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荀子 / 仲尼篇

若是而不亡,乃霸,何也?曰:於乎!夫齊桓公有天下之大節焉,夫孰能亡之?倓然見管仲之能足以託國也,是天下之大知也。安忘其怒,出忘其讎,遂立為仲父,是天下之大決也。立以為仲父,而貴戚莫之敢妒也;與之高國之位,而本朝之臣莫之敢惡也;與之書社三百,而富人莫之敢距也;貴賤長少,秩秩焉,莫不從桓公而貴敬之,是天下之大節也。諸侯有一節如是,則莫之能亡也;桓公兼此數節者而盡有之,夫又何可亡也!其霸也,宜哉!非幸也,數也。

新字:若是而不亡,乃覇,何也?曰:於乎!夫斉桓公有天下之大節焉,夫孰能亡之?倓然見管仲之能足以託国也,是天下之大知也。安忘其怒,出忘其讎,遂立為仲父,是天下之大決也。立以為仲父,而貴戚莫之敢妒也;与之高国之位,而本朝之臣莫之敢悪也;与之書社三百,而富人莫之敢距也;貴賤長少,秩秩焉,莫不従桓公而貴敬之,是天下之大節也。諸侯有一節如是,則莫之能亡也;桓公兼此数節者而尽有之,夫又何可亡也!其覇也,宜哉!非幸也,数也。

書き下し

是くの若くして亡びず、乃ち霸たるは、何ぞや。曰く、於乎、夫の斉の桓公は天下の大節有り。夫れ孰か能く之を亡ぼさん。倓然として管仲の能の以て国を託するに足るを見るは、是れ天下の大知なり。安んじて其の怒りを忘れ、出でて其の讎を忘れ、遂に立てて仲父と為すは、是れ天下の大決なり。立てて以て仲父と為すも、貴戚も之を妒むを敢えてする莫し。之に高・国の位を与うるも、本朝の臣も之を悪むを敢えてする莫し。之に書社三百を与うるも、富人も之を距むを敢えてする莫し。貴賤長少、秩秩焉として、桓公に従いて之を貴び敬わざるは莫し。是れ天下の大節なり。諸侯に一節此くの如き有らば、則ち之を能く亡ぼす莫し。桓公は此の数節を兼ねて尽く之を有つ。夫れ又た何ぞ亡ぶ可けんや。其の霸たるや、宜なるかな。幸いに非ず、数なり。

現代語訳

それほどの人物でありながら滅びず、かえって覇者となったのはなぜか。ああ、あの斉の桓公には、天下に通じる大きな節度があったのだ。誰がそれを滅ぼすことなどできようか。ためらいなく、管仲の能力なら国を任せるに足ると見抜いたのは、天下第一の知恵である。心安らかに自分の怒りを忘れ、外に対しては仇であったことも忘れ、ついに管仲を立てて仲父と呼んだのは、天下第一の決断である。管仲を仲父としても、身内の貴族たちは誰も嫉妬しようとしなかった。管仲に高氏・国氏に並ぶ位を与えても、朝廷の臣下は誰も憎もうとしなかった。管仲に書社三百戸を与えても、富める者たちは誰も拒もうとしなかった。身分の高い者も低い者も、年長者も年少者も、みな秩序正しく、桓公に従って管仲を尊び敬わない者はいなかった。これこそ天下に通じる大きな節度である。諸侯にこのような節度が一つでもあれば、誰もその国を滅ぼすことはできない。まして桓公はこれらいくつもの節度をすべて兼ね備えていた。どうして滅びようか。彼が覇者となったのは当然のことだ。まぐれではなく、必然である。

解説

前の段で桓公を徹底的に批判した荀子が、一転してその成功の理由を分析する一段です。桓公の強みは三つ。管仲の力量を見抜いた眼力、かつての仇であることを水に流して登用した決断、そして一族から臣下、富豪、身分の上下すべてが桓公に従って管仲を尊敬したという、国全体の秩序です。荀子はこれを「天下の大節」と呼び、彼の覇業は「幸いに非ず、数なり」——まぐれではなく必然だ、と結びます。人物の欠点と長所を切り分けて評価する、荀子の冷静さがよく出た段です。とくに注目したいのは、自分を殺そうとした相手を宰相に据えた点。有能な人を登用できるかどうかは、能力を見抜く目だけでなく、私怨を手放せるかにかかっています。人事は好き嫌いで決まりがちですが、その感情を一度脇に置けるかが組織の力を大きく変えます。

この一句を、あなたの毎日に。

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