史記 / 魯周公世家
抑魯君有罪于鬼神也?願君且待。』齊景公從之。二十八年,昭公如晉,求入。季平子私於晉六卿,六卿受季氏賂,諫晉君,晉君乃止,居昭公乾矦。二十九年,昭公如鄆。齊景公使人賜昭公書,自謂『主君』。昭公恥之,怒而去乾矦。三十一年,晉欲內昭公,召季平子。平子布衣跣行,因六卿謝罪。六卿爲言曰:『晉欲內昭公,眾不從。』晉人止。三十二年,昭公卒於乾矦。魯人共立昭公弟宋爲君,是爲定公。定公立,趙簡子問史墨曰:『季氏亡乎?』史墨對曰:『不亡。季友有大功於魯,受鄪爲上卿,至于文子、武子,世增其業。魯文公卒,東門遂殺適立庶,魯君於是失國政。政在季氏,於今四君矣。民不知君,何以得國!是以爲君慎器與名,不可以假人。』定公五年,季平子卒。陽虎私怒,囚季桓子,與盟,乃捨之。七年,齊伐我,取鄆,以爲魯陽虎邑以從政。八年,陽虎欲盡殺三桓適,而更立其所善庶子以代之;載季桓子將殺之,桓子詐而得脫。三桓共攻陽虎,陽虎居陽關。九年,魯伐陽虎,陽虎奔齊,已而奔晉趙氏。十年,定公與齊景公會於夾谷,孔子行相事。齊欲襲魯君,孔子以禮歷階,誅齊淫樂,齊矦懼,乃止,歸魯侵地而謝過。十二年,使仲由毀三桓城,收其甲兵。
新字:抑魯君有罪于鬼神也?願君且待。』斉景公従之。二十八年,昭公如晋,求入。季平子私於晋六卿,六卿受季氏賂,諫晋君,晋君乃止,居昭公乾矦。二十九年,昭公如鄆。斉景公使人賜昭公書,自謂『主君』。昭公恥之,怒而去乾矦。三十一年,晋欲内昭公,召季平子。平子布衣跣行,因六卿謝罪。六卿為言曰:『晋欲内昭公,衆不従。』晋人止。三十二年,昭公卒於乾矦。魯人共立昭公弟宋為君,是為定公。定公立,趙簡子問史墨曰:『季氏亡乎?』史墨対曰:『不亡。季友有大功於魯,受鄪為上卿,至于文子、武子,世增其業。魯文公卒,東門遂殺適立庶,魯君於是失国政。政在季氏,於今四君矣。民不知君,何以得国!是以為君慎器与名,不可以仮人。』定公五年,季平子卒。陽虎私怒,囚季桓子,与盟,乃捨之。七年,斉伐我,取鄆,以為魯陽虎邑以従政。八年,陽虎欲尽殺三桓適,而更立其所善庶子以代之;載季桓子将殺之,桓子詐而得脱。三桓共攻陽虎,陽虎居陽関。九年,魯伐陽虎,陽虎奔斉,已而奔晋趙氏。十年,定公与斉景公会於夾谷,孔子行相事。斉欲襲魯君,孔子以礼歴階,誅斉淫楽,斉矦懼,乃止,帰魯侵地而謝過。十二年,使仲由毀三桓城,収其甲兵。
書き下し
抑々魯君、罪を鬼神に有するか。願はくは君且く待て」と。斉の景公之に従ふ。二十八年、昭公晋に如き、入らんことを求む。季平子、晋の六卿に私す。六卿、季氏の賂を受け、晋君を諫む。晋君乃ち止め、昭公を乾侯に居らしむ。二十九年、昭公鄆に如く。斉の景公、人をして昭公に書を賜はしめ、自ら『主君』と謂ふ。昭公之を恥ぢ、怒りて乾侯に去る。三十一年、晋、昭公を内れんと欲し、季平子を召す。平子、布衣跣行し、六卿に因りて罪を謝す。六卿為に言ひて曰く、「晋、昭公を内れんと欲するも、衆従はず」と。晋人止む。三十二年、昭公、乾侯に卒す。魯人共に昭公の弟宋を立てて君と為す。是れを定公と為す。定公立つ。趙簡子、史墨に問ひて曰く、「季氏亡びんか」と。史墨対へて曰く、「亡びず。季友は魯に大功有り、鄪を受けて上卿と為る。