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史記 / 呂太后本紀

太史公曰、孝惠皇帝・高后の時、黎民戦国の苦を離るるを得、君臣俱に無為に休息せんと欲す、故に惠帝垂拱し、高后女主制を称するも、政房戸を出でずして、天下晏然たり。刑罰罕に用ゐられ、罪人是れ希なり。民稼穡を務め、衣食滋ます殖ゆ。

新字:太史公曰、孝恵皇帝・高后の時、黎民戦国の苦を離るるを得、君臣俱に無為に休息せんと欲す、故に恵帝垂拱し、高后女主制を称するも、政房戸を出でずして、天下晏然たり。刑罰罕に用ゐられ、罪人是れ希なり。民稼穡を務め、衣食滋ます殖ゆ。

書き下し

太史公曰く、孝惠皇帝・高后の時、黎民戦国の苦を離るるを得、君臣俱に無為に休息せんと欲す、故に惠帝垂拱し、高后女主制を称するも、政房戸を出でずして、天下晏然たり。刑罰罕に用ゐられ、罪人是れ希なり。民稼穡を務め、衣食滋ます殖ゆ。

現代語訳

「混乱と疲弊の後は、あれこれ手を出さず、人々を休ませ、力を蓄えさせる」——宮廷の暗闘とは裏腹に、天下が安らかだった理由を、司馬遷が総括した一段です。呂太后の時代といえば、宮廷内では、凄惨な権力闘争が繰り広げられていました。しかし司馬遷は、この篇の結びで、意外にも、この時代を、(宮廷の暗闘とは切り離して)冷静に、そして肯定的に評価します。「孝惠帝と高后(呂太后)の時代、庶民は、ようやく、(長く続いた)戦乱の世の苦しみから、解放された。君主も臣下も、ともに、無為(余計なことをせず)に、休息することを望んだ。だから、惠帝は、(衣の袖を垂れて)何もせず(垂拱)、高后が、女性の身で実権を握ったが、その政治は、(宮廷の)奥から出ることなく(=民に余計な干渉をせず)、天下は、安らかに治まった(政不出房戶、天下晏然)」と。そして、その具体的な成果を挙げます。「刑罰は、めったに用いられず、罪人も、まれだった。人々は、(安心して)農業に励み、衣食は、ますます豊かになっていった(民務稼穡、衣食滋殖)」。宮廷内の暗闘がどうあれ、この時代、為政者が、民に対して、余計な干渉や、大がかりな事業、重い負担を課さず、静かに休ませたことで、戦乱で疲弊した人々は、力を取り戻し、社会は豊かになっていった——これが、後の「文景の治」という繁栄の、土台となったのです。ここに、混乱の後の統治についての教訓があります。第一に、大きな混乱や、激しい消耗(戦乱)の後は、あれこれと新しいことに手を出すのではなく、まず、人々を休ませ、力を蓄えさせることが大切だということ(休息乎無為)。疲弊しきったところに、さらに負担を課せば、回復は遠のく。まずは、余計な干渉をせず、静かに養生させる。第二に、為政者・リーダーが、(自らの功名心から)大がかりな事業や、頻繁な改革で、人々を煩わせないこと(政不出房戶)が、かえって、社会の回復と繁栄を生むということ。時には、「何もしない(無為)」ことが、最善の策となる。第三に、刑罰や統制を、むやみに多用せず、控えめにすること(刑罰罕用)が、人々を安心させ、生産に励ませるということ。組織や経営で、大きな混乱や消耗の後はまず人々を休ませ力を蓄えさせること、リーダーの功名心から人々を煩わせず時に「何もしない」ことを選ぶこと、そして統制や罰を控えめにして人々を安心させること——司馬遷のこの総括は、疲弊の後の「与民休息(民を休ませる)」統治の知恵を教えます。

解説

あなたは、大きな混乱や、激しい消耗・疲弊の後には、あれこれ新しいことに手を出すのではなく、まず人々(社員・組織)を休ませ、力を蓄えさせることの大切さを、理解していますか?自分の功名心から、大がかりな事業や頻繁な改革で、人々を煩わせていないでしょうか——時には「何もしない」ことが最善の策になると、考えられていますか?統制や罰をむやみに多用せず、控えめにすることが、かえって人々を安心させ、力を発揮させると、自覚できていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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