらん」と。康王大いに喜ぶ。是に於て滕を滅ぼし薛を伐ち、淮北の地を取り、乃ち愈々自ら信じ、霸たるを亟かに成さんと欲す。故に天を射、地を笞ち、社稷を斬りて之を焚滅し、曰く、「威天下の鬼神を服す」と。国老の諫むるを罵りて曰く、無顏の冠を為り、以て勇を示す。傴の背を剖き、朝渉の脛を鍥り、国人大いに駭く。斉聞きて之を伐ち、民散じ、城守らず。王乃ち倪侯の館に逃げ、遂に得られて死す。祥を見て祥を為さず、反って禍と為る。
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『新序』雜事第四宋の康王の時、爵の鸇を城の陬に生む有り。史をして之を占わしむ。曰く、小にして巨を生む。必ず天下に霸たらん、と。康王大いに喜ぶ。是に於いて滕を滅ぼし薛を伐ち、淮北の地を取る。乃ち愈ミ自ら信じ、霸の亟かに成らんことを欲す。故に天を射地を笞ち、社稷を斬りて之を焚きて曰く、威嚴もて天地□神を伏す、と。國老の諫むる者を罵り、無頭の棺を爲りて以て勇有るを示し、傴者の背を剖き、朝に涉る者の脛を鍥む。而して國人大いに駭く。齊聞きて之を伐つ。民散じて城守らず。王乃ち兒侯の館に逃れ、遂に病を得て死す。故に祥を見て不可を爲さば、祥反りて禍いと爲る。臣向愚かにも鴻範傳を以て之を推すに、宋の史の占は非なり。此れ黑祥傳に所謂黑眚なる者なり。猶お魯に鸜鵒有りて異祥と爲すがごときなり。其の咎を謀らざるの急に屬するなり。鸇なる者は、黑色にして爵を食らい、爵より大にして害あり。爵は攫撃の物、貪叨の類なり。爵にして鸇を生むは、是れ宋君且に急暴撃伐貪叨の行いを行い、諫を距みて以て大禍を生じ以て自ら害せんとするなり。故に爵の鸇を城陬に生むは、以て國を亡ぼすなり。禍いの且に國を害せんとするを明らかにするなり。康王悟らず、遂に以て滅亡す。此れ其の效なり。
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史記 管蔡世家伯邑考は、其の後封ぜらるる所を知らず。武王発は、其の後周と為り、本紀有りて言ふ。管叔鮮は乱を作して誅死し、後無し。周公旦は、其の後魯と為り、世家有りて言ふ。蔡叔度は、其の後蔡と為り、世家有りて言ふ。曹叔振鐸は、後有りて曹と為り、世家有りて言ふ。成叔武は、其の後世見ゆる所無し。霍叔処は、其の後晋の献公の時霍を滅ぼす。康叔封は、其の後衛と為り、世家有りて言ふ。冉季載は、其の後世見ゆる所無し。太史公曰く、管蔡乱を作し、載するに足る者無し。然れども周の武王崩じ、成王少く、天下既に疑ふ。同母の弟成叔・冉季の属十人の輔拂(ほひつ)と為るに頼り、是を以て諸侯卒に周を宗とす。故に之を世家に附して言ふ。曹叔振鐸は、周の武王の弟なり。武王已に殷の紂に克ち、叔振鐸を曹に封ず。叔振鐸卒し、子の太伯脾立つ。太伯卒し、子の仲君平立つ。仲君平卒し、子の宮伯侯立つ。宮伯侯卒し、子の孝伯云立つ。孝伯云卒し、子の夷伯喜立つ。夷伯の二十三年、周の厲王彘に奔る。三十年にして卒し、弟の幽伯彊立つ。幽伯の九年、弟の蘇幽伯を殺して代はり立つ。是を戴伯と為す。戴伯の元年、周の宣王已に立ちて三歳なり。三十年、戴伯卒し、子の恵伯兕立つ。恵伯の二十五年、周の幽王犬戎の殺す所と為る。因りて東に徙り、益々卑く、諸侯之に畔く。秦始めて列して諸侯と為る。三十六、恵伯卒し、子の石甫立つ。其の弟武之を殺して代はり立つ。是を繆公と為す。繆公三年にして卒し、子の桓公終生立つ。桓公の三十五年、魯の隠公立つ。四十五年、魯其の君隠公を弑す。四十六年、宋の華父督其の君殤公及び孔父を弑す。五十五年、桓公卒し、子の荘公夕姑立つ。
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