文子・武子に至りて、世々其の業を増す。魯の文公卒し、東門遂、適を殺して庶を立つ。魯君是に於て国政を失ふ。政は季氏に在ること、今に於て四君なり。民、君を知らず。何を以てか国を得ん。是を以て君為る者は器と名とを慎み、以て人に仮す可からず」と。定公の五年、季平子卒す。陽虎私に怒り、季桓子を囚へ、与に盟ひて、乃ち之を舎く。七年、斉、我を伐ち、鄆を取りて、以て魯の陽虎の邑と為し以て政に従はしむ。八年、陽虎、尽く三桓の適を殺し、而して更めて其の善くする所の庶子を立てて以て之に代へんと欲す。季桓子を載せて将に之を殺さんとす。桓子詐りて脱るるを得たり。三桓共に陽虎を攻む。陽虎、陽関に居る。九年、魯、陽虎を伐つ。陽虎斉に奔り、已にして晋の趙氏に奔る。十年、定公、斉の景公と夾谷に会す。孔子相事を行ふ。斉、魯君を襲はんと欲す。孔子、礼を以て階を歴し、斉の淫楽を誅す。斉侯懼れ、乃ち止め、魯の侵地を帰して過ちを謝す。十二年、仲由をして三桓の城を毀ち、其の甲兵を収めしむ。
現代語訳
それとも魯君が鬼神に対して罪を犯しているのだろうか。どうか君はしばらくお待ちいただきたい」。斉の景公はこれに従った。二十八年、昭公は晋に行き、魯に戻れるよう求めた。季平子はひそかに晋の六卿に取り入った。六卿は季氏の賄賂を受け取り、晋君を諫めた。晋君はそこで取りやめ、昭公を乾侯に住まわせた。二十九年、昭公は鄆に行った。斉の景公は人をやって昭公に書状を与えたが、その中で自分を『主君』と称した。昭公はこれを恥じ、怒って乾侯に去った。三十一年、晋は昭公を魯に戻そうとして、季平子を呼び寄せた。季平子は麻の衣を着て裸足で歩いて来て、六卿を通じて罪を謝った。六卿は季平子のために晋君に言った。「晋は昭公を戻そうとしているが、魯の人々が従わない」。晋の人々はそこで取りやめた。三十二年、昭公は乾侯で亡くなった。魯の人々はそろって昭公の弟の宋を君主に立てた。これが定公である。定公が立つと、晋の趙簡子が史墨に尋ねた。「季氏は滅びるだろうか」。史墨は答えた。「滅びない。季友は魯に大きな功績があり、鄪の地を受けて上卿となった。文子・武子の代になって、代々その事業を大きくしてきた。魯の文公が亡くなると、東門遂(襄仲)が正妻の子を殺して側室の子を立て、魯の君主はこのとき国政を失った。政治が季氏の手にあること、今に至るまで四代の君主に及んでいる。民は君主の存在を知らない。どうして君主が国を保てようか。だから君主たる者は、器(権力を示す礼器や地位)と名(称号や名分)を大切にし、それを人に貸してはならないのだ」。定公の五年、季平子が亡くなった。陽虎は個人的な怒りから季桓子を捕らえ、盟約を結ばせたうえで釈放した。七年、斉が魯を攻めて鄆を奪い、魯の陽虎の邑として陽虎に政治を執らせた。八年、陽虎は三桓の跡継ぎをことごとく殺し、代わりに自分と親しい側室の子を立てようとした。季桓子を車に乗せて殺そうとしたが、季桓子は相手を欺いて逃れることができた。三桓はともに陽虎を攻めた。陽虎は陽関に立てこもった。九年、魯は陽虎を討った。陽虎は斉に逃げ、やがて晋の趙氏のもとに逃げた。十年、定公は斉の景公と夾谷で会見し、孔子が補佐役を務めた。斉は魯の君主を襲おうとしたが、孔子は礼に従って階段を上って進み出て、斉の不作法な音楽の演者を誅した。斉侯は恐れて計略をやめ、魯から奪った土地を返して過ちを謝った。十二年、仲由(子路)に三桓の城を壊させ、その武器を取り上げさせた。
