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史記 / 呂太后本紀

滕公乃召乘輿車載少帝出。少帝曰:「欲將我安之乎?」滕公曰「出就舍。」舍少府。乃奉天子法駕,迎代王於邸。報曰:「宮謹除。」代王即夕入未央宮。有謁者十人持戟衛端門,曰:「天子在也,足下何為者而入?」代王乃謂太尉。太尉往諭,謁者十人皆掊兵而去。代王遂入而聽政。夜,有司分部誅滅梁、淮陽、常山王及少帝於邸。代王立為天子。二十三年崩,謚為孝文皇帝。

新字:滕公乃召乗輿車載少帝出。少帝曰:「欲将我安之乎?」滕公曰「出就舎。」舎少府。乃奉天子法駕,迎代王於邸。報曰:「宮謹除。」代王即夕入未央宮。有謁者十人持戟衛端門,曰:「天子在也,足下何為者而入?」代王乃謂太尉。太尉往諭,謁者十人皆掊兵而去。代王遂入而聴政。夜,有司分部誅滅梁、淮陽、常山王及少帝於邸。代王立為天子。二十三年崩,謚為孝文皇帝。

書き下し

滕公乃ち乗輿の車を召して少帝を載せて出づ。少帝曰く、「我を将ゐて安くに之かんと欲するか。」と。滕公曰く「出でて舎に就け。」と。少府に舎る。乃ち天子の法駕を奉じ、代王を邸に迎ふ。報じて曰く、「宮謹みて除せり。」と。代王即夕に未央宮に入る。謁者十人有り戟を持ちて端門を衛り、曰く、「天子在り、足下何為る者ぞ入る。」と。代王乃ち太尉に謂ふ。太尉往きて諭す、謁者十人皆兵を掊てて去る。代王遂に入りて政を聴く。夜、有司部を分かちて梁・淮陽・常山王及び少帝を邸に誅滅す。代王立ちて天子と為る。二十三年にして崩じ、謚して孝文皇帝と為す。

現代語訳

滕公(夏侯嬰)は天子の乗る車を呼び寄せ、少帝を乗せて宮中から出た。少帝は「私をどこへ連れて行こうというのか」と言った。滕公は「宮殿を出て宿舎にお移りいただく」と言った。少帝は少府(宮中の財政官庁)に移された。そこで天子の正式な車を整え、代王をその屋敷に迎えに行き、「宮中は謹んで清め終えた」と報告した。代王はその日の夕方に未央宮に入った。謁者(取次ぎ役)十人が戟を持って正門を守っていて、「天子がおられる。あなたは何者で入ろうとするのか」と言った。代王は太尉(周勃)に伝えた。太尉が行って言い聞かせると、謁者十人は皆武器を捨てて去った。代王はこうして宮中に入って政務を執った。その夜、役人たちが手分けして、梁王・淮陽王・常山王と少帝をそれぞれの屋敷で誅殺した。代王は即位して天子となった。在位二十三年で崩御し、諡を孝文皇帝とした。

解説

呂太后本紀の結びで、文帝の即位と少帝の最期を描く段です。滕公夏侯嬰が少帝を車に乗せて宮殿から連れ出すと、少帝は「私をどこへ連れて行くのか」と尋ねました。幼い帝の不安げな一言を、司馬遷はそのまま書き留めています。代王が未央宮に入ろうとすると、門を守る謁者たちは「天子がおられる」と拒みましたが、周勃の説得で武器を捨てました。その夜のうちに、少帝と、呂后が孝恵帝の子として立てた諸王は皆殺されます。こうして文帝の治世が始まり、在位は二十三年に及びました。呂后の時代は民にとっては比較的穏やかだったと、司馬遷は本紀の評で述べていますが、宮廷の中では最後まで血が流れ続けました。権力の交代は、次の体制の出発点に誰を犠牲にしたかという影も残すことを、この短い段は静かに伝えています。

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