師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 孝武本紀

卿曰:「申功,齊人也。與安期生通,受黃帝言,無書,獨有此鼎書。曰『漢興復當黃帝之時。漢之聖者在高祖之孫且曾孫也。寶鼎出而與神通,封禪。封禪七十二王,唯黃帝得上泰山封』。申功曰:『漢主亦當上封,上封則能僊登天矣。黃帝時萬諸侯,而神靈之封居七千。天下名山八,而三在蠻夷,五在中國。中國華山、首山、太室、泰山、東萊,此五山黃帝之所常遊,與神會。黃帝且戰且學僊。患百姓非其道,乃斷斬非鬼神者。百餘歲然後得與神通。黃帝郊雍上帝,宿三月。鬼臾區號大鴻,死葬雍,故鴻冢是也。其後於黃帝接萬靈明廷。明廷者,甘泉也。所謂寒門者,谷口也。黃帝采首山銅,鑄鼎荊山下。鼎既成,有龍垂胡髯下迎黃帝。黃帝上騎,群臣後宮從上龍七十餘人,乃上去。餘小臣不得上,乃悉持龍髯,龍髯拔,墮黃帝之弓。百姓仰望黃帝既上天,乃抱其弓與龍胡髯號。故後世因名其處曰鼎湖,其弓曰烏號。』」於是天子曰:「嗟乎!吾誠得如黃帝,吾視去妻子如脫屣耳。」乃拜卿為郎,東使候神於太室。上遂郊雍,至隴西,西登空桐,幸甘泉。令祠官寬舒等具泰一祠壇,壇放薄忌泰一壇,壇三垓。五帝壇環居其下,各如其方,黃帝西南,除八通鬼道。

新字:卿曰:「申功,斉人也。与安期生通,受黄帝言,無書,独有此鼎書。曰『漢興復当黄帝之時。漢之聖者在高祖之孫且曽孫也。宝鼎出而与神通,封禅。封禅七十二王,唯黄帝得上泰山封』。申功曰:『漢主亦当上封,上封則能僊登天矣。黄帝時万諸侯,而神霊之封居七千。天下名山八,而三在蠻夷,五在中国。中国華山、首山、太室、泰山、東萊,此五山黄帝之所常遊,与神会。黄帝且戦且学僊。患百姓非其道,乃断斬非鬼神者。百余歳然後得与神通。黄帝郊雍上帝,宿三月。鬼臾区号大鴻,死葬雍,故鴻冢是也。其後於黄帝接万霊明廷。明廷者,甘泉也。所謂寒門者,谷口也。黄帝采首山銅,鋳鼎荊山下。鼎既成,有竜垂胡髯下迎黄帝。黄帝上騎,群臣後宮従上竜七十余人,乃上去。余小臣不得上,乃悉持竜髯,竜髯抜,堕黄帝之弓。百姓仰望黄帝既上天,乃抱其弓与竜胡髯号。故後世因名其処曰鼎湖,其弓曰烏号。』」於是天子曰:「嗟乎!吾誠得如黄帝,吾視去妻子如脱屣耳。」乃拝卿為郎,東使候神於太室。上遂郊雍,至隴西,西登空桐,幸甘泉。令祠官寛舒等具泰一祠壇,壇放薄忌泰一壇,壇三垓。五帝壇環居其下,各如其方,黄帝西南,除八通鬼道。

書き下し

卿曰く、「申功は、斉人なり。安期生と通じ、黄帝の言を受く、書無し、独り此の鼎書有り。曰く『漢興りて復た黄帝の時に当たる。漢の聖者は高祖の孫且つ曾孫に在り。宝鼎出でて神と通じ、封禅す。封禅せる七十二王、唯だ黄帝のみ泰山に上りて封ずることを得たり』と。申功曰く、『漢の主も亦当に上りて封ずべし、上りて封ずれば則ち能く僊して天に登らん。黄帝の時万諸侯、而して神霊の封は七千に居る。天下の名山八、而して三は蛮夷に在り、五は中国に在り。中国の華山・首山・太室・泰山・東萊、此の五山は黄帝の常に遊び、神と会せし所なり。黄帝且つ戦ひ且つ僊を学ぶ。百姓の其の道を非とするを患ひ、乃ち鬼神を非とする者を断斬す。百余歳にして然る後に神と通ずるを得たり。黄帝雍に上帝を郊し、宿すること三月。鬼臾区大鴻と号し、死して雍に葬る、故に鴻冢是なり。其の後黄帝万霊に明廷に接す。明廷とは、甘泉なり。所謂寒門とは、谷口なり。黄帝首山の銅を采り、鼎を荊山の下に鋳る。鼎既に成り、龍の胡髯を垂れて下り黄帝を迎ふる有り。黄帝上り騎る、群臣後宮の従ひて龍に上る者七十余人、乃ち上り去る。余の小臣上るを得ず、乃ち悉く龍髯を持つ、龍髯抜け、黄帝の弓を墮す。百姓仰ぎ望む黄帝既に天に上る、乃ち其の弓と龍の胡髯とを抱きて号す。故に後世因りて其の処を名づけて鼎湖と曰ひ、其の弓を烏号と曰ふ。』と。」と。是に於て天子曰く、「嗟乎、吾誠に黄帝の如くなるを得ば、吾妻子を去ること屣を脱するが如く視るのみ。」と。乃ち卿を拝して郎と為し、東のかた太室に神を候はしむ。上遂に雍に郊し、隴西に至り、西のかた空桐に登り、甘泉に幸す。祠官寛舒等をして泰一の祠壇を具へしむ、壇は薄忌の泰一壇に放(なら)ひ、壇は三垓なり。五帝の壇は環りて其の下に居り、各々其の方の如くし、黄帝は西南にし、八通の鬼道を除く。