解説
関連する章句
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史記 魯周公世家師己曰く、「文・成の世の童謡に曰く、『鸜鵒来りて巣くへば、公は乾侯に在り。鸜鵒入りて処れば、公は外野に在り』と」。季氏、郈氏と鶏を闘はす。季氏は鶏の羽に芥し、郈氏は距に金す。季平子怒りて郈氏を侵す。郈昭伯も亦平子を怒る。臧昭伯の弟会、偽りて臧氏を讒し、季氏に匿る。臧昭伯、季氏の人を囚ふ。季平子怒りて、臧氏の老を囚ふ。臧・郈氏、難を以て昭公に告ぐ。昭公、九月戊戌、季氏を伐ち、遂に入る。平子、台に登りて請ひて曰く、「君、讒を以て臣の罪を察せずして之を誅せんとす。請ふ沂上に遷らん」と。許さず。鄪に囚はれんことを請ふも、許さず。五乗を以て亡げんことを請ふも、許さず。子家駒曰く、「君其れ之を許せ。政の季氏よりすること久し。徒為る者衆し。衆将に合謀せんとす」と。聴かず。郈氏曰く、「必ず之を殺せ」と。叔孫氏の臣戾、其の衆に謂ひて曰く、「季氏無きと有ると、孰れか利ある」と。皆曰く、「季氏無くんば是れ叔孫氏無きなり」と。戾曰く、「然り。季氏を救へ」と。遂に公の師を敗る。孟懿子、叔孫氏の勝てるを聞き、亦郈昭伯を殺す。郈昭伯は公の使と為る。故に孟氏之を得たり。三家共に公を伐つ。公遂に奔る。己亥、公、斉に至る。斉の景公曰く、「請ふ千社を致して君を待せん」と。子家曰く、「周公の業を棄てて斉に臣たるは、可ならんや」と。乃ち止む。子家曰く、「斉の景公は信無し。早く晋に之くに如かず」と。従はず。叔孫、公に見えて還り、平子に見ゆ。平子頓首す。初め昭公を迎へんと欲するも、孟孫・季孫後に悔い、乃ち止む。二十六年春、斉、魯を伐ち、鄆を取りて昭公を居らしむ。夏、斉の景公将に公を内れんとし、魯の賂を受くる無からしむ。申豊・汝賈、斉の臣高齕・子将に粟五千庾を許す。子将、斉侯に言ひて曰く、「群臣は魯君に事ふる能はず、異有り。宋の元公は魯の為に晋に如き、之を内れんことを求むるも、道に卒す。叔孫昭子は其の君を内れんことを求むるも、病無くして死す。知らず、天魯を棄つるか。
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史記 魯周公世家四年、襄公、晋に朝す。五年、季文子卒す。家に帛を衣るの妾無く、廄に粟を食むの馬無く、府に金玉無くして、以て三君に相たり。君子曰く、「季文子は廉忠なり」と。九年、晋と鄭を伐つ。晋の悼公、襄公を衛に冠せしむ。季武子従ひ、相として礼を行ふ。十一年、三桓氏分れて三軍と為る。十二年、晋に朝す。十六年、晋の平公即位す。二十一年、晋の平公に朝す。二十二年、孔丘生る。二十五年、斉の崔杼、其の君荘公を弑し、其の弟景公を立つ。二十九年、呉の延陵季子、魯に使し、周の楽を問ひ、尽く其の意を知る。