士道要論 / 跋・和歌と奥書・著者が詠んだ二首の和歌と奥書
おのれ、このふみをつゞり終りてよめる、梓弓、むかしをひくも、ものゝふの、道はひとへに、たけかれとのみいその上、ふる野のみちは、遠けれど、ふみならしてよ、いとまありせば、天保ひのとの酉の年長月安濃津の齋藤正謙艸
新字:おのれ、このふみをつゞり終りてよめる、梓弓、むかしをひくも、ものゝふの、道はひとへに、たけかれとのみいその上、ふる野のみちは、遠けれど、ふみならしてよ、いとまありせば、天保ひのとの酉の年長月安濃津の斎藤正謙艸
書き下し
おのれ、このふみをつゞり終りてよめる、梓弓、むかしをひくも、ものゝふの、道はひとへに、たけかれとのみいその上、ふる野のみちは、遠けれど、ふみならしてよ、いとまありせば、天保ひのとの酉の年長月安濃津の齋藤正謙艸
現代語訳
私は、この書を綴り終えて詠みました。「梓弓を引くように、昔のことを引き合いに出して述べたのも、武士の道はひとえに猛くあれとのみ(思ってのことだ)」。「石上(いそのかみ)の古い野の道は遠いけれど、踏み慣らしてほしい、暇があるならば」。天保8年丁酉(ひのととり)の年、九月、安濃津(津)の斎藤正謙が記しました。
解説
著者が書き終えて詠んだ二首の和歌と、日付と署名の奥書です。一首目は、昔を引いて武士の道を説いた思いを、梓弓の語に重ねて詠んだものです。二首目は、古い野の道は遠いけれど暇があれば踏み慣らしてほしいと、読み手に願う内容です。奥書から、天保8年九月に津の斎藤正謙が記したと分かります。管理職にとっても、学びは遠い道のようでも、日々の踏み固めで身につきます。忙しい中でも少しずつ歩を進める習慣を持つことが、成長の土台になります。
この章句が説くこと
士道要論斎藤拙堂跋和歌奥書天保
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