史記 / 斉太公世家
桓公之立,發兵攻魯,心欲殺管仲。鮑叔牙曰:「臣幸得從君,君竟以立。君之尊,臣無以增君。君將治齊,即高傒與叔牙足也。君且欲霸王,非管夷吾不可。夷吾所居國國重,不可失也。」於是桓公從之。乃詳為召管仲欲甘心,實欲用之。管仲知之,故請往。鮑叔牙迎受管仲,及堂阜而脫桎梏,齋祓而見桓公。桓公厚禮以為大夫,任政。桓公既得管仲,與鮑叔、隰朋、高傒修齊國政,連五家之兵,設輕重魚鹽之利,以贍貧窮,祿賢能,齊人皆說。二年,伐滅郯,郯子奔莒。初,桓公亡時,過郯,郯無禮,故伐之。五年,伐魯,魯將師敗。魯莊公請獻遂邑以平,桓公許,與魯會柯而盟。魯將盟,曹沬以匕首劫桓公於壇上,曰:「反魯之侵地!」桓公許之。已而曹沬去匕首,北面就臣位。桓公後悔,欲無與魯地而殺曹沬。管仲曰:「夫劫許之而倍信殺之,愈一小快耳,而棄信於諸侯,失天下之援,不可。」於是遂與曹沬三敗所亡地於魯。諸侯聞之,皆信齊而欲附焉。七年,諸侯會桓公於甄,而桓公於是始霸焉。十四年,陳厲公子完,號敬仲,來奔齊。齊桓公欲以為卿,讓;於是以為工正。田成子常之祖也。二十三年,山戎伐燕,燕告急於齊。齊桓公救燕,遂伐山戎,至于孤竹而還。
新字:桓公之立,発兵攻魯,心欲殺管仲。鮑叔牙曰:「臣幸得従君,君竟以立。君之尊,臣無以增君。君将治斉,即高傒与叔牙足也。君且欲覇王,非管夷吾不可。夷吾所居国国重,不可失也。」於是桓公従之。乃詳為召管仲欲甘心,実欲用之。管仲知之,故請往。鮑叔牙迎受管仲,及堂阜而脱桎梏,斎祓而見桓公。桓公厚礼以為大夫,任政。桓公既得管仲,与鮑叔、隰朋、高傒修斉国政,連五家之兵,設軽重魚塩之利,以贍貧窮,禄賢能,斉人皆説。二年,伐滅郯,郯子奔莒。初,桓公亡時,過郯,郯無礼,故伐之。五年,伐魯,魯将師敗。魯荘公請献遂邑以平,桓公許,与魯会柯而盟。魯将盟,曹沬以匕首劫桓公於壇上,曰:「反魯之侵地!」桓公許之。已而曹沬去匕首,北面就臣位。桓公後悔,欲無与魯地而殺曹沬。管仲曰:「夫劫許之而倍信殺之,愈一小快耳,而棄信於諸侯,失天下之援,不可。」於是遂与曹沬三敗所亡地於魯。諸侯聞之,皆信斉而欲附焉。七年,諸侯会桓公於甄,而桓公於是始覇焉。十四年,陳厲公子完,号敬仲,来奔斉。斉桓公欲以為卿,譲;於是以為工正。田成子常之祖也。二十三年,山戎伐燕,燕告急於斉。斉桓公救燕,遂伐山戎,至于孤竹而還。
書き下し
桓公の立つや、兵を発して魯を攻め、心に管仲を殺さんと欲す。鮑叔牙曰く、「臣幸ひに君に従ふを得て、君竟に以て立つ。君の尊き、臣以て君を増す無し。君将に斉を治めんとせば、即ち高傒と叔牙とにて足れり。君且に覇王たらんと欲せば、管夷吾に非ずんば不可なり。夷吾の居る所の国は国重し、失ふ可からざるなり」と。是に於て桓公之に従ふ。乃ち詳りて管仲を召して心を甘んぜんと欲すと為し、実は之を用ひんと欲す。管仲之を知り、故に往かんことを請ふ。鮑叔牙、管仲を迎へ受け、堂阜に及びて桎梏を脱し、斎祓して桓公に見ゆ。桓公厚く礼して以て大夫と為し、政を任ず。桓公既に管仲を得て、鮑叔・隰朋・高傒と斉国の政を修め、五家の兵を連ね、軽重・魚塩の利を設けて、以て貧窮を贍し、賢能に禄す。斉人皆説ぶ。二年、郯を伐ちて滅す。郯子、莒に奔る。初め、桓公の亡げし時、郯を過ぐ。郯無礼なり、故に之を伐つ。五年、魯を伐つ。魯の将の師敗る。魯の荘公、遂邑を献じて以て平がんことを請ふ。桓公許し、魯と柯に会して盟ふ。魯将に盟はんとするに、曹沬、匕首を以て桓公を壇上に劫かして曰く、「魯の侵地を反せ」と。桓公之を許す。已にして曹沬、匕首を去り、北面して臣の位に就く。