魯人焉を敬す。三十一年六月、襄公卒す。其の九月、太子卒す。魯人、斉帰の子裯を立てて君と為す。是れを昭公と為す。昭公年十九にして、猶ほ童心有り。穆叔立つるを欲せずして、曰く、「太子死せば、母弟有らば立つ可し。即かずんば長を立つ。年鈞しければ賢を択び、義鈞しければ則ち之を卜す。今、裯は適嗣に非ず。且つ又喪に居りて意戚に在らずして喜色有り。若し果して立たば、必ず季氏の憂と為らん」と。季武子聴かず、卒に之を立つ。葬に比ぶ及びて、三たび衰を易ふ。君子曰く、「是れ終らざらん」と。昭公の三年、晋に朝して河に至る。晋の平公謝して之を還す。魯焉を恥づ。四年、楚の霊王、諸侯に申に会す。昭公病と称して往かず。七年、季武子卒す。八年、楚の霊王、章華台に就き、昭公を召す。昭公往きて賀す。昭公に宝器を賜ふ。已にして悔い、復た詐りて之を取る。十二年、晋に朝して河に至る。晋の平公謝して之を還す。十三年、楚の公子棄疾、其の君霊王を弑して、代りて立つ。十五年、晋に朝す。晋、之を留めて晋の昭公を葬らしむ。魯之を恥づ。二十年、斉の景公、晏子と竟に狩し、因りて魯に入りて礼を問ふ。二十一年、晋に朝して河に至る。晋謝して之を還す。二十五年春、鸜鵒来りて巣くふ。
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史記 晋世家季平子私かに范献子に賂ふ。献子之を受け、乃ち晋君に謂ひて曰く、「季氏罪無し」と。果たして魯君を入れず。十二年、晋の宗家祁傒の孫、叔向の子、君に相悪しとせらる。六卿公室を弱めんと欲し、乃ち遂に法を以て尽く其の族を滅ぼす。而して其の邑を分かちて十県と為し、各々其の子をして大夫と為らしむ。晋益々弱く、六卿皆大なり。十四年、頃公卒し、子の定公午立つ。定公の十一年、魯の陽虎晋に奔る。趙鞅簡子之を捨(やど)す。十二年、孔子魯に相たり。十五年、趙鞅邯鄲の大夫午に使ふも、信ならず、午を殺さんと欲す。午中行寅・范吉射と親ら趙鞅を攻む。鞅走りて晋陽を保つ。定公晋陽を囲む。荀櫟・韓不信・魏侈范・中行と仇為り。乃ち兵を移して范・中行を伐つ。范・中行反す。晋君之を撃ち、范・中行を敗る。范・中行朝歌に走り、之を保つ。韓・魏趙鞅の為に晋君に謝す。乃ち趙鞅を赦し、位に復す。二十二年、晋范・中行氏を敗り、二子斉に奔る。三十年、定公呉王夫差と黄池に会し、長を争ふ。趙鞅時に従ひ、卒に呉を長とす。三十一年、斉の田常其の君簡公を弑し、而して簡公の弟驁を立てて平公と為す。三十三年、孔子卒す。三十七年、定公卒し、子の出公鑿立つ。出公の十七年、知伯趙・韓・魏と共に范・中行の地を分かちて以て邑と為す。出公怒り、斉・魯に告げ、以て四卿を伐たんと欲す。四卿恐れ、遂に反って出公を攻む。出公斉に奔り、道に死す。故に知伯乃ち昭公の曾孫驕を立てて晋君と為す。是を哀公と為す。哀公の大父雍は、晋の昭公の少子なり。号して戴子と為す。戴子忌を生む。忌知伯に善し。蚤く死す。故に知伯尽く晋を并せんと欲するも、未だ敢てせず。乃ち忌の子驕を立てて君と為す。
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