士道要論 / 識語・藩主が記した刻本の識語
右士道要論一卷。伊勢齋藤有終所著。言雖淺近。然士道之要。可謂盡矣。予讀而嘉之。乃刻平家。以示從臣等。使有所矜式焉。嘉永庚戌三月甘雨亭主人識
新字:右士道要論一巻。伊勢斎藤有終所著。言雖浅近。然士道之要。可謂尽矣。予読而嘉之。乃刻平家。以示従臣等。使有所矜式焉。嘉永庚戌三月甘雨亭主人識
書き下し
右、士道要論一巻は、伊勢の斎藤有終の著すところなり。言は浅近なりといえども、しかも士道の要は尽くせりというべし。予、読みてこれを嘉し、すなわち平家に刻して、もって従臣らに示し、矜式するところあらしむ。嘉永庚戌三月、甘雨亭主人識す。
現代語訳
以上の『士道要論』一巻は、伊勢の斎藤有終(正謙)が著したものです。言葉は浅く手近ですが、士道の要点は尽くしていると言えます。私は読んでこれをよいと思い、「平家」で版に刻み、従う臣下たちに示して、手本とするところがあるようにしました。嘉永庚戌(嘉永3年)三月、甘雨亭主人が記します。
解説
この識語は、刊行にあたり甘雨亭主人が付けた短い文です。内容は、『士道要論』は言葉こそ手近だが士道の要を尽くしていると評価し、読んでよいと思ったので版に刻み、臣下たちに示して手本とさせた、というものです。嘉永庚戌三月の日付があります。よい教材は、やさしい言葉で要点をつかんでいることが大切だと分かります。現代の管理職も、部下に示す指針は難しい言葉より、手近で要を押さえた形にして共有することで、全員が同じ基準を持てるようになります。
この章句が説くこと
士道要論斎藤拙堂識語甘雨亭主人嘉永刊行
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