桓公後に悔い、魯に地を与ふること無くして曹沬を殺さんと欲す。管仲曰く、「夫れ劫かされて之を許し、而して信に倍きて之を殺すは、一小快に愈るのみ。而して信を諸侯に棄て、天下の援を失ふ。不可なり」と。是に於て遂に曹沬の三たび敗れて亡ひし所の地を魯に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉を信じて附かんと欲す。七年、諸侯、桓公に甄に会す。而して桓公是に於て始めて覇たり。十四年、陳の厲公の子完、号は敬仲、来りて斉に奔る。斉の桓公以て卿と為さんと欲す。譲る。是に於て以て工正と為す。田成子常の祖なり。二十三年、山戎、燕を伐つ。燕、急を斉に告ぐ。斉の桓公、燕を救ひ、遂に山戎を伐ち、孤竹に至りて還る。
現代語訳
桓公は即位すると、兵を出して魯を攻め、心の中では管仲を殺そうと思っていた。鮑叔牙は言った。「私は幸いにも君にお仕えすることができ、君はついに即位された。君の尊さに、私がこれ以上加えられるものはない。君が斉を治めるだけなら、高傒と私で十分だ。しかし君が覇者・王者になろうと望まれるなら、管夷吾(管仲)でなければならない。夷吾がいる国は重んじられる。失ってはならない」。そこで桓公はこれに従った。そして管仲を呼び寄せて心ゆくまで処刑したいのだと見せかけて、実は彼を用いようとした。管仲はそれを察していたので、自ら斉に行くことを願い出た。鮑叔牙は管仲を迎え、堂阜に着くと手かせ足かせを外し、斎戒してお祓いをしたうえで桓公に会わせた。桓公は手厚く礼遇して大夫とし、政治を任せた。桓公は管仲を得ると、鮑叔・隰朋(しゅうほう)・高傒とともに斉の国政を整え、五家を一組とする兵制を作り、物価を調整する政策と魚や塩の利益を設けて貧しい者を助け、賢く有能な者に俸禄を与えた。斉の人々はみな喜んだ。二年、郯(たん)を討って滅ぼした。郯の君主は莒に逃げた。これより先、桓公が亡命していたときに郯を通ったが、郯が無礼であったので、これを討ったのである。五年、魯を討った。魯の将軍の軍は敗れた。魯の荘公は遂の邑を献上して講和したいと願い出た。桓公はこれを許し、魯と柯で会盟した。魯が盟約を結ぼうとしたとき、曹沬(そうかい)が匕首で壇上の桓公を脅して言った。「魯から奪った土地を返せ」。桓公はこれを承知した。やがて曹沬は匕首を捨て、北を向いて臣下の位置に戻った。桓公は後で悔やみ、魯に土地を返さずに曹沬を殺そうとした。管仲は言った。「脅されて約束しておきながら、信義に背いて相手を殺すのは、ちょっとした腹いせにすぎない。それで諸侯に対する信義を捨て、天下の支持を失うことになる。いけない」。そこで曹沬が三度の戦いに敗れて失った土地を魯に返した。諸侯はこれを聞き、みな斉を信頼して従おうとした。七年、諸侯が甄(けん)で桓公と会盟し、桓公はここで初めて覇者となった。十四年、陳の厲公の子の完、号は敬仲が斉に亡命してきた。斉の桓公は彼を卿にしようとしたが、完は辞退した。そこで工正(工人の長官)とした。これが田成子常の祖先である。二十三年、山戎が燕を討った。燕は斉に危急を告げた。斉の桓公は燕を救い、そのまま山戎を討って孤竹まで行って帰った。
解説
関連する章句
