史記 / 周本紀
武王周に至り、夜より寐ねず。周公旦王の所に即きて曰、曷為れぞ寐ねざる。王曰、我未だ天保を定めず、何ぞ寐ぬるに暇あらん。維れ天保を定め、天室に依り、悉く夫の悪を求め、殷王受に従ふを貶さん。日夜労来して我が西土を定め、我維れ服を顕にし、徳をして方に明らかならしめん。馬を華山の陽に縦ち、牛を桃林の虚に放ち、干戈を偃せ、兵を振ひ旅を釈く、天下に復た用ゐざるを示すなり。
書き下し
武王周に至り、夜より寐ねず。周公旦王の所に即きて曰く、「曷為れぞ寐ねざる」と。王曰く、「我未だ天保を定めず、何ぞ寐ぬるに暇あらん」と。……馬を華山の陽に縦ち、牛を桃林の虚に放ち、干戈を偃せ、兵を振ひ旅を釈く、天下に復た用ゐざるを示すなり。
現代語訳
「大きな成功を収めた後こそ、それを維持し安定させることの難しさに、心を配る」——殷を滅ぼした武王が、勝利の後に眠れなかった逸話を描いた一段です。周の武王は、ついに宿敵・殷を打ち破り、天下を手中に収めました。ところが、その勝利の後、都に帰った武王は、夜になっても眠ることができませんでした(自夜不寐)。それを見た弟の周公旦が、王のもとに来て尋ねます。「どうして、お眠りになれないのですか」と。武王は答えました。「私は、まだ(獲得した)天下の安泰を、確固たるものにできていない。どうして、安穏と眠っている暇があろうか(我未定天保、何暇寐)」と。天下を取ったという勝利の喜びに酔うのではなく、これからこの天下をどう安定させ、維持していくか——その、より困難な課題を思って、武王は眠れなかったのです。実際、武王は、この後、獲得した天下を安んじるための施策に、心を砕いていきます。そして、象徴的な行動をとりました。戦に用いた馬を華山の南に放ち、牛を桃林の野に放って、武器(干戈)を伏せ、軍隊を解散したのです。これは、「もう二度と、武力を用いない(示天下不復用也)」ことを、天下に示すためでした。勝利の勢いに任せて、なお武力を振るい続けるのではなく、あえて武を収め、平和による安定へと、転換したのです。ここに、成功の後についての教訓があります。第一に、大きな成功や勝利を収めた後こそ、それに酔うのではなく、それを維持し、安定させることの難しさに、心を配るべきだということ(未定天保、何暇寐)。獲得することと、維持することは、別の課題である。むしろ、勝ち取った後を安定させるほうが、往々にして難しい。第二に、成功の絶頂にあってなお、安穏とせず、慎重に、先々の課題を思う、その conscientious な緊張感。勝って兜の緒を締める、その心構えが、成功を長続きさせる。第三に、勝利の勢いに任せて、力(武力・強硬策)を振るい続けるのではなく、時に、あえて力を収め、安定と融和へと転換する見極め(偃干戈)。組織や事業で、大きな成功の後こそそれを維持・安定させる難しさに心を配ること、絶頂にあっても安穏とせず先々の課題を思う緊張感を保つこと、そして勝利の勢いに任せず時に力を収めて安定へ転換すること——武王が勝利の後に眠れなかった逸話は、成功を持続させる者の心構えを教えます。