現代語訳

公孫卿は言った。「申功は斉の人である。安期生(伝説の仙人)と通じ合い、黄帝の言葉を授かったが、書物は残さず、ただこの鼎の書があるだけだ。そこにはこうある。『漢が興ると、再び黄帝の時代に当たる。漢の聖人は高祖の孫か曾孫にあたる者である。宝鼎が現れれば神と通じ、封禅を行う。封禅を行った七十二人の王のうち、ただ黄帝だけが泰山に登って封の祭りを行うことができた』。申功はこう言った。『漢の君主もまた泰山に登って封の祭りを行うべきだ。登って封を行えば、仙人となって天に昇ることができる。黄帝の時代には一万の諸侯がいたが、神霊を祀る封の地はそのうち七千を占めていた。天下の名山は八つあり、三つは蛮夷の地に、五つは中国にある。中国の華山・首山・太室山・泰山・東萊山、この五つの山は黄帝がいつも遊び、神と会った所である。黄帝は戦いながら仙術を学んだ。民がその道を否定するのを憂え、鬼神を否定する者を斬り殺した。百余年たってようやく神と通じることができた。黄帝は雍で上帝を郊祀し、三か月泊まり込んだ。鬼臾区は大鴻と号し、死んで雍に葬られた。いわゆる鴻冢がそれである。その後、黄帝は明廷で多くの神霊と会った。明廷とは甘泉のことである。いわゆる寒門とは谷口のことである。黄帝は首山の銅を採って、荊山のふもとで鼎を鋳造した。鼎ができあがると、龍があごひげを垂らして降りてきて黄帝を迎えた。黄帝が龍に乗ると、群臣や後宮の女性で後に続いて龍に乗った者は七十余人に上り、そのまま天に昇っていった。残りの身分の低い臣下は乗ることができず、皆龍のひげにしがみついたが、ひげが抜けて、黄帝の弓が落ちてきた。民は黄帝がすでに天に昇ったのを仰ぎ見て、その弓と龍のひげを抱いて泣き叫んだ。だから後世、その場所を鼎湖と名づけ、その弓を烏号と呼んだのである』」。そこで天子は言った。「ああ、私も本当に黄帝のようになれるなら、妻子を捨てることなど、履物を脱ぐようなものだと思うだろう」。そこで公孫卿を郎に任じ、東の太室山で神の現れるのを待たせた。主上はそのまま雍で郊祀を行い、隴西に至り、西の空桐山に登り、甘泉宮に出かけた。祭祀の役人寛舒らに命じて泰一の祭壇を整えさせた。祭壇は薄忌の泰一の壇にならい、三段に造った。五帝の祭壇はその下を取り巻き、それぞれの方角に配置し、黄帝の壇は西南に置き、八方に通じる神の道を開いた。

解説

公孫卿が武帝に黄帝昇天の伝説を語る段です。「漢の聖者は高祖の孫か曾孫」、つまり武帝こそ黄帝に続いて封禅を行い、仙人となって天に昇る者だという内容でした。黄帝が荊山のふもとで鼎を鋳ると、龍が迎えに降りてきて、群臣七十余人とともに天に昇り、乗り遅れた者がつかんだ龍のひげが抜けて黄帝の弓が落ちた、という話は「鼎湖」「烏号」の地名・名前の由来として語られます。武帝はこれを聞いて「黄帝のようになれるなら、妻子を捨てることなど履物を脱ぐようなものだ」と言いました。天下を治める皇帝が、不老不死と昇天を家族よりも重んじたのです。公孫卿の話は、聞き手の自尊心と欲望をぴたりと満たすように組み立てられていました。自分が特別な存在だと言われたとき、人は最も判断を誤りやすくなります。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る