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『長短経』臣行昔、斉の桓公と魯の荘公と柯に会して盟う。曹沫、匕首を以て桓公を劫かし、魯の侵地を反さしむ。桓公之を許す。後に悔いて、魯に地を与うる無く、而して曹沫を殺さんと欲す。管仲曰く「信を諸侯に棄つれば、天下の援を失う。不可なり」と。是に於て曹沫の三たび敗れて亡う所の地を与う。諸侯之を聞き、皆な斉を信じて附かんと欲す。山戎、燕を伐つ。燕、急を斉に告ぐ。斉の桓公、燕を救いて還る。燕の荘公、桓公を送りて斉の境に入る。桓公曰く「天子に非ざれば、諸侯の送るは境を出でず。吾れ以て燕に無礼なる可からず」と。是に於て溝を分かち、燕君の至る所を割きて燕君に与え、復た召公の政を修めしめ、貢を周に納れしむ。諸侯之を聞きて皆な従う。斉の桓公、是に於て始めて霸たり。
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史記 斉太公世家是の歳、晋、太子申生を殺す。三十五年夏、諸侯に葵丘に会す。周の襄王、宰孔をして桓公に文武の胙・彤弓矢・大路を賜ひ、拝する無からしめんとす。桓公之を許さんと欲す。管仲曰く「不可なり」と。乃ち下拝して賜を受く。秋、復た諸侯に葵丘に会す。益々驕色有り。周、宰孔をして会せしむ。諸侯頗る叛く者有り。晋侯病み、後れ、宰孔に遇ふ。宰孔曰く、「斉侯驕れり。弟ら行く無かれ」と。之に従ふ。是の歳、晋の献公卒す。里克、奚斉・卓子を殺す。秦の穆公、夫人を以て公子夷吾を入れて晋君と為す。桓公是に於て晋の乱を討ち、高梁に至り、隰朋をして晋君を立てしめて還る。是の時、周室微にして、唯斉・楚・秦・晋のみ彊たり。晋は初め会に与るも、献公死して国内乱る。秦の穆公は辟遠にして、中国の会盟に与らず。楚の成王は初めて荊蛮を収めて之を有し、夷狄もて自ら置く。唯独り斉のみ中国の会盟を為す。而して桓公能く其の徳を宣ぶ、故に諸侯賓会す。是に於て桓公称して曰く、「寡人南のかた伐ちて召陵に至り、熊山を望む。北のかた山戎・離枝・孤竹を伐つ。西のかた大夏を伐ち、流沙を渉る。馬を束ね車を懸けて太行に登り、卑耳山に至りて還る。諸侯寡人に違ふ莫し。寡人、兵車の会三たび、乗車の会六たび、九たび諸侯を合せ、天下を一匡す。昔、三代の命を受くるも、何を以てか此に異なる有らんや。吾、泰山に封じ、梁父に禅せんと欲す」と。管仲固く諫むるも、聴かず。乃ち桓公に説くに遠方の珍怪の物至りて乃ち封ずるを得るを以てす。桓公乃ち止む。三十八年、周の襄王の弟帯、戎・翟と合謀して周を伐つ。斉、管仲をして戎を周に平がしむ。周、上卿の礼を以て管仲を礼せんと欲す。管仲頓首して曰く、「臣は陪臣なり、安んぞ敢てせん」と。三たび譲りて、乃ち下卿の礼を受けて以て見ゆ。三十九年、周の襄王の弟帯、来りて斉に奔る。斉、仲孫をして王に請ひ、帯の為に謝せしむ。襄王怒りて聴かず。
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史記 斉太公世家燕の荘公遂に桓公を送りて斉の境に入る。桓公曰く、「天子に非ずんば、諸侯相送るに境を出でず。吾以て燕に無礼なる可からず」と。是に於て溝を分ちて燕君の至る所を割きて燕に与へ、燕君に命じて復た召公の政を修め、貢を周に納れしむること、成・康の時の如し。諸侯之を聞き、皆斉に従ふ。二十七年、魯の湣公の母を哀姜と曰ふ。桓公の女弟なり。哀姜、魯の公子慶父に淫す。慶父、湣公を弑す。哀姜、慶父を立てんと欲す。魯人更めて釐公を立つ。桓公、哀姜を召して之を殺す。二十八年、衛の文公に狄の乱有り、急を斉に告ぐ。斉、諸侯を率ゐて楚丘に城きて衛君を立つ。二十九年、桓公、夫人蔡姫と船中に戯る。蔡姫水に習ひ、公を蕩かす。公懼れて之を止むるも、止めず。船を出でて怒り、蔡姫を帰すも、絶たず。蔡も亦怒り、其の女を嫁す。桓公聞きて怒り、師を興して往きて伐つ。三十年春、斉の桓公、諸侯を率ゐて蔡を伐つ。蔡潰ゆ。遂に楚を伐つ。楚の成王、師を興して問ひて曰く、「何の故に吾が地に渉るや」と。管仲対へて曰く、「昔、召康公、我が先君太公に命じて曰く、『五侯九伯、若実に之を征し、以て周室を夾輔せよ』と。我が先君に履を賜ふ、東は海に至り、西は河に至り、南は穆陵に至り、北は無棣に至る。楚の貢の包茅入らず、王の祭具はらず。是を以て来り責む。昭王南征して復らず。是を以て来り問ふ」と。楚王曰く、「貢の入らざるは、之有り、寡人の罪なり。敢て共せざらんや。昭王の出でて復らざるは、君其れ之を水浜に問へ」と。斉の師進みて陘に次る。夏、楚王、屈完をして兵を将ゐて斉を捍がしむ。斉の師退きて召陵に次る。桓公、其の衆を以て屈完に矜る。屈完曰く、「君、道を以てせば則ち可なり。若し不ずんば、則ち楚は方城以て城と為し、江・漢以て溝と為す。君安んぞ能く進まんや」と。乃ち屈完と盟ひて去る。陳を過ぐ。陳の袁濤塗、斉を詐り、東方に出でしむ。覚る。秋、斉、陳を伐つ。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
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史記 田敬仲完世家宣公四十三年、晋を伐ち、黄城を毀ち、陽狐を囲む。明年、魯・葛及び安陵を伐つ。明年、魯の一城を取る。荘子卒し、子太公和立つ。田太公斉の宣公に相たり。宣公四十八年、魯の城を取る。明年、宣公鄭人と西城に会す。衛を伐ち、毋丘を取る。宣公五十一年に卒す。田会廩丘より反す。宣公卒し、子康公貸立つ。貸立ちて十四年、酒・婦人に淫し、政を聴かず。太公乃ち康公を海上に遷し、一城を食ましめ、以て其の先祀を奉ぜしむ。明年、魯斉を平陸に敗る。三年、太公魏の文侯と濁沢に会し、諸侯と為らんことを求む。魏の文侯乃ち使をして周の天子及び諸侯に言はしめ、斉の相田和を立てて諸侯と為さんことを請ふ。周の天子之を許す。康公の十九年、田和立ちて斉侯と為り、周室に列し、元年を紀す。斉侯太公和立ちて二年、和卒し、子桓公午立つ。桓公午五年、秦・魏韓を攻む。韓救ひを斉に求む。斉の桓公大臣を召して謀りて曰く、「蚤く之を救ふと晩く之を救ふと孰れぞ」と。騶忌曰く、「救ふこと勿きに若かず」と。段干朋曰く、「救はずんば、則ち韓且に折れて魏に入らんとす。之を救ふに若かず」と。田臣思曰く、「過てり君の謀や。秦・魏韓・楚を攻めば、趙必ず之を救はん。是れ天燕を以て斉に予ふるなり」と。桓公曰く、「善し」と。乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣る。韓自ら以為へらく斉の救ひを得たりと。因りて秦・魏と戦ふ。楚・趙之を聞き、果たして兵を起こして之を救ふ。斉因りて兵を起こして燕国を襲ひ、桑丘を取る。六年、衛を救ふ。桓公卒し、子威王因斉立つ。是の歳、故の斉の康公卒し、絶えて後無し。奉邑皆田氏に入る。斉の威王元年、三晋斉の喪に因りて来りて我が霊丘を伐つ。三年、三晋晋の後を滅ぼして其の地を分つ。六年、魯我を伐ち、陽関に入る。晋我を伐ち、博陵に至る。七年、衛我を伐ち、薛陵を取る。九年、趙我を伐ち、甄を取る。威王初めて位に即きて以来、治めず、政を卿大夫に委ぬ。九年の閒、諸侯并びに伐ち、国人治まらず。
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